高橋哲哉先生  (1月19日送信)

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3月1日に朝鮮独立運動の記念集会で講演をなさるそうです。
戦争責任関連のご発言の多い方とも承知いたしております。

また吉見義明教授の裁判支援者として名前を出しておられたので、
このメールを出してみる次第です。

私は、南京事件が起きる前の、1935年(昭和10年)に書かれた、
東大西洋史の今井登志喜『歴史学研究法』を全文サイトUP(検索可能)している者です。


http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/genndaibunn.rekisigakukennkyuuhou.html

   この今井著に書かれている「史料批判」を適用しますと、
   南京事件の証拠資料とされている  元兵士日記の一つは 

       「偽作」です。


その多大の疑問点を握りつぶした解読責任者、藤原彰氏は、「戦勝国側のスパイ」ではないかと、
私は疑います。

高橋先生は、草書変体仮名で書かれた、日記現物の解読が、おできになりますか?     

私は、秦郁彦『南京事件・虐殺の構造』中公新書に掲載されている、手書き現物写真の元兵士日記は、
私が見た限りでは、偽作だと判断します。

以下は秦郁彦著『南京事件ー虐殺の構造・増補版』中公新書(初版は1986年)、p131掲載のものです。
画面下に解読文も載せてあります。

  現物写真版「井家又一日記」
  http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html

私が不審に思う理由は、
 長い戦闘を経てきたあげく、335名の射殺と書きながら、
 筆勢に乱れのない達筆であること、

 日用の口語文で、虐殺の現場でありながら、
 早書きの草書はまだしも、

 書くのに時間のかかる、日付の大字(画数の多い字)や、
 使っている変体仮名に、崩しの少ない草書体の漢字を当てていること、

 昭和12年(1937年)は、
 公教育で現代ひらがなが使われるようになった明治33年(1900年)から、
 37年が経過していて、7歳+37年=44歳以上でないと、

 普通の教育では変体仮名を目にしないにもかかわらず、
 (日用の筆記目的では、必要と思わないから無関心だろうということです)
 現場兵士として変体仮名を多用し、

 それほどの教養の片鱗をのぞかせながら、日本語の文章としておかしいこと。
 例えば、

   新聞記者が此を記事にせんとしてとして自動車から下りて来るのに
   日本の大人と想ってから 十重二重にまき来る支那人の為      
   流石の新聞記者も つひに 逃げ去る。
                                                  
   本日新聞記者に自分は支那売店に立って「いる」時、一葉を取って行く。

   外人家屋の中を歩きながら しみじみと眺めらされるのである。等

 歴史的仮名遣い「ゐる」の代わりに、
 戦後になってから使うようになった現代仮名遣い「いる」が使われていること。
     (かな連綿では、「る」の横棒はしばしば消えます)

 軍隊では使わない、兵器「捕獲」という言葉。本来なら「鹵獲」であること。

 筆記具がペン字なら、戦場での使用は不自然ではないかといういこと。等々。

先生の関係者には、戦前の日本人の手書き文書を知っているような、長老がおられるでしょう。
その方々に、秦郁彦『南京事件』p131の手書き日記の拡大コピー等を見ていただき、


私の疑問について、考えてみていただけないでしょうか?

これは、研究者がこれまで特に重要視してきた基本史料、
偕行社『南京戦史資料集』1989年に収められている日記です。

つまりそこに至るまでに、元陸軍将校の団体・偕行社の手を経ており、
偕行社所属の専門家の手を経て、解読されて活字になっているものです。

実は、私は2012年6月に、古文書学会向けに、
「南京事件元兵士日記の、偽作の証明に向けての一考察」(26枚)という論文を書きました。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/ronnbunn.html
     (根拠史料として、幕末から昭和10年までの、著名人の手書き手紙画像174点をリンク)

南京事件当時、このように複雑多数の変体仮名を、43歳以下の一般兵士が、
自分用に、口語文で使用するようなことは、まず考えられません。
また、日付に数字の大字を使った例は、174点中、皆無です。

ここで私は、井家又一日記は偽作であり、解読者がこれを握りつぶした、という理解をしています。
つまり、解読作業に従事しながら、何も疑問を述べなかった、「偕行社所属の専門家」がおかしい、と思うのです。

何と言っても、解読責任者の一人である藤原彰氏は、中国戦線を戦い抜いた元陸軍将校であり、
東大歴史学を出て、一橋大学教授・社会学部長となり、歴史学研究会委員長も務められた、偕行社員でもある方です。

そのような方を含む人たちが、集団で、私が挙げたような疑問点を全く取り上げずに、


南京事件の証拠資料として、偕行社編『南京戦史資料集』を作ったのです。

つまり、彼ら戦闘経験者がその史料の真贋に太鼓判を押した形ですので、
それを疑う人が出るのが、難しい状態が続いたことは確かです。

しかし疑問の確認方法は、何も専門家のみにゆだねられているわけではなく、
私たちの身近な年長者が、その鍵をにぎっている可能性が高いものです。
ですから、心当たりを当たってみていただけないでしょうか?

数字の大字など、読める文字を複雑にしても、内容を隠すことにはなりません。

また、古い時代の教養深い人物のような書き方でありながら、現代仮名遣いを使い、
焦って文が乱れたのかと思われる状態でありながら、複雑に凝った文字を使うという矛盾は、
どう理解すればいいのでしょう。

とにかく、偕行社の解読者は、難読・不可解表記の一切について、全く言及することがありません。
これは、歴史研究の基本の「キ」を無視した姿勢です。

日記1点とは言え、これだけ多大の疑問点を握りつぶした人を抱えた集団が、
他の文献なら疑問点を挙げる、ということは考えにくい。
私は、事件関連の全ての文献に対して、疑いを向けるべきだと思います。

 参考:今井登志喜「史料批判」T 外的批判
 (1)偽作でないかどうか(真贋の検討) 

  1. その史料の形式が、他の正しい史料の形式と一致するか。
    古文書の場合、紙・墨色・書風・筆意・文章形式・言葉・印章などを吟味する。


  2. その史料の内容が、他の正しい史料と矛盾しないか。
  3. その史料の形式や内容が、それに関係する事に、発展的に連絡し、その性質に適合し、蓋然性を持つか。
  4. その史料自体に、作為の痕跡が何もないか。

    参:「歴史と証明・理論編」 (私が今井著『歴史学研究法』を、一般流通用にレジュメ化したもの)
      http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/rekisitosyoumei.rironnhenn.html
        (史料批判T 外的批判(1)偽作でないかどうか(真贋の検討)より、部分 )    

井家又一日記は、秦『南京事件』p281によると、秦氏が二人の元兵士から手渡された、ということになっています。
また、南京戦史資料集では17点もの日記が掲載されております。(他の本に掲載されている日記も多数)

戦時中は厳重な検閲で国内に事件の情報を持ち込めなかった、
だから、日本人は知ることができなかったのだ、と、言われています。(秦著、また笠原十九司著の新書)

しかし、ではどうやって日記を持ち込んだのか、その方法は?となると、
誰も調べようともしなかった、という不思議もあります。

(もしそういうことがあったなら、厳重な検閲とは逆に、抜け道が非常に多かった、ということになります。

 情報管理が気になる方なら「突き止めるべき重要事項」であるはずです。
 戦前の検閲厳重を強調する立場なら、どうくぐりぬけたのか、を、まず気にしなければならないはずです。

 それなのに、誰もがこの問題を無視しているのは不思議です。)

p191の中島今朝吾日記はカタカナの連綿です。
カタカナなら読み違いはないはずと思って読もうとしましたが、
読めないものを読んでいる部分がありはしないかと、気になりました。

p289の宇和田日記も疑問に思っております。写真版「宇和田日記」
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbannuwatayaitinikki.html

また、戦闘詳報などの公文書は、米軍押収後に、マイクロフィルムで返還されたものが数多くあるようです。
(歴史科学協議会編『歴史科学入門』三省堂1986年、p186藤原彰筆)

どれがマイクロフィルムなのか、私が見た限りでは特定しないようです。
しかし、史料が本物かどうかを確かめる、という、第一歩の作業手順からしたら、
旧敵国からの返還物の利用には、細心の注意が必要であることは、言うまでもないことです。
ここでも基本を無視しているのは問題です。

また、吉見義明先生にも疑問があります。

『現代歴史学と南京事件』柏書房p194に、
吉見義明先生の「南京事件前後における軍慰安所の設置と運営」という論文があります。



ここに、吉見先生が古書店で購入した「渡辺進軍医大尉日記」というものが、
大幅に引用されています。しかし、真贋の検討について全く触れないままです。

そもそも、『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』教育史料出版会1997p190で、
「渡辺春己弁護士」が、「吉見義明先生」を相手に、今井登志喜『歴史学研究法』を語っています。

そこで渡辺弁護士は、今井「史料批判」の中の、内容を検討する部分で、「錯誤」だけを説明し、
後半の「虚偽」の可能性の部分を「省略」して紹介しているのです。

何を省いたかと言うと、以下のような説明です。
  [虚偽の例]
     1、自分あるいは自分の団体の利害に基づく虚偽
     2、憎悪心・嫉妬心・虚栄心・好奇心から出る虚偽
     3、公然あるいは暗黙の強制に屈服したための虚偽
     4、倫理的・美的感情から、事実を教訓的にまたは芸術的に述べる虚偽
     5、病的変態的な虚偽
     6、沈黙が一種の虚偽であることもある

  事件の当事者の報告は、その事件を最もよく把握している人の証言だ、
  という意味では最も価値がある。

  しかし一方、当事者はそのことに最も大きな関心を持っているために、
  時として利害関係・虚栄心などから、真実を隠す傾向がある。

  この点においては、第三者の証言の方が、信頼性が高くなる。
  錯誤はなくても虚偽が入るのだ。    (当事者報告の虚偽の可能性)

    *参考:「歴史と証明」理論編(私が今井「史料批判」を一般流通用にレジュメ化したもの)
      http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/rekisitosyoumei.rironnhenn.html
        (特に史料批判U 内的批判 [虚偽の例])

この本でわかるのは、渡辺弁護士が今井登志喜『歴史学研究法』をよく知っていることです。
                   
吉見先生ご自身が読まれたかどうかはわかりませんが、
渡辺弁護士が、今井「史料批判」を知りつつ、他のメンバーには、その内容を「解説していない」、ことはわかります。

具体的に明文化されている論点が既にありながら、公開の場で「他者に対して隠す」という行為は、不誠実の極みです。

そして、吉見先生はその後、古書店から買った元軍医の日記を、真贋の吟味抜きで引用しているのです。

吉見先生が、真贋に疑問があると承知しつつ、論文に軍医日記を引用した可能性が、ないわけではないと思うのです。


林博文先生は、慰安婦問題で新たな資料を発見されたそうです。

しかしその報告の仕方には、歴史研究の基本が抜けていると、私は思うのです。
それを指摘する人もいない、というのが気になります。

つまり、戦争当事国同士の情報戦の一環として捉え、
史料の「偽作」、また内容に「虚偽」の可能性があるかないか、という論考を添えるのが、
歴史学者としての良心的な姿勢というものです。

戦争当事国同士では情報戦を予想し、歴史学者としては、
ストレートに証拠として扱うわけにはいかない、ということを、了解事項とするべきではないでしょうか。

以上、このように、靖国神社に近い、元陸軍将校たちの団体が、その真贋判定が非常に奇妙に思われる、
南京大虐殺証言日記という文書群を発掘?(捏造加担?)して、
社会に流している、ような気がするのは不安です。

また、従軍慰安婦問題専門家も、偽作文書を流している可能性があるのではないかと、不安です。

それを、政府・メディア・出版界・教育・学会・裁判等を通して、一般社会に拡大拡散しているような気がするので、
非常に不安に思っています。

私の疑惑について、反論がいただけるなら大変ありがたいです。



追伸:拙文「歴史と証明・理論編」
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/rekisitosyoumei.rironnhenn.html

の文では、私が説明に使っている「物質・物質世界」について、
私独自の考え方を、リンク先に説明してあります。

素朴な科学知識による説明ですが、ここは哲学の分野に該当すると思います。
私の考え方は、素人的ですが、一般向けには説明しやすいと思います。

哲学的にここがおかしいというようなことがありましたら、
この点でもご意見をいただけたら、と思っております。