私の仕事内容 2012.3.2
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1、「ものの見方の始めについて」唯物論の再考
私の仕事で一番肝心なものはこれである。
自分が生きている世界をどのように捉えるか、私はそこから出発した。
自分の原点は、子供の頃のイメージを表現したものでないと、正直とは言えないだろう。
だから素朴なままで残さないといけないと思う。大人の目で見れば、いろいろあるだろうが。
2、「海部氏再考」
トップページはすべてこの問題に通じる。
3、「前方後円墳の時代と天皇家」(日本書紀の情報欠落と王朝交代の可能性)
1のテーマからすると、戦前の皇国史観の状態は、常に私の頭の片隅にあった。
私は、日本の礼儀作法の中にある「相手への思いやり」「美意識」など、とても大事なものだと思うのだ。
従って、伝統文化のすべてを否定するものではない。
しかしそれは相互の人間関係を言うのであって、
ある一定の一方的な人間関係の、強制・固定化を目指すものとは別である。
天皇家には遠慮があるとは言え、こういう場合も、
私は自分の人生の全うということを考えると、省略はできない。
これは私のテーマなのである。
4、「スペイン太平洋航路(マニラ・ガレオン)250年の疑問」
私が祖母の話を思い出した時、30年近い歳月が流れていた。
遠く離れたこともあって、郷里の動きには疎く、その暮らしのイメージは、昔と変わらぬ狭い圏内のものだった。
しかし私は、祖母の話から、江戸時代に関しては、漠然と密貿易のイメージを抱いた。
そのために、早くから「兵庫北関入船納帳」の海運情報に飛びついた。
それ以後、遅々とした歩みだったが、
増田義郎『太平洋ー開かれた海の歴史』集英社新書(2004年刊)を手にした時が、
精神的には、一つの画期だったと言える。
それまで存在しなかった、太平洋側を定期航行していた外国船がある、という確実な情報を手にしたのだ。
5、「今井登志喜『歴史学研究法』東大出版・全文」
最初の元の文は、昭和10年筆。旧字体だったのと、絶版になったため。東大出版の掲載許可済み、
6、「史料批判・要諦」
研究史が偽作・歪曲を疑うきっかけになることも多いと思われるのだが、その点がまだ書いてない。
7、『歴史と証明』
一般向けの「史料批判」説明。 上の「史料批判・要諦」の改訂版
8、「南京事件・元兵士の日記、偽作問題」
2010年から、いろいろなページにわたって書いてきているが
「河村たかし名古屋市長へのメール」で代表させておこう。
○論文:南京事件元兵士日記の偽作の証明に向けての一考察
古文書学会向けに一度提出して、不採用になったもの(そのまま)
幕末から昭和10年までの著名人174人の、生年代別筆跡(昭和10年刊・平凡社『手紙講座』より)
○一橋大学・社会学部あて「南京大虐殺・従軍慰安婦問題と今井登志喜「史料批判」
○左派講演者あて(2014年1月19日)
○研究者たちがスパイでは?(2014年1月29日)
*東アジア国際情勢の流動化リスクについて
(2015年1月末から5月にかけて150ヶ所以上に送信したメール)
9、「なでしこアクション」へのメール
南京大虐殺捏造疑惑について、4人の関係者についての疑問
10、「江戸時代から現代まで、文字の移行問題について」
「くずし字」・「候文」についての、自作の辞書的説明文を挙げておこう。
「現代の字や文章の書き方」と、「江戸時代の他者向け情報発信文」との間には、
いかなる関係があるのか。
江戸時代の文字生活とはどのようなものか。
11、『千年文字かな』原稿と資料