江戸期の気になる史料(2)

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      寛政11年(1799年) 徳島藩の海部支配について


これは昭和46年刊『海部町史』p151では、
「佐和郡代の悪政」という1項が設けられている時代の史料である。

郡代佐和滝三郎の悪政に、百姓たちが造反して成功した「享和の逃散事件」(享和元・1801)となっている。

海部は江戸時代、御蔵地であったため、藩直属の代官が支配した。(『海部町史』p60)

国立史料館編『徳島藩職制取調書抜下』の史料は、
ちょうどこの佐和滝三郎が、郡代に指名されたところから始まる。

その中に「御郡代被 仰付候以来棟附」がある。「御郡代被 仰付候以来棟附」原文

「棟附」とは、今で言えば戸籍のようなものである。身分を書いてある。

その中に、「御家老方始め、諸士家来」、「諸士譜代家来」というような言葉が、しきりに出てくるのだ。

百姓や水夫が、筋目を偽って、御家老方始め諸士家来等になり、不埒に構えていると聞くが、
これらの者は御法のとおり、もともとの身分に引き戻すようご命令ください。(p411)


何?と思うのだが、この実例が『海部町史』に出てくる。

『海部町史』p122 大井村
享保12年(1727年)「棟附諸士御譜代帳」

「一壱家  森甚五兵衛様御家来  伝次兵衛
 壱人          同人弟    伝七
一壱家   同断            吉平     」

どう見ても百姓のように見えるし、
森甚五兵衛というのは、『海部町史』p65によれば、
1592年の朝鮮の役(文禄)の、阿波水軍の総帥の弟の名前と同じ。


***以下は京都府立総合資料館 文献課からの情報

徳島県 譜代家来』で検索すると、以下のサイトに、百姓が武士身分を持っていたとの記述あり。

「脇町猪尻役所の稲田筋目書」
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/19/1921.htm

この記事が収録された雑誌『郷土研究発表会紀要19号』は徳島県立図書館で所蔵

      *筆者注:稲田家は、庄屋五人組本百姓を家来として起用していった、ということが書かれている。
        これは、上層部によって、百姓が武士身分に引き立てられた、「公認」の事例である。


佐和滝三郎については、以下の資料あり。

・『地域社会史への試み』(高橋啓先生退官記念論集編集委員会編刊 2004年刊):この中に「改革の理想と挫折−徳島藩寛政改革と佐和瀧三郎一件−」という論文が掲載されています。
・『史料集 1』(徳島の古文書を読む会編 徳島県立文書館 1994年刊):この中に佐和滝三郎関係の文書が収録されています。

上記資料はすべて徳島県立図書館で所蔵

    *筆者注:まだ確認していない。海部町史が悪代官と言っていたものが、改革者に変わっているので、この落差に驚いている。