「しまった(志満っ多)」があり得ない理由     
                                           (20200213)

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論文には書いてないが、漢字の意味が「こころざし満つること多し」である。
書き手の気持ちを考えると、「めでたいなあ」なのだ。


下段本文の戦争中の状況や虐殺行為を書いた活字文を読んでいて、
目を上段の行草書変体仮名の日記に移し、文中の「めでたいなあ」を見ると、仰天するのだ。

「しまった」を変体仮名で書こうとすると、仮名の元の文字で表記すると、「支末っ太」などとも書くことができる。
失望・疲労・不幸な気持ちであれば、「支末っ太」の方がましである。

それに、文章で変体仮名を使う時は、文語文であるべきである。
「しまった」というような口語文では、このような変体仮名はあり得ない。

たとえば、12月も中を過ぎ去りぬ、とか、12月も中を過ぎ去りたり、とか、
こういう文で変体仮名は出てくるものなのである。


            論文に「感じ」というものが書けるかなあ、「感じ」というのは説得力があるのかなあ、
            と迷ったために、論文では書き落としたので追加する。

この井家又一日記は、元々、秦郁彦氏が元兵士2人に会って、手渡された日記の内の一つである。(秦『南京事件』p281)
これは、草書解読技能者によって解読され→現代表記に直され→活字になって→『南京戦史資料集』という本で公開された。
             (こうした作業を経て現代表記に直された文からは、元の現物文書が持っていた奇妙な部分が、ほとんど消える)

『南京戦史資料集』は、元陸軍将校団体である「偕行社」という所が発行した。この偕行社は、靖国神社敷地内にあるものである。
「南京事件を否定する右派」もその権威を信用する、ような団体から出された。

その『南京戦史資料集』には多数の日記を含む資料が掲載されている。
例えば以下のようなものである。これらは、南京事件があった、という証拠として、必ず引用される基礎的な文献とされていた。

                         偕行社『南京戦史資料集』の日記

南京事件「あった派」の笠原十九司氏の『南京事件』岩波新書1997でも、延々と、この『南京戦史資料集』を引用して記述が進む。

しかし、井家又一日記一点一文だけとはいえ、疑問点は、論文にあるように多大である。
その多数の疑問点を全く指摘しなかった専門家は、専門家のふりはしているものの、
ニセモノと知りながら握りつぶした、ニセ情報工作者である。

そういうニセ情報工作者が関わってできた『南京戦史資料集』は、もはや詳細な検討抜きには、資料としては使えないだろう。

また、ニセ日記を直接受け取ったと書く秦郁彦氏も、その判断力に疑問が出るし、
そもそも、専門家を称する秦氏も、疑惑の人物ということになるだろう。


偕行社で専門家として辣腕をふるっていた人物に、「あった派」で、南京事件調査会メンバーで、
終戦時に本土決戦大隊長という大役を担っていた元陸軍将校で、東大史学科を卒業された、一橋大学名誉教授・藤原彰氏がおられるのである。

実名を挙げて1万か所に送信してきたけれど、反論なし。