今井登志喜と林健太郎
NOTE
私は、大学1年の時に今井登志喜『歴史学研究法』に出会い、大学2年の時に林健太郎『史学概論』を手にした。
今井の本をテキストに指定した先生は、「塩尻峠の合戦」の、史料解読と史料批判の実例の解説を、されただけだった。
要するに、前半の理論部分には全く触れないで終わったのである。
ところが、私が気になったのは、前半部分だった。
触れられなくても、前半は一同の共有認識なのだろう、という認識でいた。
大学2年の始め、林著を手にした。
そこに、自然科学は歴史学ではない、
歴史学は自然から区別された人間の事物を研究対象とする、
天体の歴史、人類発生以前の地球の歴史は歴史学に含まれない(p7・8)、
と書いてあるのを見て、私はまさに仰天して青くなったのである。
その理由は、私が、高校時代にすでに、自然科学から得た知識を元にして、
自然の中の人間の歴史、という世界観を築いていたからである。
その概要は、以下のページにある。 「物質世界と人間」
また、拙著『ものの見方の始めについて』(2011年改訂版)にも書いてある。「元東大総長が書いた東大教科書との衝突』
林著は全く個人的な出会いだった。必要を感じて見回したら、そこにあった、というものである。
『史学概論』は東大の教科書と書いてあった。
林健太郎は?と気にしていたら、雑誌に前東大総長と出てくるのに気がついた。
〔今井登志喜・林健太郎・遅塚忠躬〕
*** 東大西洋史「史学概論」講義の系譜***
大学2年時、林健太郎著『史学概論』を手にしたとき、
そこに今井登志喜『歴史学研究法』が出てくるのを知った。
林著『史学概論』の「はしがき」(p4)に、歴史研究の技術論の本として、
ベルンハイムの邦訳書とともに、
近年の「手頃な本」として、今井著が紹介されている。
また、第3章「歴史学における批判的方法」(P24・2行目)に、
「私は以下、主としてこの書物、今井『歴史学研究法』によって、それ、史料批判、を説明する」
という風に、紹介されている。
少し調べると、今井登志喜と林健太郎が、ともに東大の西洋史らしい、とはわかった。
林著でこのように今井著が紹介されているのを見ると、きっと師弟の関係だろうと予測はついたが、
一体どういう関係なのかは、近年までわからなかった。
今井と林が戦前の東大で極めて近い関係にあったと知ったのは、
立花隆『天皇と東大』(文芸春秋・2005年)による。
この本の下巻565ページあたりに、大内兵衛擁護の秘密会議なるもので、
今井の研究室が秘密会議の場になっていたことを、当時副手であった林が証言する、という形で出てくる。
秘密を共有するという親近さなのに、林著による私の衝撃は、尋常ではなかった。
林氏の中で、今井著はどうなってしまったのだろう。
林著の中で、今井著は確かに紹介されているのだが
(『史学概論』P4「はしがき」に「手頃な本」、
p24・2行目、「私は以下、主としてこの書物、今井『歴史学研究法』によって、それ、史料批判、を説明する」など)、
今井の言う「本体的整頓」と「論理的整頓」による理解というのは、なくなってしまっているようである。
ちなみに林著『昭和史と私』文春文庫を見たら、唯一「今井先生」と呼び、授業はおもしろかった(p82)、と書いておられる。
この二人の間にも、時代の激変が横たわっているに違いない、という点は疑いのないところだろう。
ただし、立花隆『天皇と東大』の膨大な参考文献には、今井登志喜『歴史学研究法』は登場しない。
今井は『歴史学研究法』の中で、天皇神話相対化の話ではないかと思われるようなことも言っている。
しかし、立花氏の本は、タイトルがその名も「天皇と東大」なのに、
膨大な参考文献の中に、この今井の本が出てこない。不思議な話である。
東大出版では、2000年頃?に、今井の『歴史学研究法』は絶版となった。
それなのに、2010年刊行の遅塚忠躬『史学概論』東大出版では、
史料批判の参考文献として、
絶版本の今井登志喜『歴史学研究法』が紹介されているのである。
これも不思議な話である。