ゴーレス

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的場節子著『ジパングと日本』p79以降には、東南アジアで「ゴーレス」と呼ばれた、
二本差の刀剣を帯びて、大量の刀剣をもたらす人々についての考察がある。

的場氏はあれこれ検討の上で、結局、「ゴーレス」とは琉球人であろう、と結論している(p98)が、

私は、日本人ではないか、という疑念が払拭できない。

ポルトガル人アルブケルケが、1511年にマラッカを占領した時、ゴーレスと呼ばれる一群の人々を知った。

的場氏はそのコメンタリオスの記録を「要点抜粋」している(p80)が、

大航海時代叢書トメ・ピレス『東方諸国記』補注十(p573)には、全文らしいのが掲載されていて、

それを読んでいると、雰囲気が、統率された武士のような気がしてならないのだ。
                       
的場著には、
琉球人とゴーレスは同じである、とする史料と、
琉球人とゴーレスは別である、とする史料と、二種類あるが、

同じであると言っている史料に、武士臭さを感じる内容のものが含まれている。
         大航海時代叢書 トメ・ピレス『東方諸国記』 補注十 「ゴーレス人に関するコメンタリオスの記述」(p573)

琉球人とゴーレスは別である、とする史料には、

ポルトガル史料の一節と、
マゼラン遠征隊ジェノバ人航海士の記録がある。(的場p82)

過去にポルトガル王国側から極東に行き、マラッカに滞在したマゼランが、
マラッカで買ったマレー人従僕を、1521年のスペイン側からの遠征隊にも連れて行った。

そのマレー人従僕が通訳をしていて、その通訳を経由して残されたマゼラン遠征隊記録に、
琉球人とゴーレスは、別のもの、として出てくるのだ。