語句解説:
小川『足利一門』へ戻る 山川『徳島県の歴史』へ戻る
引付(ひきつけ):
鎌倉・室町幕府の訴訟機関。1249(建長1)鎌倉幕府五代執権北条時頼の時、裁判の迅速・正確化を目的として設置。
引付頭人が引付衆(4,5名)および個々の訴訟を分掌審理する引付奉行人(右筆、4,5名)を率いて一つの引付を構成する。
引付の番数は3番(のち5番)で、一ヶ月の内日数を分けて訴訟を審理する。鎌倉のほか六波羅にもおかれた。
引付の審理の対象は創建当時では御家人訴訟であったが、のち土地・年貢などの処務沙汰を対象とするようになった。
引付頭人(ひきつけとうにん):
引付衆の頭人。
鎌倉幕府では評定衆中、北条一門3人が選ばれて兼帯し、
室町幕府では足利一族・吉良・石橋・山名らの大名が正頭、摂津・二階堂・伊勢らが権頭となった。
評定衆(ひょうじょうしゅう):
鎌倉・室町幕府の職名。
鎌倉幕府では1225(嘉禄1)三代執権北条泰時が創設。
執権とともに評定所において裁判・政務を合議裁決した。
幕府の最高職で、政所執事・問注所執事・引付頭人はいずれも評定衆の兼務。
人員は15名程度で、北条氏一門か、大江・清原など明経・明法・文筆の家や
三浦・千葉・佐々木などの有力御家人から任命された。
室町幕府は1336(延元1・建武3)建武式目を制定して鎌倉幕府の制を採用したが職制化はされず、
応仁の乱以後には衰退し、戦国時代に及んで廃止された。
角川『日本史辞典』より