咸臨丸を追い越すアメリカ商船 2012.3.12.
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ネット検索で見つけた「咸臨丸子孫の会」に問い合わせたところ、
小杉様から以下のような情報を頂きました。
○ 「咸臨丸太平洋横断は、
ポーハタン号随伴艦という立場ながら
サンフランシスコへ先に到着させたい思いもあって
ブルック推奨の大圏航路を選択しています。 (私注:ブルックは咸臨丸に同乗していた米軍関係者)
航海中に大陸からサンフランシスコへ向かう商船に抜かれた記録
がありますから、大圏航路が既に一般化されたルートだと思います。
ちなみに、その6年前の日米和親条約締結において、
サラトガ号が大圏航路経由で締結書類を本国へ持ち帰っています。」
次いで、その出典情報を写真版付きでいただきました。
昭和13年刊・文倉平次郎著「幕末軍艦咸臨丸」復刻版 (咸臨丸を追い越すアメリカ商船)
○「昭和13年に出版された文倉平次郎著「幕末軍艦咸臨丸」の復刻版136〜137頁
を添えますので2月7日のところをお読みください。
以下がその概要です。
2月7日、風弱く進まず。
朝より船尾に三本マスト船を見、次第に近づくと米国旗を揚げていた。
4910信号旗を揚げたので5472信号旗を揚げて日本軍艦であると答えた。
両艦間近に接近してブルックがメガホンで問い、
香港からサンフランシスコへ向う米国商船と判明した。
(サンフランシスコ到着後にフロラ号と判明)
2月7日とは安政7年2月7日であり、西暦1860年2月28日(火)にあた
ります。米国は1860年2月27日(月)となります。」