フィリピン・琉球・日本と、黒潮をたどる海上交通路について
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阿波海部は海部刀の産地である。
古刀期(慶長以前)の刀工の名前は、『阿波海部刀の世界』2007年によれば、57名。
「岩切海部」の異名をとる「阿川氏吉作」の刀は、三好長慶旧蔵・黒田家伝来の享保名物帳所載の重要刀剣である。
しかし海部刀の由来や材料や生産目的など、周辺部分は、まだ明確とは思えない。
海部氏と室町政権との関係を示す史料など、広域向けには、このホームページくらいしか、記載がない。
(注:海部氏の中央政界との結びつき)
また県外向けの広域文献に掲載されず、県外研究者の目に触れないことで、歴史的位置が明確でない。
しかし中世では、日本刀は重要な交易品目である。
タイトルにそぐわぬ、海部産の日本刀の話から始めるのは、
日本刀が、海外貿易で重要な役割を果たしたからである。
遣明船貿易での、国王(つまり将軍)の貿易品として、日本刀は、わかっているだけで相当な輸出量である。
(注:遣明船貿易での日本刀)
しかし日本刀は、琉球経由でも輸出された。
そして、スペイン人の記録によれば、1565年にフィリピンにやって来た日本人は、日本刀を持ち込んだ。(的場著p96)
的場節子著『ジパングと日本』では、それまで、琉球人と「交易品としての刀剣」の関係を、いろいろ言及している
(第3章 「南蛮金と日本刀交易」p76〜)のだが、
スペイン人がフィリピンで遭遇したのは、レケオと呼ばれる日本刀を持った日本人なのである。
日本刀がレケオあるいはリキウと呼ばれたのは、それを運ぶ商人が、琉球人だったからである。
つまり、南海交易圏では刀剣需要があって、琉球人がそれを運んでいたのだ。
しかしスペイン人が、1521年のマゼラン到着以来、再々の太平洋横断挑戦のあげくに、1565年にフィリピンにやってきた頃、
スペイン人の目には、レケオ・リキウと呼ばれる上質な刀を持って来る者は、琉球人ではなくて、日本人だと、
はっきり認識されたらしい。
1521年にフィリピンに到着したマゼラン遠征隊の記録では、
「年間6隻か8隻の琉球船がルソン島を訪れる」とある(的場著p92)
(あるいは大航海時代叢書のマゼラン遠征隊の記録では、琉球ではなく、レキーとなっているそうだ。某先生情報。
「レキー」と訳された方は、これを琉球と認識していなかったということだろう。某先生も、琉球船はフィリピンには
行っていない、と言っておられたのだが、実際、他の本には載っていない、認識修正となったと思う)
これから見ても、1521年から1565年の間に、日本人がフィリピンに来るようになっていたのがわかる。
「1565年のファン・デ・イスラ報告は、ミンダナオ島の産金情報とともに、日本人の進出を伝える。
同報告は、ブトゥアン川やスリガオ川(いずれもミンダナオ島北端)の大量採金、
ルソン島の河川における金粒など、各地の産金情報を報告した上で、
原住民は非常に貧しいが、金を産しない島など、聞いたことがない、と伝える。
また、ルソン島には琉球人や日本人相手の交易に従事するモスレム(イスラム教徒)が居住し、
北方の銀産地である日本からルソン島に渡来する者は、中国絹などを購入する。
そして、勇猛な日本人はレケオ(琉球)と称される上質で片刃の刀剣をもたらす、などと報告されている」(的場著p180)
上記の文を読むと、レガスピやウルダネータがやってきた1565年より前から、ルソン島には、日本人が来ていたように見える。
この日本人はどこから来て、どこで生産された日本刀を持ってきたのか。
琉球経由で情報を手にし、やってきた日本人。それは、南海路ルート上の日本人が、可能性が高いだろう。
1523年には、寧波の乱が起き、日明貿易は大内氏が独占、細川氏は締め出されるという事態が発生した。
締め出された勢力が、島伝いに東方の南下コースを選ぶ可能性は高い。
その南海路上の大名というと、どういうものか、豊後大友・土佐一条・薩摩島津になるのだが、
(的場著p139〜では、スペイン人の記録の中の日本人を考察するために、南海路交易に関係した人物や事件が述べられている)
海部も、堺・土佐沖・琉球を結ぶ南海路の途中にあり、兵庫北関入船納帳では太平洋側ダントツ1位、
細川氏との関係も、1352年東寺百合文書以来の長きにわたり、
はたまた、県内のみに情報が押さえられているという、疑問だらけの状況のなかでは、
大いにその可能性を考えるべきだと思うのである。 (参:「海陽町の歴史記述の問題点」)
海部の人が直接出かけたというよりも、
琉球経由で出かけた日本人の冒険商人に、海部情報や海部刀を託した、
その日本人冒険商人はまた、島津・大友・一条などの情報も持っていて(琉球情報は勿論のこと)、
さらに、太平洋側の黒潮情報と、東へ向かう風についての情報も伝えた、
と考えれば、可能性がより高く見えてくるのではないだろうか。