万次郎大航海記
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下記リンクから、万次郎が世界中を航海した様子が見られます。
1815年に、スペインによる北太平洋航路独占が終焉を迎え、
1840年代には、日本近海を、当時のアメリカ船が自在に航海していたことがわかります。
万次郎自身は、北太平洋航路(旧スペイン太平洋航路)を使っていませんが、
その航路開拓としては、1860年の咸臨丸以前に、
すでに充分な実力を備えていたことが推察できる、航路図であると思います。
(画像が開くまでに、一手間かかります。
150パーセントくらいに拡大すれば見やすいでしょう。)
万次郎大航海記.pdf へのリンク
注意:上記画像は、許可申請を提出した上で、土佐清水市産業振興課様より、
メール添付画像で送っていただいたものです。
画像説明にありますように、ジョン万次郎資料館では、
3メートル60センチ×1メートル3センチで展示されているものです。
以下に、動乱と躍進のアメリカについて、記事を並べておきます。
鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルト(1794〜1877) ○初期は海運で鳴らした。*ヴァンダービルト家
鉄鋼王アンドリュー・カーネギー (1835〜1919) ○1848年に、スコットランドから渡米。
金融王ジョン・ピアポント・モーガン (1837〜1913)
石油王ジョン・D・ロックフェラー (1839〜1937)
ヴァンダービルト以外は、南北戦争の頃に20代。この動乱期にうまく立ち回って資本を築き、
戦後のアメリカ産業の未曾有の成長期に、億万長者へとのしあがった。
アメリカでは「王」よりもむしろ「強盗貴族」と呼ばれることが多い。
こういう成金たちが一世を風靡した南北戦争後から19世紀までを、
アメリカ史では「金メッキ」時代と言う。
(『カーネギー自伝〕中公文庫・解説より。ただし、カーネギーは違う、という話の中で。
カーネギーが52歳で初めて結婚した女性の姓が、「ホイットフィールド」なので、
ジョン万次郎を救出した船長と関係があるのかないのか、気にしています。)
1841年、ホイットフィールド船長36歳(1805年生まれ)
ジョン万次郎 14歳(1827年生まれ)
1848年、カリフォルニアでゴールドラッシュ
1851年、ジョン万次郎、琉球に帰還
1853年、ペリー来航
1861年〜1865年、南北戦争
1868年、明治維新
『風と共に去りぬ』は南北戦争前後の時代だし、
NHKが放送していた『大草原の小さな家』は1870年頃から1890年頃までの話なので、
これも金メッキ時代と同時代なのである。