『ものの見方の始めについて』2011改訂版・1、戦争の影と世界観
1、戦争の影と世界観
〔戦争の影〕〔人はなぜ戦争をするのか〕〔未来の核戦争〕〔世界史〕〔戦争〕〔戦争の中の生き方〕〔正しい考え方〕
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私が生まれたのは昭和30年(1955年)である。
これは、敗戦から10年という年に当たる。
自分の日々の成長の中に、戦争の名残と、それらを払拭前進する動きが、
共に混じっていたような気がする。
〔戦争の影〕
私が10歳の頃、父が珍しく大きな布張りの本を二冊買った。
『報道写真に見る昭和の40年』と『読売新聞に見る昭和の40年』(共に読売新聞)である。
後者は当時の新聞の縮刷版だった。
新聞の縮刷版には、戦前の、現在とは逆方向の右から左へと流れる見出しや、広告や写真があった。
それは、私が知らない戦前の世情を、如実に伝えていた。
満州事変。真珠湾攻撃。玉砕。そして原爆のきのこ雲の大きな写真。被害を伝える
大きな写真。敗戦で皇居前広場にひれ伏す民衆。天皇とマッカーサーの写真。極東軍
事裁判。あるいはまた、ヒトラーやムッソリーニの、台頭と自殺。
私が他の人と何処が違うのかと考えたら、この二冊の本の影響が思い浮かぶ。
これらには、普通の女の子の暮らしではあまり見るものとも思えない、
激烈な戦争と社会の変化が、リアルに踊っていた。
そしてこれが、私を、一気に、危険な世界という認識に導いたのだと言える。
なぜ人は戦争をするのか。
学校の先生も、当時は戦争推進の立場だったらしいことは、
いろいろな情報でなんとなく知れた。
これでは、学校の先生も、まるごと信じていいのかどうか、わからないような気がした。
女友達たちが、にこにこと屈託なく楽しそうなのに、
自分は心の中では、彼女たちと一線を画している。
どうして彼女たちが心の底から楽しそうにしていられるのか、
わからない自分を感じていた。その光景を、妙にくっきり覚えている。
〔人はなぜ戦争をするのか〕
小学校に1枚の世界地図があった。
私は、この地図の中でも、究極の高みと平地の自分という、
強烈な視点移動というのをやってみた。
−−−これは本当の世界なんだ。
そして昔は、世界は二つに分かれて戦争をしていた。
なぜ人は戦争をするのか。
地図を見ながら、非常な高みからの視点と、平地の自分の暮らしを対比する。
こういう空間的な世界では、人というのは、みんなバラバラで平地を動き回るように見える。
個体というのは、独立しているのだから、当然である。
しかしながら、それなら、戦争のような同じ目的のために、一斉に協力して行動するのはなぜか。
上空から見たような、空間感覚で考える人体相互のバラバラ感と、
一致協力の標語とは、どうもかみ合わない。
しかしそれでも、理由が考えられないわけではない。
平地の自分の暮らしで考えると、みんないろいろな情報のやりとりをし、
言葉を交わして考えを伝達している。
これが、その理由の第一にあげられると思った。
体が独立していていも、人は一人で生きているわけではない。
物のやりとりや言葉のやりとりで、人は相互に関係があるのだ。
究極の高みと平地の自分という、強烈な視点移動。
そして、周囲の多くの人達も巻き込まれた、敗戦をはさんだ激動の世相。
この意識経験は、私の世界認識に大きな影響を与えた。
〔未来の核戦争〕
そうした時に、さらに私の心に、未来の核戦争勃発についてイメージを与えた本がある。
それは『地底のエリート』(創元推理文庫・シェール著)という本だった。
私がこの空想科学小説を手にしたのは、小学校5年の終わりの頃だ。
下宿していた兄が、たった一冊家に残していったものだった。
後に兄は、百冊はあるかと思われるS・F小説、時代小説、歴史小説の文庫本を家に持ち帰る。
しかし一年間は「地底のエリート」一冊だった。
これが、全地球規模の核戦争勃発をテーマにした本だったのである。
小学校5年では、冷戦などという言葉はまだよく知らなかった。
しかし、昔の戦争を知れば、未来に起きそうな戦争の話も、
こわごわ手さぐりしてみる年頃だった。
本の話は、米ソ冷戦を背景としつつ、
両者が微妙に安定した関係を築いていた状況から始まる。
その安定関係の一方の主役のアメリカ大統領が、ある小さな事故で退場をよぎなくされ、
大統領代行が任に当たることになる。そこから話は始まるのだ。
本の中では、全面核戦争の勃発は、ソ連の核弾頭の誤発射?と、
それに対処する大統領代行の、心理状況による判断ミスが原因となっていた。
本の中で核戦争が始まった時、私は本当にたまげてしまった。
私にはそれは、決定的な失敗に見えた。
ーーーあほじゃないだろか、こんなことするなんて。
しかし私に、皆仲良くしなさい、他人に思いやりを持ちなさい、平和はとても大事です、
と、教えているのは大人なのだ。
大人がこんな決定的な失敗をするなんて、まさかそんな馬鹿なことがあるわけがない。
そうだ、これは小説なんだから、と、本の世界から抜け出してきてほっとする。
(最初は戦争勃発までしか読めなかったと思う) 地底のエリート
日本が戦争をしたのも、日本に核爆弾が落とされたのも事実だった。
そんなことは、しっかりこうだと言われなくても、子ども心にもぼんやりとわかっていた。
しかし小学5年のその頃は、今は違うんだ、平和な社会なんだ、という思いのほうが強かった。
だが、核爆弾の威力と、広島・長崎の悲惨と、放射能の影響力についての知識も、
その後の成長過程で次第に内容に厚みが増した。
S・F小説には出てこなかった、想像を絶するむごたらしさの方が現実であり、
それに核戦争の勃発を重ねると、
そのむごたらしさは即座におのれのものでもあるのが理解できた。
第二次世界大戦後も20年以上を経過して、
いまだに冷戦と称して核装備の増大に努めている現実世界の方が、
虚構であったはずのS・F小説に似ているのだった。
私は、中学高校と、「冷戦」という状況を知識として知る中で、
この『地底のエリート』を何度となく読み返すことになった。
宇宙が誕生し、地球ができて、生命が誕生し、人類が生まれた。
古代文明が発祥して以来、幾多の文明の興亡を見てきて、第一次・第二次の世界大戦を経た。
そして今は、地球を破壊するほどの核を満載した時代なのだ。
その未来は何なのか。全面核戦争勃発による、人類の絶滅だろうか。
−−−まさかと思いつつ、冷戦が続くのが非常に不気味であった。
〔世界史〕
このように私は、高校で本格的に世界史を勉強する前に、
すでにいろいろと、独特なものの見方を身につけていた。
祖母の一言で始まった究極の高みの視点は、
兄が持ちかえったSF小説のおかげで、
「宇宙空間に浮かぶ、地球という惑星の上で起きる人間の歴史」
という考え方を自然にした。
高校世界史。
それは、わずか数年で人類史のすべてを見渡そうという、気宇壮大な試みだった。
私はその心意気を常にわがものとして世界史を学んだのだ。
そこで自分が手にしたものは心地よかった。
自分が生きる意味、自分が何であり、自分がどこにいるのか、
もう少しで何か見えそうな気がしたのだ。
文明の興亡や幾多の戦争。それにもかかわらず、生き続ける人間。
宇宙空間に浮かぶ地球という星の上で起きることとして世界史を考えていると、
歴史などより、「にもかかわらず生き続ける人間」の方がはっきり見える。
では歴史とは何であり、文明の興亡や幾多の戦争とは何なのか。
とりわけ、第一次、第二次と続いた世界大戦の悲惨を見、
今なお冷戦と称して不気味に核装備を拡大しつつある世界の中にあって、
それを問うことは自分にも大いに関係があると思われた。
たとえば第一次世界大戦前夜のヨーロッパ。
その厳しい緊張関係は、歴史として学べばきわめて明瞭に見える。
わかっていてなぜ突き進んだのかという疑問。
そして自分が常に把握しておきたかったのは、こうした国際間の緊張関係だったこと。
そうすることによって、自分の行動を自分で見極めたかったこと。
そこには明らかに、冷戦体制の中に生きることについての不安が投影されていた。
日本でも、満州事変勃発以前の世界、真珠湾、敗戦、戦後、と生きた、
知識人、政治家、教育者、文学者等の精神的流転の例は、枚挙にいとまがない。
何と考え、どのように生きるのか、間違いたくはないのだ。
そうした精神的激変は、歴史の勉強ではなく、
新聞でもテレビでも小説でも、あるいは身近な人々でも、
当時はいくらでもころがっている話だった。
〔戦争〕
今はまた冷戦下にある。
世界が二大陣営に分かれて、互いをにらみながら戦争の準備に怠りがない。
自分自身も、戦争前夜にいるかも知れないのだ。
父が買った読売新聞社の本は、報道写真や新聞の復刻版だった。
時代の証言という重みでは、単行本にまさるものがある。
新聞の論調を復刻版で知っていたというのは、単に、戦争の悲劇がありました、
ではすまされない何かを形成した。
片や世界史関連で手に入れるマスメディアなどの情報では、
アメリカやヨーロッパやソ連の側の、認識と画策を知るわけである。
私の中で、両者の、そして知るかぎりでの普通の人々の思いとの、
つきあわせが激しく行われることになった。このズレは何か。
戦争は恐ろしいものだった。空襲や原爆も恐ろしかった。
新聞の縮刷版や写真集がきっかけとなって、むごたらしい体験記を見る機会があると、
目が行ってしまう。そしてそれを日常として生きるとはどういうことかと考えてしまう。
空襲のただ中で、あるいは原爆の爆心地で、かろうじて生き残る自分を想像して、
いかに生き延びるかを考えてみた。
いかに生き残りを考えてみても、それは極端に偶然の要素に支配される世界だった。
状況が来てしまっては、生き延びる可能性は少ないのだ。
その次には、ではなぜそんな状況が来ているのかと考えてしまう。
想像している自分にとっては、なぜ周囲のみんなが戦争に向かってきたのか、
わからないのだった。
戦前の庶民は、みんな戦争は受け入れるしかないものだと考えているようだった。
自分以外の周囲が戦争を受容していなければ、自分がそんなところにいるわけがない。
周囲の人が皆、逃げまどいながらも戦争をやむを得ないものと受け止めている。
その中で、自分はもがいているわけである。
それは、現実に自分が生きている後の世界とは、全く違う世界だった。
戦後の戦争反対・権力批判の自由な世界とは、まるで違う世界だったのだ。
一人で戦争をしたいと思ったところで、他人が動かなかったら戦争にはならない。
みんなが戦争へと動いている社会というのは、不思議だった。
自分がそういう状況に向かう中で生きていたとしたら、自分の身を守る一番の近道は、
人がそんな方向へ考えないように努力することである。私はそう思った。
結局、戦争になったら生き残りは難しい、だから、戦争へ向かうことそのものを警
戒しなければならない、と、考えたわけだ。
それは、後の、民主主義を良しとする社会で呼吸している自分が、
空襲や原爆の下で逃げまどうことを想像して考えたことである。
戦前の庶民自身が、戦争を否定的に考えている状態というのは、想像しにくかった。
いきなり当事者になった人々は、逃げるのに必死で、
そんなことを考えている余裕は、ないようだった。
〔戦争の中の生き方〕
そういう私にとって、二冊の本の中で最も強烈な印象だったのは、極東軍事裁判で
絞首刑になった東条英機のことだった。
あるいは名を連ねて死刑になった政治家、軍人たちのことだった。
戦争中、表舞台で指揮をとっていた人々が、戦後になって殺された。
戦争に負けたから殺された。
多くの同胞を死に追いやり、異国の人々を殺戮して、あげくに負けて殺された。
原爆も恐ろしいが、これは個人的には降ってわいた災難だ。
その人の生き方、来し方にかかわるものではない。
しかし、ある時期、指導者として認められ、日本中の人々を動員して戦争に邁進させ、
人を従えていた人が、生き方、考え方が犯罪的だとして死刑になる。
それは個人の生き方として一体何なんだと考えてしまうのだ。
ヒトラーは戦争を起こした張本人として、その特異な主張・行為は個人的にも悪名が高い。
しかし東条が個人的に進めたとは聞かないので、
その人を指導者として認めていた日本の状況は何なんだ、
認められて推進して、戦争犯罪者として裁かれ絞首刑になる、
その自分の立場の、衆人環視の中で見方の逆転の起きる状況を感じつつ、
絞首刑という屈辱的な処刑に甘んじなければならない人生は、何なんだと、思うのだ。
もちろん間違ったから結果が出たのだ。
しかしこんな間違い方ってあるだろうか。
死にたくもないのに若い命を散らした、学徒出陣兵たちの話は有名だった。
しかし彼らは振り回された側であって、生き方についての選択の自由というのはない。
だが推進者には選択の自由がある。
旧時代の、戦争は勝てば良い、という考え方に即して考えたとしても、
自分で人の命をあやつり、戦いの状況を把握しながら、
負ける戦いを続ける間違い方というのは大きいと思うのだ。
しかもそれは個人の考えではなくて、多くの日本人の考え方にも由来しているということは、
終戦にいたるまでの日本人の意識を考えれば察することができる。
問題は、なぜここまでがんじがらめに一つの方向へ向かうことになったのかということだった。
戦国時代にも、日本人は戦争に明け暮れていた。
しかしその戦い方は、決して全滅を美徳としていたわけではなかった。
(実はよく全滅しているのだが、江戸時代以降の美意識に支えられた自決とは別のように思う)
ましてや、近代以降の戦争で戦う者は、武士ではなくて一般民衆である。
その人達が玉砕に突き進む。これはそれ以前の日本史にはなかったことだ。
だから第二次世界大戦中の日本人の対応というのは、
この時代だけの非常に特殊なものである。
その特殊さに囲まれて、東条英機という人も選択を間違ったということが、
私には気になったのだった。
いろいろ異論はあるだろうけれども、私は、中学・高校の頃には、こんな感じ方をしていたのである。
もちろん、普通選挙法と治安維持法が、抱き合わせで同時成立した、というようなことは、中学でも習う。
治安維持法がどれほど民衆を苦しめた悪法だったか、というようなことは、
この時代の話としては、頻繁に出てくる話だった。
それからすると、権力の強圧化という締めくくりがあるのが普通だと思われるのだが、
私は、するりとそのような改変が起きる、その土壌、つまり広範囲な人の意識の方が気になるのだった。
〔正しい考え方〕
時代が悪いというのはたやすい。
では時代が悪ければ、それに流されて間違ってもよいのか。
一人で抵抗するのは難しいことは見て取れる。
しかしみんなが正しい大枠というものを把握していれば、
そうはならないではないか。
時代を越えて正しいものはないのだろうか。
自分が学んだ民主主義も、戦前の日本ではどれほどの風当たりであったかは知っている。
人によっては、敗戦によって持ち込まれた外国思想であると、
公言してはばからないものだったということも知っている。
民主主義も、絶対正しい根拠というのは、なさそうなのが不安だった。
これがいいというのは、空気みたいに自然な思いだったが、
それにしてからが、理論的根拠というのは、そんなものなのだ。
あるのは思想の潮流だけである、時代の流れだけである。
果たしてそういうことでいいのだろうか。
日本全体がそれで過去に間違った経験をもっているのに、
もっと確実な思考のよりどころはないのだろうか。
間違わないような、少なくとも大きな間違いをしなくて済むような、
より大きなものの見方が欲しい。
誰もが正しいと思う思考法が欲しい。
戦前戦後の思想的混乱のことを思い返し、右だ左だ、資本主義だ共産主義だなんて、
騒がしい世相のことを考えていると、
誰もが正しいと考えることって何なんだろうと思われてくる。
自分が育ってきた道筋をたどってみる。
単なる意見や主張ではなくて、正しい、間違っていると、判定のつくもの。
そう、あったような気がする。例えば数学であり、自然科学だ。
複雑高度なものはいざ知らず、人が日常を過ごす中では、
これらは十分正否の判定を下してくれる。
戦前と戦後の社会の変化、価値意識の変動、人の口にする言葉の変化を考えていると、
私は、自己主張をしない科学知識にほっとするものを覚えた。
そこで私は、高校で勉強した知識を組み立てて、自然世界における社会の形状を、
つぶさに、なるだけ正確に描いておこうとした。
闇の宇宙に浮かぶ青い地球。
自分を含む人間は、この地球世界から出ることはできない。
そしてこの宇宙は、基本的には、
極小の粒子とエネルギーの世界と見ることができるだろう。
このようにして、高校時代の私は、自然の中に生きている自分、自然の中の社会、
というものを把握しようと努めたのだった。