ものの見方の始めについて
     ( 自作した『ものの見方の始めについて』という本の、元になった文章です。
      できあがった本とは、あちこち違う点があります。)

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1戦争の影と世界観 2005.2.28更新
                              
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私が生まれたのは昭和30(1955)年。敗戦から10年という年に生まれ、日
々の成長の中に、戦争の名残と、それらを払拭前進する動きが混じっていた。

〔戦争の影〕

私が10歳の頃、父が珍しく大きな布張りの本を二冊買った。『報道写真に見る昭
和の40年』『読売新聞に見る昭和の40年』(共に読売新聞)(後者は当時の新聞
の縮刷版である。)

そこには、戦前の、現在と違って右から左へと流れる見出しや、広告や写真があっ
た。それは、私が知らない戦前の世情を、如実に伝えていた。

満州事変。真珠湾攻撃。玉砕。そして原爆のきのこ雲の大きな写真。被害を伝える
大きな写真。敗戦で皇居前広場にひれ伏す民衆。天皇とマッカーサーの写真。極東軍
事裁判。あるいはまた、ヒトラーやムッソリーニの、台頭と自殺。

よく考えたら、普通の女の子の暮らしではあまり見るものとも思えない激烈な戦争
と社会の変化がリアルに踊っていて、これが私を、一気に、危険な世界という認識に
導いたのだと言える。なぜ人は戦争をするのか。

学校の先生も、当時は戦争推進の立場だったらしいことは、いろいろな情報でなん
となく知れる。これでは学校の先生も、まるごと信じていいのかどうか、わからない
ような気がした。

女友達たちが、にこにこと屈託なく楽しそうなのに、自分は心の中では、彼女たち
と一線を画している。どうして彼女たちが心の底から楽しそうにしていられるのか、
わからない自分を感じていた。その光景を、妙にくっきり覚えている。


〔人はなぜ戦争をするのか〕

小学校に1枚の世界地図があった。この地図の中でも、究極の高みと平地の自分と
いう、強烈な視点移動というのをやってみた。−−−これは本当の世界なんだ。そし
て昔は、世界は二つに分かれて戦争をしていた。なぜ人は戦争をするのか。

地図を見ながら、非常な高みからの視点と、平地の自分の暮らしを対比する。こう
いう空間的な世界では、人というのは、みんなばらばらで平地を動き回るように見え
る。個体というのは、独立しているのだから。

しかしそれなら、戦争のような同じ目的のために、一斉に協力して行動するのはな
ぜか。上空から見たような空間感覚で考える人体相互のばらばら感と、一致協力の標
語とは、どうもかみ合わない。しかしそれでも、理由が考えられないわけではない。

平地の自分の暮らしで考えると、みんないろいろな情報のやりとりをし、言葉を交
わして考えを伝達している。これが、その理由の第一にあげられると思った。

体が独立していていも、人は一人で生きているわけではない。物のやりとりや言葉
のやりとりで、人は相互に関係があるのだ。

究極の高みと平地の自分という、強烈な視点移動。そして、周囲の多くの人達も巻
き込まれた、敗戦をはさんだ激動の世相。この意識経験は、私の世界認識に大きく影
響を与えた。

〔未来の核戦争〕

そうした時に、さらに私の心に、未来の核戦争勃発についてイメージを与えた本が
ある。それは「地底のエリート」(創元推理文庫・シェール著)という本だった。

私がこの本を手にしたのは小学校5年の終わりの頃だ。下宿していた兄が、たった
一冊家に残していったものだった。後に兄は、百冊はあるかと思われるS・F小説、
時代小説、歴史小説の文庫本を家に持ち帰る。しかし一年間は「地底のエリート」一
冊だった。これが、全地球規模の核戦争勃発をテーマにした本だったのである。

冷戦などという言葉にはまだよく馴染まなかったが、昔の戦争を知れば、未来に起
きそうな戦争の話も、こわごわ手さぐりしてみる年頃だったのだ。

本の話は、米ソ冷戦を背景としつつ、両者が微妙に安定した関係を築いていた状況
から始まる。その安定関係の一方の主役のアメリカ大統領が、ある小さな事故で退場
をよぎなくされ、大統領代行が任に当たることになる。そこから話は始まるのだ。

本の中では、全面核戦争の勃発は、ソ連の核弾頭の誤発射?と、それに対処する大
統領代行の心理状況による判断ミスが原因である。

本の中で核戦争が始まった時、私は本当にたまげてしまった。私にはそれは、決定
的な失敗に見えた。あほじゃないだろか、こんなことするなんて。しかし私に、皆仲
良くしなさい、他人に思いやりを持ちなさい、平和はとても大事です、と、教えてい
るのは大人なのだ。大人がこんな決定的な失敗をするなんて、まさかそんな馬鹿なこ
とがあるわけがない。そうだ、これは小説なんだから、と、本の世界から抜け出して
きてほっとする。(最初は戦争勃発までしか読めなかったと思う)     

日本が戦争をしたのも、日本に核爆弾が落とされたのも事実だった。そんなことは、
しっかりこうだと言われなくても子ども心にもぼんやりとわかっていた。しかし小学
5年のその頃は、今は違うんだ、平和な社会なんだ、という思いのほうが強かった。

だが、核爆弾の威力と、広島・長崎の悲惨と、放射能の影響力についての知識も、
その後の成長過程で次第に内容がわかってくる。S・F小説には出てこなかった、想
像を絶するむごたらしさの方が現実であり、それに核戦争の勃発を重ねると、そのむ
ごたらしさは即座におのれのものでもあるのが理解できた。第二次世界大戦後も20
年以上を経過して、いまだに冷戦と称して核装備の増大に努めている現実世界の方が、
虚構であったはずのS・F小説に似ているのだった。

私は、中学高校と、「冷戦」という状況を知識として知る中で、この『地底のエリ
ート』を何度となく読み返すことになった。         『地底のエリート』のメッセージ

宇宙が誕生し、地球ができて、生命が誕生し、人類が生まれた。古代文明が発祥し
て以来、幾多の文明の興亡を見てきて、第一次・第二次の世界大戦を経た。そして今
は、地球を破壊するほどの核を満載した時代なのだ。その未来は何なのか。全面核戦
争勃発による、人類の絶滅だろうか。−−−まさかと思いつつ、冷戦が続くのが非常
に不気味であった。
〔世界史〕

このように私は、高校で本格的に世界史を勉強する前に、すでにいろいろと独特な
ものの見方を身につけていた。祖母の一言で始まった究極の高みの視点は、兄が持ち
かえったSF小説のおかげで「宇宙空間に浮かぶ、地球という惑星の上で起きる人間
の歴史」という考え方を自然にした。

高校世界史、それは、わずか数年で人類史のすべてを見渡そうという、気宇壮大な
試みだった。私はその心意気を常にわがものとして世界史を学んだのだ。

そこで自分が手にしたものは心地よかった。自分が生きる意味、自分が何であり、
自分がどこにいるのか、もう少しで何か見えそうな気がしたのだ。

文明の興亡や幾多の戦争、それにもかかわらず、生き続ける人間。宇宙空間に浮か
ぶ地球という星の上で起きることとして世界史を考えていると、歴史などより、「に
もかかわらず生き続ける人間」の方がはっきり見える。では歴史とは何であり、文明
の興亡や幾多の戦争とは何なのか。とりわけ、第一次、第二次と続いた世界大戦の悲
惨を見、今なお冷戦と称して不気味に核装備を拡大しつつある世界の中にあって、そ
れを問うことは自分にも大いに関係があると思われた。

たとえば第一次世界大戦前夜のヨーロッパ。その厳しい緊張関係は、歴史として学
べばきわめて明瞭に見える。わかっていてなぜ突き進んだのかという疑問。そして自
分が常に把握しておきたかったのは、こうした国際間の緊張関係だったこと。そうす
ることによって、自分の行動を自分で見極めたかったこと。

そこには明らかに、冷戦体制の中に生きることについての不安が投影されていた。
日本でも、満州事変勃発以前の世界、真珠湾、敗戦、戦後、と生きた、知識人、政治
家、教育者、文学者等の精神的流転の例は、枚挙にいとまがない。何と考え、どのよ
うに生きるのか、間違いたくはないのだ。そうした精神的激変は歴史の勉強ではなく、
新聞でもテレビでも小説でも、あるいは身近な人々でも、当時はいくらでもころがっ
ている話だった。
〔戦争〕
今はまた冷戦下にある。世界が二大陣営に分かれて、互いをにらみながら戦争の準
備に怠りがない。自分自身も、戦争前夜にいるかも知れないのだ。

父が買った読売新聞社の本は、報道写真や新聞の復刻版だった。時代の証言という
重みでは、単行本にまさるものがある。新聞の論調を復刻版で知っていたというのは、
単に、戦争の悲劇がありました、ではすまされない何かを形成した。片や世界史関連
で手に入れるマスメディアなどの情報では、アメリカやヨーロッパやソ連の側の、認
識と画策を知るわけである。私の中で、両者の、そして知るかぎりでの普通の人々の
思いとの、つきあわせが激しく行われることになった。このズレは何か。

戦争は恐ろしいものだった。空襲や原爆も恐ろしかった。新聞の縮刷版や写真集が
きっかけとなって、むごたらしい体験記を見る機会があると、目が行ってしまう。そ
してそれを日常として生きるとはどういうことかと考えてしまう。

空襲のただ中で、あるいは原爆の爆心地で、かろうじて生き残る自分を想像して、
いかに生き延びるかを考えてみた。いかに生き残りを考えてみても、それは極端に偶
然の要素に支配される世界だった。状況が来てしまっては、生き延びる可能性は少な
いのだ。

その次には、ではなぜそんな状況が来ているのかと考えてしまう。想像している自
分にとっては、なぜ周囲のみんなが戦争に向かってきたのか、わからないのだった。
戦前の庶民は、みんな戦争は受け入れるしかないものだと考えているようだった。自
分以外の周囲が戦争を受容していなければ、自分がそんなところにいるわけがない。
周囲の人が皆、逃げまどいながらも戦争をやむを得ないものと受け止めている。その
中で、自分はもがいているわけである。

それは、現実に自分が生きている後の世界とは、全く違う世界だった。戦後の戦争
反対・権力批判の自由な世界とは、まるで違う世界だったのだ。

一人で戦争をしたいと思ったところで、他人が動かなかったら戦争にはならない。
みんなが戦争へと動いている社会というのは、不思議だった。自分がそういう状況に
向かう中で生きていたとしたら、自分の身を守る一番の近道は、人がそんな方向へ考
えないように努力することである。私はそう思った。

結局、戦争になったら生き残りは難しい、だから、戦争へ向かうことそのものを警
戒しなければならない、と、考えたわけだ。それは、後の、民主主義を良しとする社
会で呼吸している自分が、空襲や原爆の下で逃げまどうことを想像して考えたことで
ある。戦前の庶民自身が、戦争を否定的に考えている状態というのは、想像しにく
かった。いきなり当事者になった人々は、逃げるのに必死でそんなことを考えている
余裕はないようだった。

〔戦争の中の生き方〕
そういう私にとって、二冊の本の中で最も強烈な印象だったのは、極東軍事裁判で
絞首刑になった東条英機のことだった。あるいは名を連ねて死刑になった政治家、軍
人たちのことだった。戦争中、表舞台で指揮をとっていた人々が、戦後になって殺さ
れた。戦争に負けたから殺された。多くの同胞を死に追いやり、異国の人々を殺戮し
て、あげくに負けて殺された。

原爆も恐ろしいが、これは個人的には降ってわいた災難だ。その人の生き方、来し
方にかかわるものではない。しかし、ある時期、指導者として認められ、日本中の
人々を動員して戦争に邁進させ、人を従えていた人が、生き方、考え方が犯罪的だと
して死刑になる。それは個人の生き方として一体何なんだと考えてしまうのだ。

ヒトラーは戦争を起こした張本人として、その特異な主張・行為は個人的にも悪名
が高い。しかし東条が個人的に進めたとは聞かないので、その人を指導者として認め
ていた日本の状況は何なんだ、認められて推進して、戦争犯罪者として裁かれ絞首刑
になる、その自分の立場の、衆人環視の中で見方の逆転の起きる状況を感じつつ、絞
首刑という屈辱的な処刑に甘んじなければならない人生は、何なんだと、思うのだ。
もちろん間違ったから結果が出たのだ。しかしこんな間違い方ってあるだろうか。

死にたくもないのに若い命を散らした、学徒出陣兵たちの話は有名だった。しかし
彼らは振り回された側であって、生き方についての選択の自由というのはない。だが
推進者には選択の自由がある。旧時代の、戦争は勝てば良い、という考え方に即して
考えたとしても、自分で人の命をあやつり、戦いの状況を把握しながら、負ける戦い
を続ける間違い方というのは大きいと思うのだ。しかもそれは個人の考えではなくて、
多くの日本人の考え方にも由来しているということは、終戦にいたるまでの日本人の
意識を考えれば察することができる。問題は、なぜここまでがんじがらめに一つの方
向へ向かうことになったのかということだった。

戦国時代にも、日本人は戦争に明け暮れていた。しかしその戦い方は、決して全滅
を美徳としていたわけではなかった。ましてや、近代以降の戦争で戦う者は、武士で
はなくて一般民衆である。その人達が玉砕に突き進む。これはそれ以前の日本史には
なかったことだ。だから第二次世界大戦中の日本人の対応というのは、この時代だけ
の非常に特殊なものである。その特殊さに囲まれて、東条英機という人も選択を間
違ったということが、私には気になったのだった。

〔正しい考え方〕

時代が悪いというのはたやすい。では時代が悪ければ、それに流されて間違っても
よいのか。一人で抵抗するのは難しいことは見て取れる。しかしみんなが正しい大枠
というものを把握していれば、そうはならないではないか。

時代を越えて正しいものはないのだろうか。自分が学んだ民主主義も、戦前の日本
ではどれほどの風当たりであったかは知っている。人によっては、敗戦によって持ち
込まれた外国思想であると、公言してはばからないものだったということも知ってい
る。民主主義も、絶対正しい根拠というのは、なさそうなのが不安だった。これがい
いというのは、空気みたいに自然な思いだったが、それにしてからが、理論的根拠と
いうのは、そんなものなのだ。

あるのは思想の潮流だけである、時代の流れだけである。果たしてそういうことで
いいのだろうか。日本全体がそれで過去に間違った経験をもっているのに、もっと確
実な思考のよりどころはないのだろうか。間違わないような、少なくとも大きな間違
いをしなくて済むような、より大きなものの見方が欲しい。誰もが正しいと思う思考
法が欲しい。

戦前戦後の思想的混乱のことを思い返し、右だ左だ、資本主義だ共産主義だなんて、
騒がしい世相のことを考えていると、誰もが正しいと考えることって何なんだろうと
思われてくる。

自分が育ってきた道筋をたどってみる。単なる意見や主張ではなくて、正しい、間
違っていると、判定のつくもの。そう、あったような気がする。例えば数学であり、
自然科学だ。複雑高度なものはいざ知らず、人が日常を過ごす中では、これらは十分
正否の判定を下してくれる。戦前と戦後の社会の変化、価値意識の変動、人の口にす
る言葉の変化を考えていると、私は、自己主張をしない科学知識にほっとするものを
覚えた。

そこで私は、高校で勉強した知識を組み立てて、自然世界における社会の形状を、
つぶさに、なるだけ正確に描いておこうとした。

闇の宇宙に浮かぶ青い地球。
自分を含む人間は、この地球世界から出ることはできない。

そしてこの宇宙は、基本的には、
極小の粒子とエネルギーの世界と見ることができるだろう。

このようにして、高校時代の私は、自然の中に生きている自分、自然の中の社会、
というものを把握しようと努めたのだった。


2 サイエンス描く世界 (2005.2.28更新)
                                  topへ  前へ  次へ      

〔生きる意味と社会とは何か〕
なぜ生きるのか。それがわからなくては、死ぬしかないような気がした。生きるこ
との意味がわからない。−−−これが10代後半の私のテーマだった。

自分の命は儚(はかな)い。しかしながら、自分はこの世界を知覚する存在として
生まれてきた。正しく世界を認識すること。それが、他者の益にも通じ、自分が生き
る意味にもつながるだろう。

今現在世界は二分されていて、その対立は、社会をどう捉えるかという問題に、深
くかかわっているらしかった。当時の新聞を賑わしていた、左右の対立というのがそ
れらしい。世界は資本主義(自由主義)陣営と社会主義(共産主義)陣営に二分され
ていて、日本国内でもこの二つの勢力が争っているらしいのだ。世の中の喧騒が、も
のの見方に起因する部分が大きいならば、正しい世界像を築くことというのは、私も
やって意味のあることだ。

第一、社会的立場によって世の中は変わって見え、意見の違いというのは社会的立
場の反映である、なんてことが当時よく言われていたけれども、基本的には社会はひ
とつしかないではないか。

そう思って私は、宇宙から眺めるこの地球世界のことを考える。この地球にはりつ
いて生きている人間の社会が、いくつもあるなんてことは、あり得ない。

しかし世の中の論調は、社会の捉え方が人によって違うのは、社会的立場の違いの
せいだと言う。まずは社会的立場を見定めることが、違いを確認する第一歩だなんて
言ってる。資本家の立場なのか、労働者の立場なのか、富む者の立場なのか、貧しい
者の立場なのか、それを知ることが、社会認識の始めだと言う。

宇宙から見た地球社会の姿形が、視覚認知のレベルで立場によって違って見える、
なんてことはあり得ない。社会が立場によって違って見えるのが当然だとは、私の世
界認識の始めからすると、一体どういうことなのだろうか。宇宙的・外観的世界認識
から始めると、この世上での社会認識の違いというのは、どのような行程で現れてく
るのだろうか。                       社会認識に至るまでの行程

私は、漠然とそのような疑問を抱いていた。どうして誰もそのような説明をしてく
れないのだろう。自分の出発点は誰もが知っていることだったから、どうして誰もそ
れを疑問に思わないのかと思った。誰も疑問に思わないのなら、自分で考えるしかな
い。

世の中の混乱が認識方法にかかわるものなら、認識方法についてのこの自分の疑問
を探究することは、それなりに世の中にとっても意味があるだろう。何より自分が、
それを知りたいのだ。それを知ることができれば、あの人間としてのおろかな戦争と
悲惨の意味を知ることができそうな気がする。

人はなぜ生きるのか。死ぬ時はもろくも死ぬものであるのに、なぜ生きるのか。私
はその疑問の延長線上で、人が生きる社会というものを捉え、人を困惑させ、混乱さ
せ、振り回す、社会とは何かと考えていた。社会が何であるのかわかったら、自分が
生きた意味がわかるような気がした。

このように私は、自分がやらなければならないことを正しい世界認識だと考えたの
である。漠然とだが、自分が感じている考え方の枠組みが、どこにもないようなのが
疑問だった。またそれが、追求の必要性があると感じ、自分が生きた意味になると感
じた、原因でもあった。

〔サイエンス描く世界〕
私にとって、誰もが認める明確な自然観というのは、強力な拠り所に思えた。長い
長い宇宙的な時間や、出現して時わずかな人類、地球をとりまく宇宙環境、地球の形
状等、世界史というものの自然的環境がまず大事だった。これがつまり、宇宙空間に
浮かぶ地球上の、物質現象として世界史をとらえることの、基本だった。

宇宙全体の組成を極小粒子とエネルギーとして捉えなおす方法があるように、地球
という生命を含む物質圏の組成を、極小粒子とエネルギーとして捉えてみる。人体も
根本的にはこれらでできていて、原子核と電子の動きが刻一刻時を刻むように、地球
上の歴史も原子の動きで表現されうる、自然科学的には。

これは、通常の世界史とは、相当異なる見方を私に提供したと思う。よく言われる
ように、高校で勉強する世界史は、西洋中心の見方で捉えられたものである。これに
は、特に辺境地帯などというものは、スッポリ脱落している。

しかし、地球上の物質組成としては、これら地域が脱落しては、物質現象が成り立
たない。だから、私の世界観の中では「考え方としてだけ」ではあるけれども、辺境
も自動的に同じ比重で登場してくるはずなのだった。

そのために私の中では、高校世界史は、そのような全地球規模の基盤的な物質世界
認識の中から、「選択された記述」というイメージなのだった。

地球世界を構成している極小粒子とエネルギーの世界を、もう少し日常に近づける
ために、原子核と電子でできた「原子」のレベルの世界で考えることにしてみよう。

原子の種類は百数種類。その性質は、その原子が持っている電子の数で決まる。
原子の大きさについて少し考えてみる。

直径10センチのボールを地球の大きさに拡大したとき、ボールを構成する物質の
 原子は1センチ。

原子の大きさを「直径100メートルの球」とすると、中央にある「原子核は1セ
 ンチ」、その100メートルの球の中を回る「電子の大きさは1ミリ」である。

もちろん球というのは、大きさについてわかりやすくするために譬えたものである。
実際の原子は、「1センチの原子核」と、100メートル範囲を回る1ないし複数個
の「1ミリの電子」しかない。

このように物質を形成する原子は、実はほとんど何もないのだ。猛スピードで運動
する電子が作る雲の中は、広大な空間が広がるばかりなのである。地球世界は、その
ような原子で形成されている。

地球世界が原子核と電子になりうるのなら、電子の立場で見たら、水素も酸素もな
く、鉄も炭素もない。なぜなら電子から見たら、自分以外には原子核と電子とエネル
ギーなどしかないからである。

水もなければ空気もなく、人もなければ家もなく、木も草も虫もない。すべての物
は確実に存在するけれども、電子の立場で見たら、人がなにげなく認識するものは、
何もないのだ。

電子の立場で見る。これは、人間の認識に関係なく、物質自体の性質で存在する世
界をよく想起させる、と思って考えたことである。科学では普通こういう考え方はし
ない。しかしながら、科学ではない、とも言えないだろう。

自分を含むすべてがそのようなものならば、自分は、旧約聖書の話のように土から
作られ土にもどる、無意味な存在のようでもあり、仏教が説く色即是空のようでもあ
った。

(ただし教会は、人の存在が無意味であるかのような言い方はしない。神によって
あらしめられる人の存在意義を説く。この部分は『般若心経』の影響の濃い、当時の
私の気分の表現に過ぎない)

でも何もないなんて、現に生きて活動している自分の感覚にはあまりにも遠くて、
現実生活にはそぐわない。自分には水素と酸素の違いは大きいし、水も空気も人も木
も、全部あるのだから。

電子の数が違うというほかには、圧倒的に共通項ばかりの水素と酸素の間で、お互
いに区別しなければならないことなんてない。物質というのは、物質自体の性質で結
合分離するだけで、「自分がどうなる」なんて、全くおかまいなしだ。

水素と酸素とでは性質がおおいに違い、その中の組成物である電子の行動も、水素
と酸素とでは違うけれども、究極的には「自分」(つまり、電子とか原子核とか原子
)を維持保護するような意思的なものは全くない。当然のことながら。

しかし生きている体を持っている私には、水素と酸素では、生きるか死ぬかの違い
である。水も空気も、人体の必要性にかかわる連想と強く結びついている。

こうしたことから私は、自分の周囲についての認識は、生体維持の感覚を無視でき
ないと感じた。

生命維持のためには、物質はどうしても必要である。自分は膨大な数の細胞の集合
体であるが、酸素を取り込んでは二酸化炭素を排出し、あるいは飲食物を取ることに
よって生命維持に必要な成分を取り込み、あるいはエネルギーに変換しては活動して
いる。

非常に細分化された、たとえば細胞レベルで考えれば、どのようにして生命を維持
するのかということは、人間の認識には関係ない。また「酸素がなければ生きられな
いから呼吸する」なんてことは、考えてすることではないし、「心臓を動かさなけれ
ば体に血が回らないから心臓を動かす」なんてことも、考えることではない。

自分の認識には関係なく、生体生成の自然のなせるわざによって生きているという
側面を考えれば、人間は自然の一部であることは間違いないだろう。

しかしそれでは「人間は地球の表面で生成消滅している」で終わってしまうではな
いか。たしかにそれも一つの側面ではあるが、しかし、では一体、自分が取り囲まれ
ている世間の喧騒は、何なんだろう。

学生運動も騒がしい頃だった。政治での左右対立も激しかった。冷戦と称する核武
装による二極対立も顕著なままだ。富裕層と貧乏人がいて、地位と名誉と富を手にす
るのが世間的成功だと言われている、そういう世の中だった。これらは一体何なんだ
ろう。

それに自分は歴史をたどって自分の存在意義を見いだしたかったのだ。こういう世
界では、歴史はどこにあるのだろう。
注:『般若心経』
当時私が見たのは岩波文庫である。それでは以下のような読みになっている。

「色は空に異ならず。色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり。受想行識も
またかくのごとし。舎利子(弟子のひとり)よ。この諸法は空相にして、生ぜず、滅
せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受
も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も触も法もなし。
眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また無明の尽くることもなし。苦も
集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。」

訳はこうなっている。

「この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生
じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れ
たものでもなく、減るということもなく、増すということもない。

それ故にシャーリプトラよ。実体がないという立場においては、物質的現象もなく
感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく
舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、
触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでこと
ごとくないのである。

迷いもなく、迷いがなくなることもない。こうしてついに、老いも死もなく、老い
と死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦
しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。」

この訳の妥当性を検討する方法など私には全くない。だから、この訳をどう読むの
かについても、さっぱりわからない。しかしとにかく高校生の私は、この文章の中で
理解できる部分を、上記のように、サイエンスから得た知識と重ねていたのだった。

この文章の中で、日常感覚からして最も違和感のある所と言えば、眼もなく耳もな
く鼻もなく舌もなく、身体もなく心もなく形もない、という所だろう。それを私は、
死を前提すれば確かに何もかも消えると理解し、確実に存在するけれども、存在しな
いとはどういうことかと、その内容について、上記のように自分流に理解したのであ
る。

幸福追求を自明の論理と考えている現代人の感覚からすると、こういう文章、なん
てへそ曲がりで意地悪なんでしょうと、思う人もいないではないという気がする。

3    物質だけの存在感  2005.2.28更新

                                     topへ  前へ  次へ
先回りして結論を述べるならば、高校時代の私の着想で重要なのは、社会を無意味
な物質だけの存在感で捉える思考法、人間の認識に対する言語の重要性、この二点だ
ろうか。

社会を無意味な物質だけの存在感で捉えるという着想の背景にあるのは、もちろん
唯物論的な思考があるのは言うまでもないが、「空中写真」から来る発想も見逃せな
い。それは、祖母が教えた「点より小さな家」というイメージと、相互に補完する役
割をになったものである。

〔父の戦時中の体験〕
私の場合、父が空中写真に興味を示し、何度か郷里の空中写真を手に入れる姿を見
た。それに関連する記憶をたどると、こういうものがある。私が小学校入学前後に、
校庭で人文字を作った。そしてそれを空撮したのを手に入れる機会があった。その空
撮の写真を見て、父が衝撃を受けていた記憶があるのだ。航空写真を再々買うことに
なったのは、それ以来だったような気がする。

私の父は、過去に戦闘員として特異な戦争体験を持っていた。戦争末期、3人乗り
の特殊潜航艇乗員として、沖縄で約150人の部隊に配属されていたのだ。3月23
日に始まったアメリカ爆撃機の空襲は、日本軍の施設や人員に対し、ほとんど反撃の
余地なく的確に甚大な打撃を与えた。父の出撃3回。間断のない空爆に、特殊潜航艇
基地も潰滅的な打撃を受け、米軍北上部隊が近づきつつあった。

父達はやむを得ず陸戦に移行したが、戦友は次々に戦死、やがて食料弾薬も尽き、
部隊解散となった。その時上官は言ったそうだ。「成し得れば沖縄を脱出し、本土決
戦に備えよ」と。

山中での劣悪な環境、山狩りとの戦い、死闘の中、8月の始めに、浜に埋もれて
いた石灰運搬用の曳船を発見。それをきっかけに父たちは、アリのはい出る隙間もな
い沖縄から、脱出を試みた。山中で切った帆柱、敵の通信線と陸軍の持っていた毛布
で帆をつくり、オールも作った。そして海軍特潜艇部隊残存者7名、山中で一緒に
なった陸軍15名で、米艦艇が多数停泊している港から、闇夜に脱出を試みたのだそ
うだ。

うようよしている敵艦艇の間をこぎ抜けるのは不可能に近く見える。港を抜けるの
に5時間。夜明が迫る。絶望的だ、と、自決用の手榴弾をまさぐる内に、奇跡的に台
風が襲ってきた。こうして強風に煽られて港からは遠ざかったものの、制御できなく
なった船で一週間、水食料のないまま漂流、機銃掃射にもさらされて死者を出しつつ、
終戦を過ぎて米軍に救助されたという経歴の持ち主だった。

空中写真が、父の沖縄での、設営した基地や艇が猛爆にさらされた戦時中の体験に、
たぶん強く関係があるのだろうというのは、顔色を変えた父の様子のおぼろげな記憶
のせいもある。

つまり空中写真の再々の購入は、爆撃前にやってくる米軍の偵察機、その後にやっ
てくる爆撃機の大群、その施設を狙う的確さが、空中写真のせいだと気付き、その威
力にこだわりがあったからではないかと思うのだ。

〔空中写真〕
空中写真の画期的利用の始めは第1次世界大戦のドイツの軍事利用だったらしい。
地面を垂直にしかも連続的に写してゆく自動式の航空カメラの登場である。戦場での
空中写真からは、貴重な軍事情報が得られることがわかった。すぐに連合軍も真似を
した。

しかし日本では、写真情報に対する軍首脳部の考え方は今ひとつだったらしい。戦
争が長期化するにつれ、空中偵察の実力の差は開いていった。

沖縄戦では、米軍によって空中写真が大量に撮影され、海上特攻兵器や神風特攻隊
の飛行機も、これらの写真判読によって発見されていた。(参考西尾元充著『空中写
真の世界』中公新書1969)

しかし私は、父は戦後になって空中写真のことを知ったような気がしている。おそ
らく、はるか上空を舞う偵察機が、事前に空中写真で日本軍の施設を的確に把握して
いたに違いないと気がついたのは、戦後だろうと思うのだ。なぜなら父達の行動が、
回顧録の中では、偵察機に対してまるで呑気なものに見えるからである。(参考佐野
大和著『特殊潜行艇』)                      父と特殊潜航艇

父の体験はともあれ、空中写真は、私にとっては、社会が物質だけの存在感だと、
こんな風に見えるという、一例を提供してくれるものだった。

そこには、日常的に人が思っているような社会の上下や仕組みなど何も見えない。
「普通」の空中写真の利用法というのは、あらゆる知識を動員して、その無機質な世
界の中に「人間の考えの痕跡を読む」のだが、私は、「社会が物質だけならどのよう
に見えるのか」ということを、方法的に突き詰めて考えてみたかった。

〔サイエンスが言う、人体を巡る物質関係〕

その私にとっては、個々の人間を取り巻く物質関係というのは、物質に常に取り囲
まれているということだった。酸素や窒素の混合物である空気、水、炭水化物やたん
ぱく質やミネラルなどの食物、あるいは光、気温、気圧、重力、等々の物理的要素。
一人一人の人間の体がそういう物質の環境の中でいかに精緻な仕組みでもって生命を
維持しているか。そういうことが私にとっての物質関係だった。

(物質という言葉の扱いには苦慮する。ただ物質と言えば、経済価値のある物とい
う意味が含まれるし、科学物質と言えば、人間が自然から抽出した、あるがままでは
存在しない物質の意味が強くなる。こういう問題があるのだということを理解した上で
その意味について、個々に模索しつつ目を通していただければありがたいと思う。)

〔宇宙の始めは物質〕
宇宙の始めは物質だけだったらしい。そこから発生してきた生命だって、物質によ
る組成なのだから物質だろう。大きなまとまりとなって保存や維持の行動を取り、あ
るいは自分と共通した組織を持つものを残して増やすという行動をするが、その生命
維持のためには物質が必要不可欠である。生命が何かを考えようとするなら、物質の
部分を確認しなければならないような気がした。

当時はマルクス主義も流行していて、私が言っている科学物質的な世界とは全く別
の、経済問題を物質問題とする考え方が強い力を持っていた。このマルクス主義が唯
物論だと言われているのは知っていたが、自分が考えているような形でのサイエンス
風唯物論には遠かった。

宇宙の始めは物質である。この点ではマルクス主義と私は同じらしかったが、途中
で私が考えているようなことに全く言及していないみたいなのが、不思議だった。

たとえば宇宙創成から地球の誕生、人類の誕生から文明の発祥という、宇宙的物質
創成の中の歴史、地球がそうした宇宙的物質創成の時の流れの中にある物質的な系で
あること、など、マルクス主義は語らない。

どうしてこれをなおざりにできようか。自分としてはできない。だからというわけ
で、私は自分の思考経過にこだわっていた。

田舎にはマルクス主義をさらに知る本などなかった。だから、マルクス主義が言う、
経済問題が物質問題であるという風になるまでに、どうにかして自分の思考経過と接
点が生まれるのかなぁ、くらいの思いだった。高校時代は、マルクス主義が自分にか
かわってくるなどとは夢にも思わなかった。第一、自分が考えていることが、唯物論
を標榜する政治的左派の考え方に全く存在しないなんて、考えてみたこともなかった
のだ。

〔物質関係の中の自分の生活〕
こうした世界で、自分が生きているとはどういうことか、と考えを進める。空気中
の酸素を吸って生きている自分。自然世界で育まれたものを食べて生きている自分。
自然の荒々しさから生活を守るために家を建て、寒暖から身を守るために衣服を身に
まとう。直接人体に係わる生命維持のための物質は、酸素以外は、多くの人の手を経
ながら、この地球世界の地上で調達しているようだ。

(この段階では、お金の必要性は認識していなかった。お金と交換して手に入れて
いるというよりは、必要な品物・素材が、どのようにこの地上で調達されているかと
いうことに関心があった。)

それにしてもこうした衣食住はともかく、自分の毎日の行動で非常に大きなもの、
「学校へ行く」というのは何なんだろう。これは自分にとっては半ば強制的とも思わ
れる、必要行動だった。しかし「生きる」ことに何の関係があるのか。生命維持活動
を基準に考えると、すぐにはわからないではないか。

〔黒板の文字〕
毎日黒板の板書を見ては、勉強している。勉強は、生命維持の物質関係には関係な
いみたいだった。

つまり呼吸して体内に必要な酸素を取り入れるとか、取り入れた食べ物を消化吸収
して体を作ったりエネルギーに変えたりするとか、重力が骨を作るのに関係している
とか、衣服が体温を適切に保つのに効果があるとか、そのような意味では、勉強は生
命維持に関係ない。しかし自分も他人も、やけに重大そうに時間を割いて取り組んで
いるではないか。

黒板の文字を見る。身体と黒板の文字との間に、何か物質関係があるだろうか。光
は、文字の部分と背景の黒板とでは、反射する波長が違う。そこで、人間の目は、そ
の波長の違いを区別して認識する。

普通はここで「人間の目が文字を認識する」と結論するところなのだろうが、私は
そうは思わなかった。何しろ私の世界では、人体も含めてすべてが極小粒子とエネル
ギーなのであって、意味の拠り所がないのだ。

白墨の粉で書かれた線には、電子のレベルで考えると、意味がない。たとえばミリ
単位の点でも、原子だと巨大な集まりになる。文字の形というのは、人間の目の解像
度の大きさに合うものであって初めて形として捉えられるのである。電子から見たら、
文字の形など意味がない。

もともとは単なる物質存在であって意味がない「白墨の線」を、目で見ている。見
ている方の人体は、膨大な数の細胞の集合体であり、目はその中の視覚をつかさどる
器官であり、膨大な数の細胞の集合体であり、膨大な数の原子や分子で構成されてい
る物質でもある。

その人体のセンサーである「目」が、反射する光の波長の違いを捉えた。こうして
文字の形を捉えたけれども、目は、文字の形に意味を読むことはない。単に光の波長
の違いから「形」を捉えているだけである。それが、光を媒介とした「白墨線」と
「目」の間にある物質関係の全体である。

生きるのに必要なもの、人体に危険なものとなると、生体反応による感覚が動きだ
すような気がするのだが、「白墨線」と「目」の間では、生体反応による感覚など関
係がない。

こうして私の世界の物質関係のレベルでは、「学校で黒板の文字を見る」という行
為の意味が理解できないことになってしまったのだった。(この段階では「脳」の働
きが出てきていない)

しかし、思考を転じて日常に戻れば、ちゃんと黒板の文字を読んで勉強している。
自分の唯物論的思考展開では文字を読むという行為は理解不能の途上にあるのに、日
常生活は普段の通りに進行しているのだから、思考が宙に浮いたままの状態であった。

〔お金〕
私の思考のキーワードは「無意味な物質」だった。自分の生命維持活動や行動に
とって、即自分の肉体に役立つレベルのものは、簡単に「物質」として捉えることが
できた。机も自転車もテレビも衣服も食べ物も、この点では簡単だった。

こうしてさらに日常生活を「物質」として捉えることに心を砕いていると、また奇
妙な物にぶつかった。お金である。

お金は非常に怪しげに思えた。「即自分の肉体に役立つ」物質とは思えない。しか
も、物質としての違いよりも、別のことの違いの方が大きな意味があるようだ。その
違いとは、お金に表示してある金額らしかった。物質存在としての紙幣の種類に、ど
れほどの差があるというのだろう。それなのに1万円札と千円札では10倍違う。

あるいは10円玉と1万円札。数字も人間の文化様式も知らない「猿」にとって、
物質としての存在感は、どちらに軍配が上がるだろう。その結果はともかく、人間に
とっての存在感が千倍の違いだなんて、全然わからないのではないだろうか。はたし
てこのようなお金は、「物質」だろうか。

マルクス主義では、経済、つまりお金の問題を、物質問題と呼んでいるのはわかっ
ていた。そして自分は「物質」をキーワードに物質関係を追ってきたつもりなのだ。
ところが、自分が考えている物質関係とは次元の違う問題が、肝心なお金のところで
発生しているようなのに引っ掛かった。

こうして私は、文字とお金という、この二点で疑問を抱えたままになる。

〔ことば〕
そんな時に、鈴木孝夫氏の『ことばと文化』(岩波新書)の「ものとことば」の章
に出会って、そうか、人間の認識には言葉が重要なのだ、と、思いを致すことになる。

詳しいことは次の章で紹介することにするが、これによれば、生まれたての人間に
とって、言葉は外からやってくるものだ。そして言葉は人間の脳の中に定着し、外界
を認識する際に大きな役割を果たす。目で見たものを、既に脳の中にある言葉で捉え
ているのだ。−−−と。

〔再度「無意味な物質世界」について〕
無意味な物質世界というのは、人間の視点による整理などとは全く無関係に、存在
は存在なのだ、という意味で使っている。

例えばこの世界を、原子核や電子でできた原子、あるいはクォークと呼ばれるさら
に小さな粒子やエネルギーという細分化された世界として、その存在の姿だけで捉え
なおしてみたとしよう。その時には、原子・分子という概念も、液体・固体・気体と
いう概念も、また結晶・結合・原子の並びという概念も、人間の視点で整理したもの
なのである。極小粒子とエネルギーだけの存在のレベルで、そのような人間の視点に
よる整理を意図的に排して、存在の仕方だけに思いを致す。

わかりにくいかもしれないが、「素粒子といわれる存在レベルの世界」にまで意識
をたどりつかせつつ、そこから遡って、科学の世界や日常の世界で人間が普通に考え
ることに思いを致す。そういう思考経過の中では、原点である「存在だけの世界」と
いうものには、およそ意味というものがない。自分が素粒子や電子になって「存在だ
けの世界」を運動し続けるなら、人間が考える意味など、存在のしようがない。

こうして、人間が分類・整理に便利として考えた、考え方・とらえ方の枠組みを全
部はずして、存在しているものだけの存在の仕方に思いを致す。そうすると、物質世
界は基本的には無意味である、と、表現してもいいと思うのだ。

私の場合、存在の仕方に思いを致すには、科学の知識を使わねばならない。物質存
在の様々なレベルについて考えてみるためには、科学の知識を使っている。

例えば原子核を構成するクォークと呼ばれるさらに小さな物質のレベル、原子のレ
ベル、分子のレベル、さらにさらに、段々大きなレベルへと、視点移動が可能である。
しかしこれらは科学のモデルを使って考えているのであって、現実の目の前の本や机
や、自分の体がどのような構成になっているのかというのは、直接調べてみたわけで
はないので、本当は、科学ではわかったとは「言わない!」分野の問題なのだ。

しかし、だからと言って、目の前の本や机や、あるいは自分の体が、原子核と電子
では「できていない」と考えることは、科学だろうか。いや、これも科学とは言えな
いだろう。

原子のモデルも、原子核と電子によるモデルがあるにはあるが、それらがよくある
モデルのように、丸い粒のようなものかどうかは、わかっているわけではない。(電
子はひも状だとする理論、なんてものもあるらしい。)

このように科学のモデルを使って「存在」について考えはしても、人間の視点設定
と「存在」の姿の本当のありようとは、まだまだかなり食い違っている可能性がある。
それでも、人間とは何か、物質とは何か、存在とは何かと考えるのに、科学を使わず
にはいられない。

人間の視点を取り外し、物質の存在の仕方の性質のみによって、この世界が「在
る」、そのありようを考えるのに、私の場合は、科学の知識は一役も二役も買ってい
るのだ。



4   ものとことば  
                             topへ   前へ  次へ    

宇宙から地球社会を物質の存在感だけで考え、自分の生活を物質の存在感だ
けで考えていると、自分の日常がさっぱり見えない。しかし鈴木氏の本『ことばと
文化』で「ものとことば」の文章に出会ったとたん、日常生活の要(かなめ)は「こと
ば」なのだと、直観することができた。

私がこの本の「ものとことば」の文章を読んだのは高三の冬だ。(受験のような強
烈なストレスがある時に限って、違うことをしたくなるらしい)

まずは自然科学の大枠を大事にし、物質の存在感だけだと世界はどうなるか、と考
えた私だったが、日常生活ではそっくり普段のままだったから、連絡のない二つの世
界を抱えているようなものだった。

 これまで考えてきたように、片方では無意味な世界が考えられる。しかしもう一方
では、意味がないと、全く生きていけない。

  第一、机がなかったら、つまり机という認識がこの世界に存在しなかったら、手が
置けない。同じく、椅子という認識がこの世界に存在しなかったら、座れない。また水
という認識がこの世界に存在しなかったら、喉をうるおすこともできない。生命維持の
ためには身体維持の必要に応える物の意味は、どうしても必要だ。

 自分が原子の塊だったら、床や壁に同化できるか?そんなことはない。机に手を置くと
手は机の中に消えるか?そんなことはない。自分は周囲に対して存在しているのだ。

また目がない、というようなことでは、とても不便だった。口がないのも困る。手や足も、
なくては具合が悪い。

 かくして世界は空(くう)のようであるけれども基本的には自分の体を基点にして、
物は「在る」と考えないと、自分が生きていけないのであった。

 生きていけない。これは大変なことだった。こんなおかしな想念はさっさと振り捨てて
、日常に戻らなければ。−−−こうして日常に戻ってくると、ごく普通に暮らせるのだ。

 しかし無意味な世界という想念が、間違っているはずもない。ごく普通の自然科学の
知識を使って組み立てただけの話だ。みんな知っていることだった。どうしてこんな二つの
世界ができてしまったのだろう。そしてどうして誰も不思議に思わないのだろう。

  古今の哲学の概説を高校の資料集でたどっても、全然関係なさそうだった。こんな
不思議なことが、哲学のテーマにならないはずがない。とても大きな問題のような気
がする。しかし、無意味な世界から意味が発生する状況について考えた話など、全く
存在しなかった。

 そういう疑問を抱えたままの私にとって、鈴木氏の文章は、私にとっては、自然科学
の世界と人間の世界の、境界線上を行くように感じられた。


私が他のどこにも見つけることのできなかった、物質存在だけの無意味な世界を、
鈴木氏の文章の中に見つけることができ、そしてそこには、意味の発生について示唆
するものがあったのである。

(ただし、鈴木氏ご自身は「物質存在だけの世界」なんてことには全く無頓着の
ように見えた。それよりも「ことば」の働きというものに極めて強烈な関心をお持ちで
「言葉がものをあらしめるのだ」とまで言っていた。つまり「まずは物質がある」と思う
私の考えとは、全く逆らしかったのだが、私は自分の関心から、その文章に非常に
感銘を受けたのだった。)

では、少し長いけれども、机とは何かと言う部分を引用してみよう。

「机には木でできたのも、鉄のもある。夏の庭ではガラス製の机も見かけるし、
公園には、コンクリートのものさえある。脚の数もまちまちだ。第一私がいま
使っている机には脚がない。壁に板がはめ込んであって、造りつけになっている。
また一本足の机があるかと思えば、会議用の机のように何本もあるのも見かける。
形も、四角、円形は普通だし、部屋の隅で花びんなどを置く三角のものもある。
高さは日本間で座って使う低いものから、椅子用の高いものまでいろいろと違う。

こう考えてみると、机を形態、素材、色彩、大きさ、脚の有無及び数といった
外見的具体的な特徴から定義することは、殆ど不可能であることが分かってくる。

そこで机とは何かといえば、「人がその上で何かをするために利用できる平面
を確保してくれるもの」とでも言う他はあるまい。ただ生活の必要上、常時その
ような平面を、特定の場所で確保する必要と、商品として製作するためのいろい
ろな制限が、ある特定の時代の、特定の国における机を、ほぼある一定の範囲で
の形や大きさ、材質などに決定しているにすぎない。

だが、人がその上で何かをする平面はすべて机かといえば、必ずしもそうでな
い。たとえば棚は、いま述べた机とほぼ同じ定義があてはまる。家の床も、その
上で人が何かをするという意味では同じである。そこで机を棚や床から区別する
ために、「その前で人がある程度の時間、座るか立止まるかして、その上で何か
をする、床と離れている平面」とでも言わなければならない。

注意してほしいことは、この長たらしい定義の内で、人間側の要素、つまり、
そこにあるものに対する利用目的とか、人との相対的位置といった条件が大切な
のであって、そこに素材として,人間の外側に存在するものの持つ多くの性質は、
机ということばで表されるものを決定する要因にはなっていないということであ
る。
人間の視点を離れて、たとえば室内に飼われている猿や犬の目から見れば、あ
る種の棚と、机と、椅子の区別は理解できないだろう。机というものをあらしめ
ているのは、全く人間に特有な観点であり、そこに机というものがあるように私
たちが思うのは、ことばの力によるのである。」(P32)

「ことばというものは、混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人
間の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の文節を与え、そし
て分類する働きを担っている。言語とは絶えず生成し、常に流動している世界を、
あたかも整然と区分された、ものやことの集合であるかのような姿の下に、人間
に提示して見せる虚構性を本質的に持っているのである。」(P34)

私には、最後の方の「混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界」「絶えず生
成し、常に流動している世界」という表現が、自分の「物質の存在感だけで捉えた世
界」に重なって見えたのだ。

私はそもそも、原子や分子の構造、結合の仕方や並び方、疎密、運動の性質、空間
とエネルギーなど、物質世界の存在の仕方から考えて、自分の意識から意図的に人間
が考えた意味というものを取り去ろうとした。科学の認識枠を使いつつ、科学の枠組
みをはずして物質存在だけの世界に迫ろうとした。

その自分の考え方が、「人間の認識は言葉によるものである」「言語がなかったら、
人間は存在する世界を認識したとは言えない」という方向から考えた場合、言葉がな
い世界についての表現として、混沌・連続・生成・流動というような形で出てきてい
るように思われた。人間が分類整理しなければ、確実に存在するものであっても把握
の方法がない。

物質の存在の仕方の大枠は、科学が示すあり方に近いものだと思うのだ。科学は物
質の性質のみにしたがって分類整理しようとする。素粒子や原子や分子などという物
質の構造は、人間の主観や願望とは関係なく、物質の性質のみにしたがって分類整理
しようとしたものだ。だから、もし人間以外の高度に発達した知的生命体が物質世界
を探究したとしても、共通した認識にたどりつく可能性が高いだろう。

しかし物質世界の大枠がそのように確かに存在していたとしても、科学の言葉がな
ければ、認識する側の認識は、混沌・連続・生成・流動といったような感じになるだ
ろう。

だが、長い時間の尺度からすれば、人間の命は短いものだ。人間は自分が持つ短い
時間で物事を計る。今行動するのに判断が必要なのだ。その判断に必要なのは、情報
であり、認識である。

 例えば「机」という概念は、人間の行動判断に即座に役に立つ。何かをしようとする時に
台になる平面は、自分が台の上でしたいことや姿勢の記憶など、目的や身体感覚
と結びついて、行動を容易かつ確実にするものである。

 『水』も同様である。「水」は、飲んだときの、味や喉の動きやお腹の膨らむ感じ、体の
充足感と結びついて、自分の行動判断に即座に役に立つ概念である。

科学の用語である「原子」や「分子」が示す概念も、人間にとってどのような役割を果たすか
という目的意識を背景に、物質の性質を簡単に割り出して判断を可能にする。

例えば日常では飲むための水でも、産業的には純度の極端に高い「純水」もあるし、
あるいは「軟水」か「硬水」かでも用途は違ってくるだろう。

このように同じ「水」でも特別用途の「水」があるが、大部分が「H2O」であれば「水」
であると判断できる。それは、水素原子2個と酸素原子1個が結びついた水の分子である
ことを示す「H2O」という概念が大いに貢献するところだと思うのだ。
そしてまた文字の問題がある。文字そのものは物質が形状をなしたものであって、
それ自体に意味があるわけではない。人間の脳の側に、文字の意味の発生構造があっ
て、脳内パターンと照合したとたん、脳内で身体感覚や既成知識に連動するような、
意味の発生があると考えたら、わかりやすい。

また色の違いは、光の反射波長の違いに過ぎない。波長の長さを、人間の識別の度
合いに合わせて、それに数字を振ったって、色の識別の目的のためには、一応は間に
合うようなものだ。しかし、緑や青や赤という名称の代わりに数字を並べるなんて、
なんて味気ないのだろう。人間は身体感覚としては、色に特別な思いがあるのだろう。

こうして 『人間の認識に大きな役割を果たすもの、それが言葉だ』と理解したことは、
後の情報社会論への飛躍につながった。言葉が表示する認識パターンの連想から、
情報というもの全体への連想に飛躍したのである。
  また、「机」の例からわかるように、言葉の概念には人間中心の視点というものが
ある。これも私にとっては、少し違った意味合いで、重要な考え方の軸につながって
くるものなのである。

5 元東大総長が書いた東大教科書との衝突  2005年6月29日更新 

          
                                   topへ 前へ 次へ
こんなことを考えていた私だったが、大学で専攻したのは歴史学だった。生きる意
味を考えるには、歴史の大きな流れの中で考えることが必要だと思ったのだ。
それに、戦争に関して得た知識から考えると、社会について、決定打と言えるよう
な学問がないような気がして、それが気になった。サイエンスの体系のような確実さ
を伴う何かが、社会に関する学問には存在していない。そうと思えたことが、私を社
会に関する学へと向かわせたのである。

なぜ決定打を放つような頭脳は、サイエンスへと向かうのか。

傑出した頭脳は、みな危険な世界に背を向けているような気がした。それが気になっ
たのだ。例えば当時、子供の伝記の世界では有名だった、ガリレオ、ニュートン、キュリー
婦人、あるいはまたアインシュタインなど。

原子爆弾の実現や、生命操作の可能性をはらむ科学技術の発達は、科学が人間に向
かう刃物であることも示唆していた。そうした政治情勢の中で悪魔的に働く科学者と
いうのは、当時のマンガやSF小説の中にも登場していて、こういう操作されるだけ
の立場しか取れない科学者というのも、自分の矜持に合わない感じだった。自分は振
り回されたくない。できれば高みから観察し続けて、何が問題なのか、的確に把握で
きる姿勢を取りつづけたい。私はそう思ったのだ。

私が思う歴史とは、2章で述べたように、少々変わった認識が背景にあった。

宇宙全体の組成を極小粒子とエネルギーとして捉えなおす。地球という生命を含む
物質圏の組成を、極小粒子とエネルギーとして捉えてみる。人体も根本的にはこれら
でできている。

原子核と電子の動きが刻一刻時を刻むように、地球上の歴史も、原子の動きとして
捉える、という考え方が、成立しないわけではない。

その歴史は、人間が考えるような意味を持たない。物質の変化だけの世界である。
巨視的に見れば、その「社会」という名前の物質世界は、あくまでも宇宙空間から見
た地球という物質系にある。


その物質の変化だけの世界と、通常の、歴史と言われている世界の比較を考
えることによって、宇宙的な時の流れの中にある、この世界に生きる自分の
命の意味を知りたい。

このように、歴史と言っても、私の場合は相当変わっていただろう。それに、長大
な宇宙的時間の中にある自分の命の意味を知りたくて歴史学に入った人なんて、果し
ているのだろうか。しかし自分が非常に変わっているなんて、自分では全く気付かな
かった。
目的的には哲学みたいだったが、新聞縮刷版で昭和の歴史を見ていたような者に
とっては、哲学はあまりにも考える材料がなさすぎるような気がしたのだった。それ
ほどに昭和の歴史は暴力と戦争に満ちていて、世界の危険を感知しつつ考えるには、
歴史学がふさわしいような気がしたのだ。

そう思って選んだ学部だったのだが、2年で専門講義が始まると、すぐに自分の勘
違いに困惑することになった。時は1975年(昭和50年)。

専門講義のテーマがあまりにも具体的で細か過ぎる。しかも具体的な事実にたどり
つくまでに、解読にやっかいな技術が必要な、史料という媒介物があって、それをこ
なさないと、歴史学的な手続きを踏んだとは言えない。

よく考えてみたら、自分は過去の事実を探究するために、大学に来たわけじゃな
かったのだ。こんなことを勉強しても、自分の目的にとっては全然意味がない。

それでも自分は歴史について、学ぶべきものがあるというイメージを抱いていたは
ずだ。それは何だったのか。

私が考えていたのは、宇宙の始まりから現在に至るまでの、極めて長い時間の尺度
の中で、世界史を考え、近代や現代を考え、自分が生きている現在について考えたい
ということだった。

自分が生きることを中心に考えたら、世界を知るには、社会を対象に含んだ世界史
を学べばいいような気がするわけである。しかしながら、世界史に答えが書いてある
わけではない。私は世界史を通じて、自分が生きる意味の答えを見つけ出したかった
のだ。世界とは何か、歴史とは何か、人間とは何か、人間が生きる意味は何か。より
正しい納得のいく世界観が見つかれば、それが自分が生きる意味につながるような気
がした。
それを考えるためには、まずは歴史を把握する方法を知った方がいいような気がす
る。具体的な史料に埋没することなく、全体を見通す、歴史を把握する、その方法を
考えるにはどうしたらいいか。

そういうことなら、もっと直接的に、歴史とは何か、社会とは何か、そういう疑問
に答える本がありそうだ。そこで見てみるのが歴史学の方法論関連の本だった。

何とかして把握の方法を手に入れたい。そう思って手に取るのは方法論の本なのだ。
大学生協の書籍部に、それらしき題名の本は数冊しかない。林健太郎著『史学概論』
(有斐閣・昭和28年刊)、E・H・カー著『歴史とは何か』(岩波新書)、手に入
れられる範囲としてはこれくらいしかない。それ以上は初学者には首を突っ込む気に
もなれない。

カー著『歴史とは何か』は比較的易しい表現だったが、冒頭でひっかかる表現に出
会った。しかし私にとってはあまりにも問題外の表現だったので、何と読むのかわか
らなかった。歴史とは過去と現在の対話であるという、本の売り込み文句だけを心に
留めた。これはとりあえずは後に回そう。

もう一方の林健太郎著『史学概論』は、パラパラめくっただけで難しさに圧倒され
た。必死の思いで目をこらし、最初の方は何とか読める、気に入った文句がある、と、
読んでいてこれが真っ青になるしろものだったのだ。

最初のほうはまあ良かった。こんなふうに書いてある。

「先ず最も広い意味に考えれば、およそ人間の認識の対象はすべて過去の事実である
ということになる。何となれば万物はことごとく時間の中にあり、しかも現在とは常
に過ぎゆく一瞬に過ぎないからである。故にマルクスはかつて『我々の知る科学はた
だ一つしかない。歴史の科学これである。』と書いた。そして我々もまたそのような
意味で、すべての科学は歴史の科学であるということが出来る。」(「第二章歴史学
の対象とその範囲」P7)

こういう考え方は私も好きなのだ。しかし続いてこういう文章が出てくるのである。
しかしながら、いうまでもなく一般に歴史学と称せられるものはこのようなもので
はない。歴史学の対象となるものはもっぱら人間の歴史であって、天体の歴史、人類
発生以前の地球の歴史はこれに含まれない。」(P7)

えっ、そんな馬鹿な!私には、宇宙の歴史、地球の歴史の中での、人類の歴史とい
うものが大事だったのに。何これ?

「要するに自然科学として総称される諸科学はすべて歴史ではないのであって、歴
史学とはもっぱら自然から区別された人間の事物を研究対象とする学問をいうのであ
る。」(P8)

ええっ?、私は、世界認識の最も基本となるものは自然科学だと思っていたのに。
そしてこれには注がついていて、マルクスも、歴史は自然の歴史と人間の歴史に分
けられる、人間の歴史に自然科学は関係ないと言っていると、あった。思いがけない
ところに政治臭のあるマルクスが出てきて、これも驚きだった。
実のところ、かつては多くの方がご存知だったように、マルクス主義は「歴史は自
然科学的な法則で動く」と宣伝していたはずである。要するに林氏は、マルクス自身
の発言の中から、「主義者」の宣伝の否定になるものを探してこられたみたいだった。
それが、「歴史と自然は別」という本文発言の補強の形を取りつつ、注で引用されて
いるのだった。

そこには、当時の日本の思想状況についての林氏の思いが、かなりひねった形で表
出しているようだった。つまりこの本の出版の3年前、昭和25年(1950年)に
は、レッドパージと呼ばれる占領軍による共産党追放の動きがあったし、国内のみな
らず世界的に見ても、共産主義と資本主義との対立は、極めて明白なものだったから
である。

しかしながら、林氏の自然科学と歴史学の切り離しは、表面的には、歴史の自然法
則的理解を標榜する共産主義運動に対して反対するというような、政治的な意味あい
では書かれていない。それは、後に見るように、歴史に関する哲学的な問いを継承し
ている、という建前で書かれていた。

つまり、その当時は、歴史哲学的な問いを辿ってくると、自然科学と歴史は別だと
いう考えが、導き出されてくる状況だった、ということになっている。自然科学と歴
史は別だという考えが、特に反マルクス主義的であるという説明にはなっていない。
ごく一般的にそうだという風に書かれている。

しかしその書き方は、既に高校時代に、自然科学で社会の姿を描いていた私にとっ
ては、まるで自分に対する全面否定のように思われた。

ページ数を見ればおわかりいただけるように、これはごく始めのほうの文章なのだ。
こんなところで私は大きくつまずいたのだった。自分の世界認識から自然科学を切り
離す。どうしてそんなことができるだろう。高校時代までに得た知識を元に、あれだ
け細かく物質だけの世界・人間・社会というものを、一生懸命描いたのだ。それは誰
でも知っている知識でできているはずだった。そして誰も反対するはずのない世界で
あるはずだった。

それなのにこの本では、自然科学と歴史(つまり社会も含まれていると思う)は関
係ないと言っている。自分は誰もが認める世界の枠組みだと思って考えてきたのに、
これから勉強しなければならない難しそうな学問の本が、自然科学を基本にして歴史
(社会)を考えるのは間違いだと言っているのだ。そんな馬鹿なことがあるだろうか。
これでは、世界など、描かなくてもいいと言っているのに等しい。
それは私にとって、全くの正面衝突だった。仰天し、混乱をどう収めたらよいかわ
からない。

いろいろ書いてきたように、私の中の、正確な世界観を築きたいという思いは、非
常に強いものだった。私は、長い長い宇宙的な時間や、出現して時わずかな人類とい
う認識は、科学的で正確な認識だと思っていた。これはつまり、人類史を越える、自
然科学の世界の話なのだ。

人間社会の学問について、誰もが文句なく認める学説というのを、未だに聞いたこ
とがなかったので、とりあえずは自然観の中で明確なものから材料にしていこうと考
えた。そのことについては、第1章で述べた。地球をとりまく宇宙環境、地球の形状
等、世界史というものの自然科学的環境がまず大事だった。つまり、いつも宇宙空間
に浮かぶ地球上の出来事として世界史をとらえようとしていたのだ。

宇宙が微粒子に還元されるように、地球も元素に還元されるものだった。人体も元
素に還元されるものである。

個々の人間を取り巻く物質関係というのは、酸素や窒素の混合物である空気、水、
炭水化物やたんぱく質やミネラルなどの食物などによって生命を維持しているという
ことであり、あるいは光、気温、気圧、重力、等々の物理的要素の中で生きていると
いうことだった。一人一人の人間の体は、そういう物質環境の中で、実に精緻な仕組
みでもって生命を維持している。そういうことが私にとっての物質関係だった。

世界史も、視点を変えれば、科学物質の変化として見ることができる。それは、宇
宙から地球を見た時の、物質としての社会であり、人間が知りうる歴史とは、違う次
元の世界であるはずのものだった。

私は、そのような見方も、世界史の一面を正確に反映していると考えていた。それ
は、自然科学を徹底したら世界史がどう見えるかという問題の出発点だった。このよ
うな私の考え方にとって、人間の科学と自然の科学は別だという考えは、全く受け入
れられないものだったのである。

その本をめくっての私の理解度の印象というのは、かなり極端だった。三章までは
何とか今までの予備知識が使える。それ以降は飛び飛びに拾える部分のある箇所が少
しあるだけで、280ページの圧倒的大部分が、読めない、感じだった。

それにしても書き出しでこれだけ重大なつまづきを感じたのだ。中身はどうなって
いるんだろうと気になってしかたがない。結論を読めば推測できるかとそれを読む。
しかし書き出しのつまづきは、結論部分の「むすび」を読んで、さらに深い疑問と
なって広がるのだ。

そこで私が大きくつまずいたのは「人間によって知られなかった歴史というものは
本来存在しない筈である」(P217)という部分だった。

私は、存在したものはすべて歴史を構成しているのだと思っていた。大体自分が
育った所は僻地ともいうべき所だ。しかし自分も田舎も、しっかり歴史の中に組み込
まれているつもりでいたのである。書かれなくても、知られなくても、歴史というの
はそういうものだと、思っていたのだった。次の時代を担うのは君達だという、教育
のメッセージの影響もあるだろう。全員が歴史の担い手だと思っていた者からすると、
またまた、えっ?と思う一文だった。

確かにその前に、「しかし一方において我々は、人間の意識の前に事実が客観的に
存在するということを承認しないわけにはゆかない。・・・歴史そのものは認識者の
主観に関わりなく存在するものであるとしなければならない。」とも書いてある。し
かし「客観的な存在である事実」とは何なのかということに触れないまま進むその論
理の主眼は、知られなかった歴史というものは存在しないということの方に置かれて
いるのだ。それを前提にして書き進められているのである。

「歴史とは過去において人間が行った一切の事柄である。その一切の事柄の中で、
我々によって知られたものが我々の歴史となる。」(P218)

「それら知られた歴史の本質を知りその意味を考えることが歴史学の究極の任務で
あることはいうまでもない。それらの間に法則を発見することも、又それらの事実を
価値観点から個性的に理解することも、皆同一の要求から出たことであった。」(P
218)

これも変だった。あったはずのものをあったはずだと考えることの、どこがおかし
いのかわからない。そうでなければ、今生きている人の多くは、ある時突然、無から
生じたことになってしまう。今生きている人のすべてに、すべての時代を通じて祖先
が存在し続けたであろうという考えは、自然の連続性認識がなければ出てこない。自
然科学を歴史から切り離し、知られた歴史から歴史を考えるなら、消されたもの、落
ちたものは、なかったことになってしまうのに、現代に至って、それは生きつづけて
いる人となって、突然出現するのだ。知られなかったものがたくさんあるのに、その
事について考察のないままに、知られた歴史の本質を考えることが歴史学の究極の任
務だというのもわからない。

「知られなかったことは歴史にはならない」ということについての違和感も、私に
とっては、結局は自然科学を基礎にするか否かの問題として、とらえられた。私に
とってはあったはずのものはあったはずと考えるのに、自然科学抜きでは考えられな
かったからである。

その後、理解できる範囲であちこち拾い読みしたが、それにしてもこの本の中では
「人間の科学と自然の科学は別だ」という考え方に対して、林氏ご自身を含めて、古
今の哲学者や思想家が、列をなしてその理由を述べていた。むしろ、当時思想界を二
分していたマルクス主義や唯物史観の系統の本がよく語る、「歴史や社会の科学的理
解」という表現についての説明が、単刀直入には出てこないのだった。

マルクス主義の人達がそもそも持っていたのは、19世紀の自然科学の目ざましい
成果を踏まえての、「歴史や社会をも自然科学的に理解したい」という願望だった。
しかしそうしたマルクス主義者の「歴史の科学的理解」という目的が、この本では
さっぱり見えない構成になっていた。つまり、マルクス主義や唯物史観についての、
その自然科学的歴史法則に対する信仰のことは、直接的には説明していないのだった。

唯物史観について随分詳しく説明はしてあるのだ。しかしそれは、歴史の発展段階
説としての検証であったり、歴史認識の社会的主観性の問題として扱われていたりす
る。
つまり発展段階説としての検証の部分では、海外のマルクス主義者(日本ではな
い)を例に、その欠点と検証方法の問題点を列挙し、そうすることによって、読者に
は、日本のマルクス主義の現況を批判的に見る目を養うことができるようになってい
る。

また、マルクス主義者としてはあまり通俗的ではないと思われる考え方の紹介もあ
る。最高の歴史認識に立つためには、特定の主観を選択する(プロレタリアートの立
場に立つ)ことが最も真理に近いのだ、という主張の紹介などはそれである。普通の
マルクス主義者がこんなにマルクス主義の認識は主観的だと言っていたかなぁ、とい
う感じのものが載っている。ここには、よく世間でマルクス主義者が使っていたよう
な、「歴史の客観的・科学的・法則的理解」というような表現が出てこない。

結局この本では、「自然の科学と人間の科学は別だ」と言うことが、つまりは「通
俗的マルクス主義の否定」にもなるのだ、ということは、わからない構成になってい
た。しかしそういうスタイルで、林氏はマルクス主義の通俗宣伝「歴史の客観的・科
学的・法則的理解」を排していたのである。

それにしても私は困った。自分が描いた世界の、どこがいけないのか。いくらその
「自然の科学と人間の科学は別だ」という多くの主張を読んでも、納得できない。ま
るで関係ない話をしているみたいに、全くかみ合わないのだ。たったそれだけの話な
のに。
話は変わるが、大学へ行ってみて、私の思索歴の関係上、一番大きな意外だったの
は、実のところ、「マルクス主義がまだ学問として生きていた」ということ、「社会
認識に自然科学は無用」という考え方が、極めて厳然とあったこと、この二つだった。

私は、政治の世界と学問の世界とは、関係ないように思っていたのだ。私が世の中
の喧騒として知っているマルクス主義は、政治の世界のものであって、学問には関係
ないような気がしていた。まして歴史学に登場するなんて思ってもいなかったし、学
問の世界で決定論的法則観とかいうものが、正面から取り上げられている事態という
のに、びっくりしていた。

しかし大学の現状が、学生運動はさすがにほとんどない状態だったとは言え、共産
党下部組織とかいう民青の人達がいて、「歴史の必然」「史的唯物論」なんて言葉の
載ったビラが配られたり、しているようでは、いかに呑気な田舎者でも、マルクス主
義の存在に気がつかないわけにはいかなかった。

そして何よりびっくりしたのが、経済史の講義がマルクス主義の史的唯物論にのっ
とったものだったことである。まさか大学でマルクス主義の講義を受けるなんて夢に
も思わなかったので、ここに至って、学問上の真偽の問題として、マルクス主義がま
だその成否に決着がついていないと、認識せざるを得なくなったのだった。

しかとそう認識した上で林健太郎著『史学概論』を読むと、この本も、まだなお歴
史学上の問題として、マルクス主義と戦っている、と、そう読めるのだった。

この『史学概論』は、そもそもは昭和28年に書かれたものである。私が仰天した
部分は、その昭和28年に書かれた旧版の部分に書いてあった。しかし私がこの本を
手にした昭和50年(1975年)には、「付論」を付け加えた新版となっていた。

昭和44年12月筆の新版序で林氏は言う。本文はそれでまとまっていてしかも根
本思想には変更の必要がないので、これに、第二次世界大戦以後のヨーロッパ学界の
動向にふれた「付論」を付け加えて新版とすることにした、と。では、新しく加わっ
た「付論」では、何か新しい考え方が載っているだろうか。

「付論」で展開している旧版と違った部分とは何か。旧版の「歴史学とはもっぱら
自然から区別された人間の事物を研究対象とする学問をいう」(P8)という部分に
対応する部分をなぞると、その表現はこうである。

「今日においては、純粋に方法論的な意味においては、自然科学と文化科学ないし
歴史的科学とを、リッケルトのようにカテゴリカルに峻別することは、歴史認識に
とってむしろ有害である。われわれは逆に自然科学(それはすでにニュートン時代の
「全体論」からは完全に開放されているのであるから)の新しい方法論から学ぶべき
のが多いであろう。」(P264)・・・棒線部私・・・

リッケルトは旧版部分(P150)に出てくる19世紀末から20世紀初頭の、ド
イツの哲学者である。自然科学と文化・歴史科学の区別に力を注いだ人である。

この「付論」の一文は、要するに、「自然科学と文化・歴史科学という、違った二
つの学問を、全くの別物ですよと、きっちり分けて考えることは有害です。」と言っ
ているのだ。まるで林氏が旧版の最初の部分で言っていたこと、つまり「自然科学は
歴史学には関係ない」とは、反対みたいである。しかし、では私が考えていたように、
基本を自然科学に置くのかと言えば、そうではない。

それは、「歴史の方法論」を考える際に、進歩してきた物理学などの、「自然科学
の『方法論』」から学ぼうと言っているのだ。つまり自然科学の中に起きた、「法則
概念の変化、科学概念の変化」によって、歴史や社会を「決定論的法則観」から開放
することができるということが主眼らしい。

ねらいは、当時も決定論的法則観の代表的存在みたいだった、マルクスも含んでい
るらしかった。自然科学の法則観が決定論的でなくなってきたから、人間社会の法則
観も決定論的に考えるべきではない。

ここにあるのは、自然科学の法則観と人間社会の法則観の、二本立ての考えである。
前文では確かにリッケルト流の二分論を否定したのに、直後にはまた二分論が出てき
ているのだった。

結局のところ、自然科学描く世界と社会科学描く世界とは別のもので、その別々の
世界に立てられた法則観の、理解の仕方だけを、互いに連動させようということなの
である。

むしろ自然科学と社会科学はその対象が別々だから、と、論議の対象にもならない
自明のこととして扱われ、前提として隠れてしまっているだけのことらしかった。

リッケルトと後者では別のものということで取り上げているらしい。しかし、結局
のところ、「自然科学と社会科学は別のものだ」という点に関しては、同じなのだっ
た。私のように、自然科学的知識で徹底的に世界の形状を描いておこうとした者に
とっては、全く何も変わらない。そしてそれはまた、最初に明確な二分論を述べた林
氏からしても、二分論の立場においては変える必要なしということだったのだ。

だから、人間の社会に自然科学の認識方法を持ち込むことを拒否する考えは貫徹し
ている。結局、自然科学と人間科学は別物だ、という考えは一貫しているのだった。
旧版と新版で、根本思想には何ら変更の必要がないと林氏が言うのは、確かにその通
りだったのだろう。

どこまで行っても私の考えていたこととは違うのだ。私はなにしろ自然科学の方法
論など、考えもしなかったのだから。ただ高校時代に勉強した知識を組み立てて、自
然の世界における社会の形状を、つぶさに、なるだけ正確に描いておこうとしただけ
なのである。

宇宙空間から地表を眺める。そうした構図を本の中に見い出そうとして、目を皿の
ようにしたけれども、そういう考えは全く出てこなかった。この本を当時の私が「読
んだ」というのは正確な表現ではないが、そうした構図抜きの社会論は、私の考えて
いたことと同じ土台に立つ、科学的正確さという点で、同じ意味になるとは思えな
かった。

この本は、著者が、東京大学教養学部で「史学概論」の講義を受け持ったため、一
つの教科書としての使命を持ったものを、と意識して書いたそうだ。それに付論が加
わったのは5年前。昭和28年から数えると、約20年間、不動の位置にあったもの
らしい。

何と考えたらいいのかわからない。そして私がいくら感覚の網を広げても、人間の
科学と自然の科学は別だという考え方に対して、私の言うような意味での違和感とい
うのは、どこの誰からも何も感じられないということが、じわりと私を打った。

歴史学の方法論は進歩した自然科学の方法論に学ぼうと言ってはいても、それは、
人間社会が地球の自然界の一部であることを前提する私の考えとは、どうも違うの
だった。

そして私は、それから数カ月もしない内に、林健太郎氏が前東大総長だったことを
知ることになる。私にとっては、正にデッドロックのように立ちはだかる本の著者が、
少し前までは東大総長だった人なのだった。

−−−そして私には、どうしても、自分がおかしいとは思えなかった。

6・科学と歴史学とマルクス主義 (2003.8.15)
                                   topへ  前へ 次へ 

科学と歴史学とマルクス主義。これらは高校時代には全く無関係に見えた。しかし
どうやら学問の世界でも何らかの関連性があると気がついたのは、東大教科書であっ
た林著『史学概論』が、その記述の中で微妙にその関連性について示唆していたおか
げである。これまでに既に耳にしていたマルクス主義に関する思想関連の言葉の断片
は、すべて政治の問題であって自分には関係ないと思っていたことが、急に目の前の
切実な問題となって浮上してきた。

あわててマルクス主義に関する知識のおさらいをする。よく考えてみれば、マルク
ス主義は科学的社会主義と言われていたのだった。それは世界史にも登場する有名な
話だ。

あらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である。資本主義社会はプロレタリア階級と
ブルジョア階級の二大階級に分化し、プロレタリア階級がブルジョア階級を倒して共
産主義社会を実現する。それは歴史の法則であり必然である。

そう言ってロシア革命が敢行されてソ連ができた。また、世界各地で共産主義国家
ができた。そして現在、世界は共産主義国家群と資本主義国家群の二大陣営に分かれ
て対立し、核軍備増大による均衡の上に、冷戦と言われる世界状況が出現している。

そういうことは、知ってはいたが、自分には関係ないと思っていた。現在やってい
る世界的な二大陣営の対立って、コマ取りゲームみたいに見える。宇宙から見たらそ
う見えるだろう。資本主義と共産主義の対立というのは、ちょっとマユツバもののよ
うに思われ、勢力争いというのが本質のような気がした。

こうなるとマルクス主義というのは、私には、はるかかなたに退場してしまったも
ののように見えた。日本の政治状況でも、何かそれにからんで騒がしいようだったが、
とても本気でやっていることとは思えない。

ところが、大学でマルクス主義が講義として登場したものだから、私の認識は一変
することになった。この事態をどう考えるか。共産党宣言って1848年だ。今から
130年も前のものだけど、これって勉強するものなの?

−−−どうも本当らしい。自分の中で時計の針が逆回転するような気がした。

これを正しいとして教えている立場の人が現にいる。しかし、反対論者もたくさん
いるではないか。そんな決着のつかない問題に対して、片方につくのは御免だ。なぜ、
学問なのに真偽の決着がつかないのだろう?そう思ったら、突然、日本の左右対立の
政治状況や冷戦の状況が、マルクス主義についての学問的未決着という問題とからん
で浮上してきた。

マルクス主義と学問について、本や新聞、時事問題解説書、など、あちこちつまみぐ
い的に調べてみると、マルクス主義と反マルクス主義とは、政治だけではなくて、
いろいろな場面で対立状況を呈していて、歴史学でも、唯物史観(マルクス主義)と
実証主義(反マルクス主義)という、大きな立場の違いとして表れているらしいとい
うことがわかってきた。

それにしても、東大教科書でもあった『史学概論』の、自然科学に対する不寛容さ
は何なのか。私の思考過程からすると、いかにも唐突な感じがして、不自然きわまり
ないように思われた。そして、みんなそれに対して、澄ましているような感じがする
のは何なのか。

西洋哲学では、「世界の根源」を「精神」と見るか「物質」と見るかで、「唯心
論」と「唯物論」の対立があった。そしてマルクスは、その対立の中で「唯物論」の
立場を選択したはずだった。

では、「自然科学」はどちらの立場を取っているか。大抵の日本人は、感覚的に
は「唯物論」だろうと思うに違いない。歴史学もまた、その学問の根拠として「世界の
根源は何か」という問いに、哲学用語で答えるならば「唯物論」、つまり「世界の根源を
物質と見る」立場を採っているはずだと、私には思われた。
 しかし『史学概論』では、唯物論という表現も避けている。もちろん、その言葉が
当時はマルクス主義を指すことになったので、避けたのだろう。しかし、「世界の根
源は何か」という視点を省略して「自然科学」を省いてしまったのは、自分の思考
過程からすると、どうにも理解できないのだった。

また「注」には、「方法的には正しくない」と言いながら、世界史の叙述を宇宙の
発生から説きはじめるやり方について、触れてもいるわけで、そうした知識がありな
がら除外してしまうというのは、私には全く理解できないやり方だった。

これに関連して思いつくのは、マルクス主義の政治宣伝の用語の数々であった。歴
史の必然、歴史の法則、歴史や社会を科学的に考えること即ちマルクス主義。歴史の
動きを考えるには、人間の意識よりも外側の客観的状況、つまり物質関係である経済
状況、階級対立を明確にしなければならない。そして社会秩序を転覆させる実践に参
加することが、その正しさを証明することになるのだ???

最後の方はやや過激な文句だけれども、マルクス主義が本来、思索の思想ではなく
て行動の思想だったことは、現に世界の各地で革命が起きていることから、推察でき
はする。

科学の名を冠したマルクス主義の宣伝文句に対して、歴史学の筆頭者たる立場の者
として、不穏当な行動に走らせたくないという林氏の思いが、自然科学排除の文句の
中に、透けて見えるような気がしないでもない。みんな澄ましているのは、そのせいも
あるのだろうか

ただし『史学概論』では、マルクス主義が、私が聞いた宣伝文句ほど明快な自然
法則的な歴史理解をしているとは、ほとんど書いてない。唯一、決定論という言葉が
それらしく読めるくらい。しかし私は結構、政治宣伝のレベルで、歴史の必然、歴
史の法則的理解、という文句を聞いたように思う。

こうして私は、日本の政治状況や冷戦の状況という、世の中の喧騒の核心部分を
学問の世界に見つけて、一気に中枢に首を突っ込んだような気がしてきた。しかし
そのおかげで私は逆に、かえって自分が考えてきたことの不思議さに強くとらわれ
るようになった。

自分が考えていることは、どう考えても何もおかしくない。おかしくない話が、全
く別の次元で成立しそうなのに、どうしてこれをやめられようか。そこでこれまで考
えてきたことを、もう一度組み立てて考えてみようと思いはじめた。
    **唯物論・唯心論・マルクス主義などは、トップページから参照できます。

7・人体基準の認識枠 2003年8月16日

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宇宙から地球を眺める。地球を、社会を、物質だけの存在感で考えてみる。衛星写
真や航空写真でイメージを補強する。その世界の内容は、極小粒子とエネルギーであ
る。

こうして地球世界を極小粒子とエネルギーにしてしまった私は、次には、生きてい
る自分というものを考えはじめた。

自分も極小粒子とエネルギーになりうるけれども、実際感覚にもう少し近づけるに
は、細胞の集合体くらいの水準で考えたほうが、都合がよいと思った。

自分は膨大な数の細胞の集合体であり、常にその細胞を入れ換えつつ、自分の体と
いうものの恒常性を維持している、生物である。細胞レベルでは、その細胞の交代率
で考えると、どこまでが自分で、どこまでが自分でないのか、判然としないながらも、
自分という恒常性は維持されている、一個の生物である。

そこで考える。自分とは何か。

考えている頭だろうか。しかし、頭で考えるためには、血を送る血管が必要だし、
血を送りだす心臓が必要だし、その心臓を動かすエネルギーを取り込むために、口や
消化器官がひつようだし、口に物を運ぶために手も必要だし、食べ物に近づくために
は足も必要だ。

目は、人体構造に規定された働きをする器官である。光の波長の全てを捉えるわけ
ではない。見える波長もあれば、見えない波長もある。錯視テストを行えば、みんな
一様に錯視を発生させる。(錯視テストは心理テストの入門書の中に載ってるかもし
れない。)このように人間の目は、人間固有の独特の見方をするのだ。

耳も、音波の全てを聞き分けるわけではない。皮膚も、温寒を知覚する幅は狭い。
嗅覚も限られたものである。

このように人間が知覚するものは、人体というセンサーによって、極めて制限され
ている、固有のものなのだ。

こうして、よく考えてみると、人体は全体として考えないと、極めて都合が悪いよ
うに思われた。

また、前後左右上下という空間認知は、人体の構造を基本にした区分だとも言える。
なぜなら、もし認識主体である生物が、ヒトデやクラゲのように、前後左右が存在し
ない生物だったら、果して前後左右などという区分を、するだろうか。前後左右は、
人間のような体をした生物にとっては意味があっても、ヒトデやクラゲのような体を
した生物には意味がない、というようなこともあり得るのである。

10進法が、人間の両手の指の数に対応しているから普及度が高い、というのも、
似たような理由が考えられる。

また、人体の大きさというのも、そこそこの大きさという水準があればこそ、物が
流通し、何に使えるかという目安もできる。身近な身の回りの道具はすべて、人体基
準の認識枠でできたものばかりだ。

鈴木孝夫氏が述べたように、言葉には確かにその言語固有の区分があるけれども、
私は、言語の働きを大きく考える立場の人達とは少し考え方が違って、言語はそんな
に固い認識枠だとは思えない。なぜなら、それは最終的には、人体という共通基盤を
基準にして修正可能になると考えるからだ。

例えば、色を示す範囲が言語によって違ったり、水と湯の区別がなかったり、体の
一部を指す名称が、言語によって範囲が違っていたりするようなことがあっても、セ
ンサーである人体が共通なら、何を指し示す言葉なのかは、理解できる範囲のものと
なるではないか。

私は、このようにして人体は、その全体が認識の基準であると、考える。

デカルトは「我思う故に我在り」と言ったようだが、考えるのは頭だけとは言えな
い。知覚のすべてが人体という制限内であり、また人体という基盤なしで考えること
は不可能だ。言語という他者から学習したものもある。他者なし、言語なし、では考
えることも不可能だ。

8 時間よ止まれ (2003年8月19日)
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私が既に高校時代から描いてきた物質関係。それと、大学で学ぶ、物質関係だと言
う経済関係。この両者は、どうやったら接点が出てくるのだろうか。

『唯物史観の公式』などというマルクス主義では有名な文章が、ちょっとした概説
書には大抵載っている時代だった。『史学概論』にも、経済史のテキストにも、載っ
ていた。その文章を文法解析みたいな方法で読んでみようと試みたりしたが、お手上
げだった。どうにも、その『唯物史観の公式』の世界が頭に浮かんで来ないのだ。浮
かんでくるのは、自分が確実な存在世界だと思った、空中写真でイメージする物質世
界だった。

四苦八苦の挙げ句に『唯物史観の公式』理解の方向から考えるのを放棄した。代わ
りに、自分が考えた空中写真的な物質世界で、経済とは何かを考え始めた。
そもそも、経済史で使ったテキストの表題は、『所有と生産様式の歴史理論』とい
うのだった。所有というのは、マルクス主義では重要視される「階級」の形成原因だ。
しかし、上空から見る限り、生物としての人の存在感はみんな平等という感じがす
る。人が動いていると、その行動は確実にその社会的立場や地位を反映するけれども、
写真みたいに静止していると、そんなことは何だかわからなくなりそうに見えた。

時間を止めれば、人が日常生活で認識する程度の物体の存在感を損なわずに、その
見る光景をかなり再現できるだろう。ここで思い出したのが、子供の時にテレビで見
た『時間よ止まれ』という番組だった。

主人公が「時間よ止まれ」と叫ぶと、周囲はみんな止まってしまい、その間に主人
公はスーパーマンの如く大活躍ができるというストーリーだった。

細かく言うと都合の悪いこともあるにはある。たとえばテレビの画像。私たちには
それが写真のようなものに見えるけれども、時の流れが遅くなったとすると、視覚の
残像効果を利用したテレビ画像は、普段私たちの目に写るような具合には見えないか
ら、画面を見てもそこから情報を得ることはできないだろう。が、それにしてもこの
イメージは、空中写真と違って、静止した等身大の世界を、観察者が自由に行動でき
るというメリットがある。

みんな止めておいて、自分は好き勝手なところへ行けるというのは、ものすごくて
恐ろしくもある。しかし物体だけの世界というのは、そんなものなのだ。私たちは、
目の前にあっても自分には行けない所がたくさんある日常を暮らしている。普段は制
止する者がいるということである。

どんな偉い人もみんな止まっているわけだから、誰が偉いのかは、にわかにはわか
らない。お金持ちも止まってしまっていると、どれほどのお金持ちかはわからない。
所有している物やお金と、お金持ちとの間には、紐がついているわけでも何でもない、
ということに気がつく。

これは物質関係だろうか?私が言うような意味での物質関係ではないのは、一目瞭
然である。一時的にでも止まっていると仮定すると、経済関係を私が言う意味での物
質関係と結び付けるのは、かなり難しいものに感じる。

まず第一に、マルクス主義では肝心な階級形成の原因である「所有」がさっぱりわ
からない。日中活動している人々の、それぞれの家や土地はどれであるか、そんなこ
とわかるわけがない。

では「所有」とは何か。これはずっと後の考えだが、自他の脳と、外側の情報(法
律によって権利保証のある登記所の記録や、銀行の記録)との間で、相互に情報処理
が行われて初めて、所有が人間相互の間で確定する、ということだろう。

人間社会において、個人個人の脳内の情報処理の方法をどのようなものにするか、
個人の外にある情報をどのようなものにするか、これは、社会のあり方を相当部分決
定するものではないかと思う。

事の始めは子供の頃に見たテレビ番組『時間よ止まれ』からであるが、自然科学で
も時刻を限定しての観測とか、その時刻の予想状態とか、その一瞬の状態を捉えよう
とする場合があるものである。

「時間が止まる」というのは、物理学的には、電子が止まっていたら「原子は存在
しようがない」「物質が存在しようがない」という、この宇宙世界の物質的「存在」と
いうものと矛盾する概念だそうだ。だから、物理学で私の考え方に近づけようとする
ならば、それは「時間の断面を捉える」とか「時間をゼロに収斂する」という表現の
方が、よりよい表現だろうと教えていただいたことがある。

何万光年という宇宙の話はともかく、地球世界の話なら、これでも相当役に立つと
思う。一度、闇の宇宙にポツンと浮かぶ青い地球の、表面に広がる人間社会の、ある
時刻のその一瞬の姿というものを想定してみて、自分がその静止した社会の中を、自
由に動いてみたら、この社会がどのように見えるか。それを考えてみるのも、社会と
は何かを考えるために、有効な一つの方法ではないかと考える。

          ***『唯物史観の公式』はホームページトップから参照できます。 

9社会と情報 2003年8月16日
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さて、宇宙空間から見たら、人は皆平等の存在感である。しかし人が皆、宇宙から
見た目のように平等かと言えば、日常の事を考えれば、即座に違うという印象になる
だろう。そしてまた、歴史上の大きな流れとして学び、またこれからも社会の中
心的動きとされるであろう事柄は、空中写真の中で特定しようと考えると、どうも極
小のような感じがする。

例えば政府に幾人の人が携(たずさ)わり、政治に何人の人が携わるだろうか。あ
るいは、マルクス主義が唱えて勢力二分と言われた、ブルジョア階級の人が何人いて、
プロレタリア階級の人が、日本の現状で何人いたと言えただろうか。数で考えるなら、
ブルジョアでもなくプロレタリアでもない人々の方が、圧倒的なような気がして、ど
うしてそれが社会認識の役に立つのか、不思議だった。

宇宙空間からの視点という考えは、ただ在る、という実態認識について強い自覚を
促し、自分のローカルな位置は、その認識を補強するものとして役に立った。それは、
歴史とは何かという問いとは逆に、歴史になど残らなくても、あったものはあったの
だ、という当たり前の事を、最初に確認することとなった。

現代を上空から見ていて、歴史とは何か。やっぱり普通に思う歴史というのは、そ
ういう世界では、全く見えないのだ。歴史にかかわることで重要に思えたのは、人
だった。上空から見えるものとしては、人体であり、一人一人の人だった。

しかし外から見る限りの人体は、それだけでは人が一般に思うような歴史に関係す
るとは思えない。物質世界の中で歴史とは何か。それは頭の中の情報であり、認識の
ように思える。

人は地球上で生成し、多くの経験と知識を蓄えてやがて消滅する。自分の生成をた
どって考えると、上空から見た物質だけの存在感「以外」の、日常の社会生活に必要
な普通の感覚・知識・認識というのは、自分の体感を通して、他者から言葉を媒介と
して、情報として手に入れたもののように思える。

 例えば社会用語だ。政府・首相・大臣・官僚・公務員。財界・社長・平社員・労働組
合。自営業・農業・漁業。正社員・パート・アルバイト。富裕層・貧困層。
先生・学生。企業・財団。社会的な地位の上下。階級。こういう言葉が指し示すもの
は、空中写真で見る個人や集団を、その物質感以外の、人間相互の間に発生する、
社会的な意味合いで表現している。

 これなら、空中写真で見えなくても納得できる。ただし上空から見えなくても、
それは音波であったり、信号であったり、文字という表示記号であったりして、物質
世界に実在するものである。あるいはまた、脳内の信号として存在したりもするだ
ろう。

人にとって重要なのは情報だと思ったとき、現代は私にとって最もとっつきやす
かった。過去の時代なら大部分落ちて消えてしまっていることが、現代なら全部ある
はずだった。ならばどうして、歴史の動きを考えるために、その豊富な情報を利用し
ないでいられるだろう。創られつつある歴史時代を、これほど豊富な情報がかけめ
ぐっていたことはかつてない。かくして現代は、私にとって、最も有利な時代に思わ
れた。

自分が未来の歴史家だったとしたら、その情報を使って、今の時代をどのように描
くだろうか。それは、歴史というものが、過去のありとあらゆるものの中から、現代
の人にとって必要で重要と思われることをすくい上げる機能を持っている、そういう
認識によるものだった。そう考えると、未来の歴史家が絶対に見るはずのない現在を、
今自分が見ているというのは非常に有利に感じられた。

自分が知覚するすべてのものの中で、歴史とは何か。そう考えたとき、私に思い浮
かんだのは、私の目の前の圧倒的大部分は、歴史から落ちるだろうという予測だった。
しかし、自分の人生でも、歴史上の人物達と共有するものもある。例えば、社会構造
図。私たちはそれに沿って行動するだろう。接触する、現代にあふれる情報。私たち
の行動は、それに影響されるだろう。そうした共有する情報の部分は、共通項として
社会全体の枠組みを作るような気がした。

歴史からは消えるであろう部分に生きている自分でも、極めて多くの人達と共有す
る情報に沿って行動しているのである。影響の大きな情報、共有が大きければ大きい
ほど、それは社会を大きく動かし、社会における物の考え方や行動の仕方の基盤とな
りそうだ。

歴史家が見ることのできなかった消える部分を、私は今生きているおかげで見てい
るような気がした。消える部分にいるからこそ、時代を象徴するものが何かを考え
ることができる。それは私の思考過程からすると、情報に見えた。そして私は、情報
によって形成される一人一人の頭の中の共通項が、時代だと思ったのだった。

人体というセンサーを通じて手に入れる環境からの直接的感覚(人肌のぬくもり、
風景・気候のもたらすものなど)・人と人との間の情報交換によって形成される概念
・その概念を組み合わせて作られた、もっと高度な、そして普通に言う情報・それら
をさらに組み合わせた認識。認識を外に出せば、また情報にもどる。人間が感じる意
味や価値は、こうした中で形成された認識の一つだ。

社会を無意味な物質世界に還元してみて、意味や価値を付加するのは人間だという
ことに気付いたとき、その意味や価値がどこから生まれるかと考えたら、人間相互の
情報のやりとりによるものは非常に大きいと見える。もちろん個人的な価値基準も千
差万別あるが、すべてがばらばらというものでもない。通貨はその価値が全国共通だ
という認識があるから意味がある。それは情報による認識だ。通貨の物質的性質に価
値を生み出す源泉があるわけではない。言葉や数の、意味や概念の形成も、情報によ
るものである。私が言う情報とは、このように非常に基本的な認識を形成するものを
含んでいる。なぜなら、時をさかのぼれば、それすらすべての人が、必要十分に身に
つけることの困難な時代が長かったのだから。

私は、物質だけの存在感という考え方の中でも、具体的・直接的には、上空から見
た空中写真のイメージを土台にいろいろなことを考えた。人々の間を飛び交う情報の
種類について考える時も、具体的なイメージというのは空中写真による空間イメージ
だったのである。

それにしても知る限りでの言語学では、言葉の意味構造ばかりを気にしていた。なぜ、
言葉がどこから来るのかということを、問題にしないのだろう。言葉は生得的に備わっ
ているわけではない。そんなことは誰でも知っているのに。わけがわからなかったが、
とにかく自分は先へ進むのだ。

では現代日本の社会を考えた場合、その情報ルートという点に注意しながら、自分
の社会生活上の知識を主にモデルとして分析してみると、どうなるだろうか。

地球の表面に広がる社会。そこで生きるおびただしい人。しかしその社会で重要な
ことは、そうした外見ではなく、人々の脳の中の認識であり、情報である。

それぞれが、自分の成長の過程を思い出してもらいたい。自分がどのように成長過
程で情報を受け取ってきたか。それがどれくらい他の人々との共通項であり得たのか。
そういうことを考えてみる。

まず子供時代。そこで受け取る情報は、非常に個人的なものである。人間関係も、
社会関係も、自然環境も。しかし母国語の基本的な語法は、ここで身につける。この
母国語の基本的語法は、この段階では他の人々との共通要素の高いものだろう。

そして学校へ行くようになると、一気に大規模なスケールの情報に、毎日接触する
ようになる。それは何か。学校の勉強内容のことだ。国語・算数・理科・社会。日本
の場合、何種類も教科書はあっても、どれもその編集方針は文部省の教育指導要領に
沿ったものだ。社会生活準備段階の子供に、九年にわたって毎日のように施される教
育。

ここには、他のルートではまとめて見ることのない情報がいくつもある。言語・数
の知識はもちろんだが、例えば自然科学の基礎知識。民主主義社会の理論とシステム
の知識。子供のすべてに知らしめようと準備されているこれらの知識は、時代を支え
る情報として非常に大きなものだと思う。

後に述べる他の情報ルートからの知識は、個人の経験によって蓄積してゆく。しか
し教育は、強制力があり、大規模であるという点で、情報として第一級の性質を持つ
ものである。だから私は、義務教育を『基本情報』と呼んでいいのではないかと思ってい
る。

社会が異なれば、この基本情報も、内容は別のものになる。宗教が最優先される国
では、基本情報は、その宗教らしい。また国が違えば、宗教でなくても、盛り込む内
容は大いに特殊なものとなり得る。アメリカなどでは、州ごとに違う。日本の事情が
すべての国に通用する訳ではない。日本は日本なのだ。しかしその分、その情報とし
ての大きさと共通性が明白で、基本情報という概念をも導きやすかった。

以上のことから、義務教育を(1)『基本情報』と数えよう。

(2)次に、やはり広範囲で、誰もが生活に欠かせない情報として、社会システムに関
する情報を挙げたい。

例えば、交通機関を利用しない人はいない。時刻表は必要不可欠の情報である。ま
た成人は税金を納める必要があるが、これはどうするのか。選挙はどうするのか。年
金はどうなっているのか。電気やガス、電話の利用の仕方について。銀行の利用の仕
方。郵便に関する情報。その他、諸制度に関わるすべての情報。官民に関わらず、具
体的な情報は直接、機関の窓口から出ているもの。公共性の高いもの。

こういう具体的なことは、学校などでは間に合わない。その都度、必要となった時
に個人が努力して手に入れる必要があるものの、社会生活では必須の情報である。

法律は社会制度を規定するものだし、通貨も経済を規定する。これもみんなが使って
いる情報だ。

 こうした社会システムに関する情報を(2)『社会システム情報』と呼んでおこう。
(3)その次には、各々の職業、社会的立場による情報の偏りをマークする。その職種、
そのグループ、その地域内、では、日常流布しているけれども、他には伝わりにくい
たぐいの情報である。これを(3)『偏在情報』と呼んでおこう。ただし偏在情報とは呼んでい
るものの、個人的な直接体験に含まれる、懐深くあらゆるところにある日本語の基本
も含んでいるつもりのものである。

例えば、身内や隣近所、仲良しグループ、趣味、サークル、愛好家グループ、通っ
ている学校、職場、職種、○○会といったもの、所属する団体、個人的に信仰する宗
教グループ、あるいは町や市や県などの行政単位の中の情報。さらに付け加えるなら
ば、世代ごと、年齢別の情報の偏りがある。

この中で見つかる情報には、社会では決して表に出てこないのに、確実に生き延び
続けている情報もある。例えばねずみ講に代表される悪徳商法のやり方だの、ヒット
ラーに類するような権力的に人間操作をする方法だの、オカルトだの、数々のだまし
のテクニックだの、等々である。

こういうものは、公の情報だけに頼っているとわからない。行為を意思した当人だ
けは知っている。それがだましのテクニックであることを。しかし公の情報に頼って
育ってきた人には、そんな人間が実際にいるという実感がない。そこが、付け入られ
るスキにもなる。その論理も価値観も、公の情報とは、すべてにわたって全然違う考
え方が実在する。要注意である。平穏な社会生活をおびやかす可能性のあるものを、
伏流情報とでも呼んでおこう。

ここにはまた、世代間のギャップというようなものもある。戦前の教育を受けた
人々と、戦後の教育を受けた人々の間には、誰の目にも大きな隔たりがある。今は年
老いたとは言え、戦前の教育を受けた人々は、その受けた教育を決して忘れたわけで
はない。戦前の考え方が留まっているのも、(3)である。歴史的な社会制度のために存
在していた考え方や知識で、今なお残っているものを滞留情報と呼んでおこう。
(3)は、ある意味ではパンドラの箱のようなものだ。何が出てくるかわからない。

(4)最後が、情報という名では最も耳になじんだ、(4)マスコミ情報である。現
時点で、最も先鋭的な関心を反映しようとしているものとしておく。時事問題ならば、
教育でも、システムでも、伏流情報でも、その他何でも扱う。

これら四つは、どちらかと言えば、個人に対して、必要に応じて能動的に積極的に
情報源として活動する。

他に、図書館・資料館・博物館・歴史館などもある。これらは、四つの情報源が出
す情報の裏付けともなるものを、蓄える所だ。そういう機能を持った所も、社会には
ある。

あるいはまた書籍出版という分野もある。しかしこれは、四つの情報源の影響を受
けて手にすることが多いのではないだろうか。個人的な関心によって手にすることも
多いだろうけれども、アピールとか実用とかいう点では、これも静かな情報源である。

社会論はいろいろあるけれども、日常語における基本語と言われるようなもの(山や
川・お父さんお母さん・机・水・歩くなど)や数詞、基本的な科学知識や社会知識、こう
いうものを、伝播する情報として把握することはないみたいだ。
  
 しかし「無意味な世界」から「人体基準の認識枠」を立ち上げるには、どうしても基本
要素が必須である。

 ーーー無意味な世界に立ち向かう、膨大な細胞群の1集合形態である人体が、「私」
という意識を持ってこの世界で生き始めるには、他者から伝達された「人体基準の認識
枠」を、自分も共有するところから始めなければならない。
 
** 現代の情報というものを、情報源を鍵として分類してみた。
ここで文明発祥以前から思い起こす。この数千年の間、文明・文化の興亡を繰り返
しながらも、人は進歩へと向かってきた。進歩の概念についてもいろいろ取り沙汰さ
れることはあるけれども、とにかくある種の方向性は誰でも感じるだろう。文明・文化
とは、単なる流行ではないのだ。後戻りを許さない何かがあるからこうなるのだろう。
それは一体何か。

まず、誰にでも検証できる確実な知識である。これが増えてくると、後戻りはでき
ない。そして、人の生活を楽に豊かにし、行動範囲や活動量を増加させる技術が増え
てくると、これも後戻りはできない。そして、それらの情報を伝達する仕組みが整う
と、これまた後戻りはできない。そして、それらの変化がもたらしたものを踏まえて新
たな思想が出てくれば、それが状況の変化に符号していれば、やはり後戻りはできな
いのだ。

確実な知識、確実な技術、これらは現代から振り返っても、継続情報としてその発
生から語り伝えられるものである。

人類はこれまで非常に多くの経験を積み重ねてきて、その試行錯誤の形跡すらもた
くさん情報として蓄えている。継続情報は、それらの膨大な失敗の上に成り立つ貴重
な情報なのだ。

私は、情報の種類と広がりと偏在について、そのルートを手がかりに、およそこの
ような見当をつけた。私たちは、こうした重複し錯綜した情報社会の中で生きている。

私はできればすべての人を網にかけたかった。すくいあげられる人の数が多ければ
多いほど、その認識には偏りがないと思われたのだ。これが、集中的に一気に考えた
時の、最も重要な点だった。

世界史の大きな流れという原則、存在する人すべてを対象とするという原則、これ
らから離れまいとして考えると、長期的広範囲な、社会の中に普遍的に存在している
情報を把握することが大事だった。

必ずしも行動目的として浮かんでいるわけではない、人のものの考え方の大枠を、そ
の情報ルートという社会的形式で把握する。私の考えによれば、ものの考え方の大枠
は、即座には行動目的として浮かんでこなくても、その時代の動きの可能性を規定す
るものだった。人が自分の認識として受入れ、あるいは信じていることで、それ以外
にはみ出す可能性のないことを押さえることがまず重要だった。

 **今はインターネットや携帯電話の普及による、能動情報にも配慮する必要が
あるが、それはまだ課題である。

 情報と同時に、急速に普及した技術と時代との関連も、考えるには考えた。例えば
テレビや冷蔵庫や洗濯機、車等々、これらの普及拡大のことは、よく話題になっていた。
マルクス主義が言う、物質関係による時代の規定という言葉から連想すると、私の
物質のイメージでは、むしろそちらの方がわかりやすかった。

  確かに文明の利器は人々の暮らしを変え、間違いなく歴史を変える。暮らしが変わり、
活動範囲が変わったら、間違いなく人のすること・考えることは変わるだろう。しかしどう
変わるかという方向性の問題に、直接答えるものでもないような気がした。

 こうして私には、自分にしか見えないらしい分野の方が、先に着手するべき
ものに思えたのである。

10 マルクス主義の分布状況

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次に真先に考えたのはマルクスの分布状況だった。自分がその学説に疑問を感じて
いるのだ。そしてそれは世界を二分している陣営の一方が採用しているほど大きい。
社会全体の把握、歴史全体の把握をうたってもいて、日本の学問に与えている影響も
大きいことがわかっている。

つまり、どうやらマルクス主義は現代という時代を規定しているものの考え方の枠
の一つだとわかった上に、自分が決定的な部分で引っ掛かっているのだった。

自分がマルクス主義のどこに引っ掛かるか。何といっても、その物質関係という捉
え方の部分の違いが、極めて邪魔でしょうがない。なぜマルクス主義では、物質関係
と言えば経済問題なのか。
 
 また林著『史学概論』に、マルクスも「歴史は自然の歴史と人間の歴史に分けられる。
人間の歴史に自然の歴史は関係ない」と言っている、とあったのも非常に引っかかる。

マルクス主義が唯物論だというなら、私の考え方との違いにおいて、マルクス主義は
唯物論じゃない、というのが 、マルクス主義の間違い指摘の決定打になりそうな気が
する。しかしそういう論理展開には全然なってない。唯物論でも自然の歴史には関係
ない、というのが当然みたいなのが引っかかった。

それは、マルクス主義が本来持っていた、社会矛盾に対する憤りに共感する以前の
問題で、自分の世界認識の出発点に対する、妨害のように感じられたのである。

マルクス主義は、自分のいる場所によって非常に差のある情報の一つでもあった。
知る人知らない人、賛否、などが、ばかにくっきりしているのだ。田舎にいれば、マ
ルクス主義に首を突っ込むこともなかっただろう。言葉以上には知ることのない人達
がたくさんいる。しかし政治世界では、踏み絵のように、左右の分岐点になる言葉で
あった。どうやら経済学や歴史学でもそのような構図が見えるのだ。そして世界はこ
の思想が分岐点らしい。なんておかしな状況なんだろう。瞬間的に関心がそこへいっ
てしまう。

四つの項目の中で、マルクスに関する知識はどこにあるか。それは主として三番目
の偏在情報にあるようだった。義務教育には出てこない。社会システム上の情報でも
ない。マスコミが流しつづけるものでもない。知らない人は全く知らない情報だった。

ではどこで知ることができるのか。大きな情報源の一つは大学や知識人のようだっ
た。私の経験でもわかる。大学構内のビラ、大学の先生方の話や講義そのものであっ
たりする。大学や周辺の本屋さんでも、書籍を通して、知ることができる。今思えば、
私が通った大学は小さいせいなのか、史学や国文・英文の専攻生までが経済学を
勉強することになっていたことも大きかっただろう。こういう大学の特殊事情がなかっ
たら、全然話が違っただろうと思われる。

大学が形成する文化圏、そこから得た知識によれば、労働者階級の思想として、政
党等政治活動機関が情報源となって、それらにかかわる人々の間にも、共通の知識と
して存在するようだった。そうしたことを知っていて、やっとマスコミ情報の切れ端
を読みとくことができる、私はそういう位置にいた。マスコミは時事問題の側面を扱
うだけで、認識主体者としての受け皿を作るほどの用意はなさそうだった。

世界情勢にかかわる大きな思想として、政府関係者には賛否にかかわらず必須の基
礎知識だったし、大学の門をくぐった者にとっても、とりわけ社会科学周辺が専攻な
ら必須だった。

つまりこれは社会組織上で考えればどういう人々に分布しているのかと考えれば、
賛否並立の状態でどちらかと言えば権力に近いところに多いと、私には思われた。労
働者と言えども、組織化され知識化されている人達は、力の側にいるような気がした
のである。

以上のことは、私が現代日本社会の情報について、すくいあげるための網を考えて
から、マルクスをひとつの鍵として読み取ったことである。しかし、認識方法を考え
てから読み取ったりする前に、私は日本社会の意識構造というものにとらわれ、さか
んに試行錯誤を重ねていたのだった。人を動かすものは情報であるということについ
て、理論的に(と言うよりはむしろ映像・立体イメージで)確実な思考枠を作ったの
は二回生の時である。しかしそれ以前に、一回生の時にも、意識構造というものにと
らわれていたのだ。

どういう事かと言えば、最も端的な例を挙げるなら、自分が不安だった核戦争の脅
威について、誰も本気になって心配していなかったということである。新聞やテレビ
では当然の情報として流れているのに、自分の目の前の社会は、そんなこととはおか
まいなしに動いている。なぜか。

みんな一体何を考えているのか。私は知っている人々をできる限り思い浮かべては、
核戦争の脅威という項目でチェックを重ねた。共産主義は良くないんだという意識が
ある。あるいは、資本主義は克服されるべきだという意識もある。しかし核戦争はい
けないということになると、お互いの自分の主張が正しいという意識にさえぎられて、
焦点がぼやけてしまうのだった。

現代社会のトップである首相はどうか。自民党の党首だ。共産主義はいけないと
思っているだろう。核戦争だって無論良くないに決まっている。しかしそこが自由主
義陣営に属する者であって、共産主義はいけないという論理の方を優先させないと、
立場が怪しくなるみたいに思えた。

マルクス主義者はどうか。彼らの歴史の発展段階には、核戦争なんてものはない。
自由主義社会は社会主義社会に発展するために、克服されるべきものなのだ。その段
階での核戦争は、位置付けがはっきりしない。無論彼らにとっても、核戦争は良くな
いのだ。しかし自由主義陣営の仕掛けてくるものに、屈伏するわけにはいかない。自
分たちは正しいのだから。そんな感じがした。

周囲の友人知人はどうか。あまりにも突飛な質問に感じられて、聞いてみるのがた
めらわれる。だいたいが不安だけれども考えても仕方がないと言うだろう。人によっ
ては、そんな政治に近い堅いことを考えてはいけないとも言いそうだった。(ただし
想像するばかりで、そんなことは聞けはしなかった)

核装備の増大ということを報道する人々も、危険を知らせるだけだ。平和主義者の
運動も報道されてはいた。しかし陳情やデモなんか、何の役にもたっていないように
見えた。焼け石に水である。

郷里の人々が、どれだけそんなことを知っているだろうか。この場合、知っている
かどうかすらおぼつかない人々が浮かんでくる。

誰もが、結局はどういうことになるのか、少しも考えていないようだった。一生懸
命目の前のことをしているだけである。核戦争阻止については、みんな他人まかせみ
たいに見えた。直接増大させている人々の考えは、私にはわからなかった。

危険だけはわかっているけれども、誰もが他人まかせなのである。大戦前夜の状況
というのは、こんなもんじゃないのかなと思うと、自分の想像にギョッとする。

それは、人の意識の中から「核の危険」という言葉を検索するのに似た作業だった。
現代の日本社会の中を照射しながら移動する感じである。人の数が重要だった。自分
のような人間が極めて少数の部類だということを、1回生のこの時初めて感じた。情
報の飛び交う現代日本でも、核戦争の危険ですら、知ろうとしない人は知らない。

意識の世界が人によってそんなにずれていて、それで社会が動いていて、そして戦
争が始まるなんて、そんなことあるのかな−−−。

そして社会が情報で動くということについて、多少は理論的?に構築図を描いたと
ころで分析してみたマルクス主義のこの分布状況は、一体何を示唆するのだろうか。


** 当時は論理など全然考えなかったと言っていいほど、直観を土台に、飛躍に
次ぐ飛躍をやった。だから論理を書くと、当時の私の実際の思考とはかなり違っ
てきてしまうような気がするくらいだ。

  人に納得を求めてやむを得ず書いているが、今思い返しても、正確の点を認知
したら、次はこの正確の点、次はこれ、と、一気に結論を出してしまったとしか言え
ない。考えていた時間というのは、実質的には数日だと思う。イメージの世界と
いうのは、そんなものだ。

  言葉にならなかった構図を思い出しては、長々とした文章に置き換えて説明して
いるような感じなのである。あるいはその構図は複雑な分子構造モデルのような
もので、文章になどなりようのないものを、見る角度を変えることによって説明して
いる感じだとでも言った方が良いだろうか。

 自分で考えたことが大事なものである、と、確信を持つに至るまでが、大変なのだ。
11・冷戦とマルクス主義・その後の論調 2003年8月20日

                                top   前へ  次へ

私があわてて新聞の国際面をしげしげ見るようになったのは、世界史を勉強して
培った、世界の動きを見通すという発想からして、当然のことだった。

社会主義国家から資本主義国家に対してなされる非難やコメントなど、外交に関す
る文書の、文面の下敷きになっているのはマルクス主義の思想だった。

こういうものは、みんな高校世界史からすると、参考史料として出てくるレベルの
ものだという感覚で新聞を読んでいた。

世界の状況や日本の政治状況をかれこれ考える内に、私が「マルクス主義が否定さ
れたら冷戦は終わるだろう」と考えたのは当然のことである。

しかし自分が考えているような当たり前のことを、どうして他人が考えないのか、
どうしてこんな思想状況で固まっているのか、自分が何を言えばマルクス主義を否定
したことになるのか、そういうことが、どう考えてもわからなかった。

自分はマルクス主義が間違っているように思う。しかしこれを表現すると、困った
ことに「間違っている」という表現にしかならないのだ。自分が何を表現する必要が
あるのか、それがわからない。

宇宙創成から現代に至るまでを歴史として捉えてみる。宇宙から地球を見る。そん
なことは、考える人は誰だって考えそうだし、空中写真だって、ある所に行けばどっ
さりあるものだし、極小粒子とエネルギーの話だって、みんな知っている話だった。
物を所有しても、私が言うような意味では物質関係が発生しているわけではないな
んてことは、誰でもわかる話みたいだ。それがどうして、学問の世界で真偽の判定が
つかないことになるのか。

自分が考える基本にした事柄の要素を取り上げては、それを考えそうな人達という
のを想像してみる。たとえば「宇宙創成から現代に至るまでを歴史として捉える」と
いう考え方が好きな人は、たくさんいそうだと思うのだ。しかしそういう人が、それ
が歴史学の方法として必要だ、とまで主張するような場所に、生きているとは思えな
かった。

私が考えたその他の様々なことがらのすべてに、この生きている場所の違いという
側面が共通しているような気がした。私以外の人は、棲(す)み分けた社会で、みんな
食い違いの場面にいるみたいだと思った。

しかし私だって、東大総長が書いた東大教科書に対して、正面から文句を言うほど
の立場にいるとは思えない。自分より偉い人はいっぱいいるではないか。こんなに状
況がおかしく思えても、自分が何か言うほどの立場にいるとは思えない、というのは、
大きな問題だった。

それに自分が直面しているのは、大学生活における歴史学の勉強なのだ。こんなこ
とを自分が考えていても、大学生活で何か成果を生み出せるようなものではなさそう
だった。言葉で考えたのではなく、シミュレーションで考えたもの。これを文章に書
き直すなんて作業は、全くやったこともない。それに意味があると後押しするものも
何もない。おかしいと思いながらも、気を取り直して大学の勉強に戻るしかなかった。
***
***
〔近年の論調との戦い〕
 1991年、ソ連の崩壊が確実になった。忙しい日常だった私には、ベルリンの壁
の崩壊も、ソ連の崩壊も、それがなぜかはわからなかったけれども、当然のような気
がした。

しかし問題はそれからだ。どう感覚をはりめぐらしてみても、私が考えたようなこ
とは誰も言っていない。『史学概論』は売られ続けていた。ここ1・2年前まで、
売られていたようだ。つまり私が大学時代にショックを受けた頃から、さらに25年
の寿命を保った本なのである。

 科学も歴史学も、人間の側の捉え方の問題が大きいのであって、絶対に確実な
ものなど存在しない。どのような角度でものを見るのが社会的により適切であるか
が問題なのであって、客観的なものなど存在しない。

  そういう話が主流を形成するように思われた。
「誰もがそれで、是か非かを判断できるもの」があるなんて言う者は、
頭が古いマルクス主義者か素朴客観論者だ。そんな風潮が出てきたように思
われた。そこで、これはおかしい、そんな気持ちになったのだ。

**
〔近年の論調について、その変化をたどる〕

こうした議論を初めて読む方の中には、不思議なことを言ってると感じる方もいる
と思うので、その背景を説明したい。しかし科学や歴史学の考え方を歴史的に振り返
る、というのは大変なことである。だから以下に簡単に述べたものは、私が手の届く
範囲で読んだ本から得た印象であって、間違っているかもしれない、ということをあ
らかじめお断りした上で、説明したい。

1私
「物質世界は、人間の意識に関係なく、それ自体の性質によって客観的に存在
するものだが、事実は、言葉や認識枠による、人間の側の都合によって把握された
ものだ」

2素朴客観論
「事実は外部から観察者にぶつかってくるもので、観察者の意識から独立に客観
的に存在する」

3主観性認識論
「人間の認識に関係なく、外部に客観的に存在する事実というものはない」

まず私の「物質世界は人間の認識に関係なく、外部に客観的に存在する」というこ
とについて。これは、後世に至って素朴客観論者と言われた人々が、その昔に使って
いた言葉「事実は観察者の意識から独立して、外部に客観的に存在する」に良く似て
いるらしい。そして現在主流なのは、「人間の認識に関係なく、外部に客観的に存在
する事実というものはない」という考え方なのである。

これは一体どういうことか。それを説明しなくてはならない。

**
〔素朴客観論と私〕
昔の素朴客観論者は「事実は外部から観察者にぶつかってくるもので、事実は観察
者の意識に関係なく客観的で独立である」と思っていた。

しかし私は、「物質世界は、人間の意識に関係なく、それ自体の性質によって存在
するものだが、事実は、言葉や認識枠による、人間の側の都合によって把握されたも
のだ」と思っているわけだ。

こうして比較してみると、素朴客観論者には、事実というものが、人間の側の認識
枠によって切り取られるという側面や人間の側の関心という側面が、意識されていな
い。つまり、人間が認識したものがそのまま、人間の認識に関係なく客観的に存在し
ていると考えたのだ。

  それは、例えば「A首相が国会で演説した」という場合。「素朴客観論者」は自分の
認識に関係なく存在している事実だと考えた。

  しかし私は、「首相」とか「国会」とかいう概念は、近代法制度によってのみ成立する
概念であり、特定の個人や制度の呼称としては、ある時代に固有のものであり、認識者の
知識に依拠するものである、と考える。

  また「首相・国会・演説」という概念で事実を捉えることは、認識者から見た重要性か
らくる判断というものが含まれる。したがって、物質現象としては認識者に関係なく存在
していることであっても、事実として表現されたものは、認識者に無関係ではありえない。
そういう見解をとるものである。
  
〔素朴客観論に対する、主観性認識論から見た問題点〕
素朴客観論は「目の前に机がある」という認識は事実である、ということに何の疑問
も挟まない。「机」というものの「事実」とは、具体的には、素材・足の数・色・形など、
どれにも関係なく、「人間の側の都合で決まっているのだ」ということは、既に鈴木氏の
「ものとことば」という文章の所で見た通りだ。しかし素朴客観論では、観察されたことが、
そのまま客観的な事実なのである。

また、素朴客観論の歴史家の場合、観察され残されたことが外部からぶつかって
きた事実なのである。その事実を検証によって鍛え上げれば、その中に真実が見え
てくる、という姿勢になる。

  ここでは、最初の当事者が記録に残す段階から当事者の関心が絞られているこ
とや、史料が選択して残される場合の、その時の人間の意図ということに、あまり
注意が払われないままになったりする。

 そして彼らは、事実は事実が語ると言う。歴史家の関心によって取り上げ方が
変わる、そういうことに、あまり注意を払わない、というようなことになる。

また、科学においても、前時代の科学の理解について、その客観性というものに
疑義が出された。実験においては、人間の側に視点設定があり、その視点設定以外
のことについて、科学は何か言えるほどのものでもない、という理解の仕方が普通の
ようになった。理論が『事実』を見いださせているのだ。事実は人間の側が設定した
虚構である。(参考:村上陽一郎著『新しい科学論』講談社・ブルーバックス1979・
P166等)

村上氏は、科学はキリスト教的信仰から生み出されたと、日本人の科学観が唯物論
的・無神論的なのに修正を試みておられる。しかし、「理論が『事実』を見いださせ
ている」という文章を、文字通りに読めるだろうか。つまり、「理論があれば『事実』が
見える」のなら、「でたらめでも、理論さえあれば『事実』が見える」ことになるか
どうかだ。そうはなるまい。

〔素朴客観論に対する批判〕
昔のこうした客観信仰とでも言うべきものを「素朴客観論」と名付けて、批判が相
次ぐ状態が出現した。それが現代に続いていると思う。

それは、マルクス主義の唯物史観に対しては、例えばその発展段階論の検証の仕方
について、まず最初にマルクス主義の認識枠があり、事実をその中に押し込めること
で「検証された」という主張がなされていて、それは全然検証ではないのだ、という
非難になる。

例えば日本史でも、戦後すぐには、原始共産制・奴隷制・封建制・資本主義・社会
主義という発展段階がある、という主張がなされたこともある。それはマルクス主義
に則して考えれば、生産様式に着目した、客観的な歴史観として強く支持された。

この日本史の見方について、マルクス主義だという批判以外に、人間が見えないと
か、元来のマルクス主義でもないとか、いろいろ批判があった中でも、検証だと言う
その方法が、事実を理論の枠の中に押し込めているだけだ、というのがあって、それ
がここで取り上げていることである。

 客観的と見なされた経済の部分を、理論に合うように拾って、理論が事実によって
検証されたとする、そういうことがよくあった。これは理論や客観という名の主観で
ある。事実が客観的に存在するというようなことはない。客観的という名で主観を
押し付けるのは間違いだ。批判の内容はそういうことだった。

  最近はマルクス主義に対してのこうした批判以外に、客観という言葉そのものに
過剰に否定的反応をする人が増えていた。客観的なものなどないと言うのである。

〔主観性認識論に対する私からの疑問〕
かくして「人間の認識に関係なく、事実が客観的に存在するというようなことはな
い」、そういう論理が優勢となってきた。

こうした主観性認識論に対して私が思うのは、では、人間の認識に関係なく存在し
ている物質世界は、いつの間に存在しないことになったのか、ということである。

  人間の認識が関係しないと、人間には物が見えないと言うが、人間がいないと物
質世界は存在しないのか。物質世界は人間には関係なく、客観的に存在するだろう。
また、当事者の認識には関係なく、史料の残存状況にも関係なく、歴史家の認識に
も関係なく、存在した世界があったはずである。それは歴史と言うにはふさわしくない
かもしれないけれども、絶対的に存在した過去というのは、理論的にはあるはずである。

それは例えば、宇宙から地球世界を眺めて、千年二千年の長期的な尺度で早回しし
てみるような世界。歴史として把握される以前の、物質存在として存在した過去の世
界を、こういう視点から考えてみることもできるのではないかと思う。

****
〔この10年〕
村上陽一郎著『新しい科学論』講談社によれば、
「マルクスシズムの世界では、人間の意識とは独立に、外界の「もの」の世界の存
在とその中に張りめぐらされた法則の存在を認める、という前提がある。人間が自然
界に関して法則や理論を築くことができるのは、結局は、人間の知識の世界とは完全
に独立したものの世界にあるそうした秩序が人間の意識に投影され、反映されるから
なのだ。」

だから「その点から言っても、そうした客観的な秩序(つまり人間の意識のいかん
とは関係ないところで成立している秩序)がある、という意味にも解することができ
る」という結論が、ソ連の自然科学界では出た(つまり科学の世界でも認識に階級意
識が関係するとしていたのが、客観的な秩序があると、政治的に決着が着いた!とい
うことらしい)(P91)とある。(随分と大変な議論をしていたものだ〉

村上氏のこの本は、そうした客観論を、あの手この手で否定して見せる。ここで取
り上げられているマルクスシズムの客観論は、私が言う「人間の意識に関係なく物質
世界は存在する」とは、少し意味が違うのだが、このように自然科学の科学論の世界
でも、マルクス主義の客観論にしろ、素朴客観論にしろ、それらを否定する論調「人
間の意識に関係ないものはない」というものが出てきていた。

人間の意識に関係ない「物質」なのか、人間の意識に関係ない「秩序」なのか、そ
の辺をはっきりさせて論理を展開しなければならないのだが、論調は「人間の意識に
関係ないものはない」という、私には極めて厳しい対立を思わせるものだった。気が
つくとそれが時流になっていたのだ。私としては、長い困惑の時間が続いた。

自然科学における主観性認識論。その目的とするところは何なのか。初期のものは
マルクス主義否定に一役買ったとを感じるが、マルクス主義が消えた今も、科学は主
観的である、と言い続けられるのは、いささかの危惧を感じる。

歴史を主観的に書き換える、そういう自由があっていいものだろうか。また科学を
主観的に書き換えられるだろうか。何だか奇妙な思潮になっているような気がする。

それに、経済を自分の物質世界の中で把握しようとするならば、何が言えるのか。
また、マルクス主義の決定的な問題点なら、私の認識方法でも指摘できるのに、なぜ
これが世間に流通させられないのか。

思い出せば、より正しい世界観を築くことが、私のしなければならないことだと、
思ったのが始めだった。いろいろな考え方を検討してみるけれども、私には、基本の
ないものの見方は、結局はあらぬ方向へ向かうとしか思えない。みんな基本はどこへ
やってしまったのだろう。
こういうことで新たなテーマの発生を見たのが、ここ10年というところだろうか。
12 歴史学における事実    2003年8月22日
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事実とは何か。
例えば、「A氏が○月○日○時に、東京駅にいた」と書いた日記が二つあったと
しよう。ところが本物のA氏は、同じ時刻、実は会社で仕事中だった。それを多くの
同僚が確認していた。この場合、事実は「A氏は会社で仕事中だった」である。

こういう時、相反する二種類の情報の中で、事実はどちらかと判断するには、どう
するか。東京駅で見られたA氏というのは、別人だろうという予測が簡単につくのは、
普通はみんな、毎日一緒に仕事をしている多くの同僚達が、間近に見たという証言の
方が正しいと、判断するからである。まれに全員が口裏を合わせた可能性もあるが、
ここでは話の展開上例外としておこう。

このように、人は普通、ある事柄についての情報の根拠を、証言の確かさに求める
が、事実というものの最大の根拠は、理論的に言えば証言の確かさではなくて、物質
存在的に確実である、ということである。

したがって、これを、私流物質論に書き直すと「A氏は会社で仕事中だった」とい
うのが物質存在的に確実なもの、「A氏が東京駅にいた」とする日記は間違
い情報。そしてこの場合、多くの同僚の証言は「A氏は仕事中だった」という事実の
補強である。

日常的な意味で言う、事件や事柄という意味での事実とは、「物質存在的に確実な
もの」を人間が認識して言葉で表現したもの、のことである。「A氏が同時刻、東京
駅にいた」というような、物質存在的にないものを、言葉で表現したものは、事実だ
とは言わない。

〔歴史学における事実とは〕
歴史的事実とは、「史料」という証拠物件を基礎にして、事実であると証明された
ものを言う。

では「史料」とは何か。
(1)ある事柄の直接の結果として自然に残っている物。
人間の骨、住居、道具、武器、建造物、衣類、絵、言語、文字など。

(2)ある事柄を人間の認識が一度把握し、人に伝え、あるいは反省するた
めに記録し、あるいは記念したもの。手紙や証書、公文書、統計、歴史記述、
物語、伝承、記録、碑文など。

こうした「史料」は、そのままでは、証拠物件として役に立つかどうかわからない。
また、もし役立つとしても、どの程度、どのように役に立つかもわからない。だから、
「史料」が本物かどうか、その内容の真実味はどの程度か、いろいろな角度から考え
なければならない。

そうした「史料」の証拠力を考える作業を、歴史学では「史料批判」と呼んで、不
可欠の作業としている。これは歴史学で経験的に発生した、嘘や間違いから本物を見
分ける方法である。その「史料批判」についてあらましを説明する。(以下、主に今
井登志喜著『歴史学研究法』東大出版・1953年より)

(A)まずは史料の外的性質を考える。
(1)「史料」が偽物ではないか。錯誤がないかどうか。
(偽物というのは、故意の捏造である。錯誤というのは、史料の時代や人
物を間違ったり、説明を間違ったりして、史料自体は本物でも、何を証
明するかという点で、間違っているものである)

(2)「史料」の作られた時と場所、作者の人間関係を考察する。
(日時を明らかにすることは、事の経過を明確にするために必要である。
また史料の証拠価値は、時間的空間的距離に密接に関係する。そして史
料作成者の人物・地位・職業などが明らかになれば、史料内容の吟味に
役立つ)

(3)「史料」が、現物か借り物かを考える。
(一つの事件について、現物がいくつか存在し、それを借りた文献がいく
つもでき、さらにそれらを借りて文献ができる、というようなことがよ
くある。文献同士の間で、どのように内容の貸し借りがあって、どうい
う関係になるのかを、考察しておく。)

(B) 次に史料の内容がどの程度信頼できるかを考える。

経験的にみて、同一事実に関する直接証人の証言が矛盾している事は、よ
くあることである。その場合、一方が正しいとするならば、一方は間違いあ
るいは嘘だということになる。さらには双方が間違いまたは嘘であることも
あり得る。

このように、証言の信頼性についての考察は、どうしても必要である。信
頼性を損ねる原因は、錯誤と虚偽である。

(1)錯誤について
1:<感覚の錯誤>認識者が生理的、心理的に病的だったり、対象に対す
る距離が適切でなかったり、妨害があったり、十分注意力が働いてい
なかった場合に発生する錯誤。

2:<総合の錯誤>一つの事件は細かい個々の感覚的事実の総合である。
人の悟性がその個々の要素を論理的心理的に結合する。その総合にお
いて、常に前の経験や知識に基づいて類推が働く。この時、先入観や
感情が働くと判断を誤り、錯誤を起こす。

3:<再現の錯誤>記憶を再現する際に、前後の間違い、時と場所の間違
い、思い違い、脱落が多くなる。感情的要素も働いて、誇大美化など
も起こってくる。

4:<表現の錯誤>言語表現が適切でない場合、証言内容がそのまま他人
に理解されないということも起こりうる。

(*直接の観察者にも錯誤は発生する。ましてや事件を又聞きした
人である場合、誤解や補足、独自の解釈などによって、さらに錯
誤が入るのである。

噂話など非常に多数の人を経由する場合、さらに群衆心理が働
いて感情的になり、錯誤はますます増える。)

(2)虚偽について

1:自分あるいは自分の属する団体の利害に基づく嘘。
2:憎悪心、嫉妬心、虚栄心、好奇心から出る嘘。
3:公然あるいは暗黙の強制に屈伏したための嘘。
4:倫理的または美的感情から、事実を教訓的または芸術的に述べる嘘。
5:病的変態的な嘘。
6:沈黙が一種の嘘である事もある。

(*近代以前は歴史を教訓的または芸術的に述べること多数であり
注意を要する。)

「史料」という過去の事実についての証言は、こうした錯誤や虚偽で、証
拠力が損なわれていることが多い。先に見た「史料」の外側から見た性質と、
こうした錯誤・虚偽の可能性を考え合わせて、証拠となる要素を洗い出す必
要があるのである。

こうして「史料批判」という作業の末に、少なくともこれは確実だと言える、とい
う事柄を取り出す。これが歴史的事実である。

しかしながら上記のように作業を整理してみただけでもおわかりいただけるように、
「史料」を介して「史実」を認識するのは非常に大変なことなのだ。そして内容の食
い違う膨大な史料や、逆に膨大な欠落部分を考えていると、「史実」が存在するとい
う確信が、揺らいでくる一面もあるらしい。

 こういう『事実』ということに関して、林健太郎氏は『史学概論』の中でこう言っている。

「概念的には、客観的所与としての歴史と人間の主観によって形成される歴史像と
を区別することはあくまで必要である」(P5)

「人間の意識の前に事実が客観的に存在するということを承認しないわけにはいか
ない」(はしがき・P217)

同じようなことを述べているのは、E・H・カー著『歴史とは何か』(岩波新書・
1962)。P34に「見る角度が違うと山の形が違って見えるからといって、もと
もと、山は客観的に形のないものであるとか、無限の形があるものであるとかいうこ
とにはなりません」とある。

斉藤孝著『歴史と歴史学』(東大出版・1975)も、表現の仕方がややこしいこ
れども、P74に、同じ意味だと思われる内容が出てくる。

 あと、増田四郎著『歴史学概論』(講談社学術文庫・1994)、弓削徹著『歴史
学入門』(東大出版・1986)では、歴史学の出発点は史料だという所から出発す
るし、小谷汪之著『歴史の方法について』(東大出版・1985)などは歴史学に関
する思想書のような感じで、「事実とは何か」という問いに対する答えに類するもの
はない。

 先にも取り上げた 今井登志喜著『歴史学研究法』(東大出版・1953)は、史料
を使ってどのように史実を決定するかということについて、作業例を通して解説した
本である。

直接「事実とは何か」に答えている文章があるわけではないが、史料を介していか
に事実を把握するかを執拗に解析した本である。これを見ると、いかに史料が疑わし
いものかを実例を引いて様々に説明してあり、史料内容を確認するために、事件の日
時から、日の出や日没の時刻を割り出して確認するという作業までやっていることが
わかる。ここでは結局、人間が認識したことを、自然科学の力を借りて確認している
のだ。

  この本のP88には「歴史の語を抽象的にただ過去の経過と見て全く客観的な存在
の意味に解すれば、それはもとより固定した不変なものである。」「しかしそれは人
間の意識する歴史そのものでなく、永遠に忘却の中に没し去って人間の思想と交渉の
ないものである。」という表現が出てくる。

多分これは林氏の表現と同じと思われる。しかし林氏の表現「人間の意識以前に存
在する客観的な事実」の方が、サイエンスにおける「事実」や私が言う意味での「事実」
との関連で、表現の一般化が進んでいたのだ。私には、自分が考えている、物質世界を
基本にした事実概念を連想しやすく、従ってわかりやすいような気がした。

実は、こうして見ると、私が問題とした点を何よりも確実に表現しているのは、林
健太郎著『史学概論』なのだ。
しかし皮肉なことに林氏は、私が事件や事柄の意味での「事実」の根拠だとした、
物質世界を、切って捨てた方なのでもあった。

〔揺らぐ客観的な歴史〕
前にカー著『歴史とは何か』の冒頭で引用されていた、私が意味不明に感じたと
言った、林氏と同時代と思われるイギリスの歴史家クラーク教授の文章はこうなって
いる。

「彼ら(歴史家)は、過去に関する知識が一人あるいは何人かの精神を通じて伝え
られて来ているものであること、これらの精神によって『加工』されたものであるこ
と、したがって、絶対不変の元素的な非人間的なアトムから成り立ちうるものではな
いこと、これをよく考えている。」(P2)

 この文章は、過去に関する「知識」がアトムから出来ているわけではない
と言っているのだが、出発点が「知識」であって、
過去自体は何でできているのかを問題にしない。

私は、「時間の断面を切り取る」という考え方で捉えてみる、
絶対不変の元素的な非人間的なアトムから成り立っている世界
をまず考え、それを人間が認識する、
という順序で考えた。

だから、この文章のように、最初から「認識」のことしか述べていない場面で
アトム云々が出てきたので、
認識とアトムを結び付ける連想の仕方がわけがわからなかった。
何より「アトムから成り立ちうるものではない」という否定文句に、
頭が麻痺してしまった。

その続き「少なくとも、すべて歴史的判断には人間というものが含まれ、見地というも
のが含まれるがゆえに、いかなる歴史的判断も甲乙がなく、『客観的』な歴史的真理
というものはない、という学説に逃げ込んでいる。」

こういうクラーク教授の見解に対応する部分を探せば、林氏の発言はこういう部分
に表れていると言っていいだろう。

「歴史認識が何らかの主観性を媒介することは今日の歴史哲学においてはもはや疑
われないところであるが、その主観性はもちろん単なる個人の主観性ではあり得ない。
」(P206)

「そしてこのように「主観性」が何らかの社会性を持った主観性でなければならな
いこと、また現代が特定の意味を持つ「歴史的現代」でなければならないことは、歴
史認識の主観性にとってはおそらく自明のことであろう」(同)

ここで今井著『歴史学研究法』に戻ると、先に取り上げた「不変の歴史」(P88)
という文章の後には、続いて「歴史の現代性」ということも取り上げられている。

 手持ちの方法論の本を出版順に並べると、林氏の本の役割はそこで一つの分岐点
を形成し、後続の本は、別の方向からの役割を果たそうとでもしたのだろうか、と思え
るほどだ。私が気になった林氏の表現「人間の意識以前の客観的な事実」には、どの
本も触れないまま、違った方面「歴史認識の主観性」で内容の充実に努めたかのよう
な感じである。

客観的な事実って、どこへ行ったのだろうか。みんなそろっていることは「歴史
認識には、最初から、事件の当事者である人間の、ものの見方(主観)が入っている。
歴史家自身も主観を経由して観察しないわけにはいかない。歴史は歴史家の主観
によって構成されたものであるから、歴史を読む際に最も注意する必要があるのは
歴史家自身である。」と、あたかも客観的な歴史認識など存在しない、と言っている
かのような点である。

こういう主観性認識論は、往々にして歴史家の良心的意図とは全く正反対の、
非常に面倒な問題を巻き起こす原因になっていると私は思う。歴史を政治操作し
ようという運動を、理論面で補強する形になりかねないのだ。

方法論の本を出稿順に並べてみよう。
今井著『歴史学研究法』は、「史料」という歴史情報の提供物をどのように吟味す
るか、その問題に、簡潔な論理と、具体例による説明で、答えている。

上記説明したように、この本の中には、後続の本が取り上げた論点「歴史認識の現
代性や主観性」も、簡潔な形で示されている。しかし後続の本が、その簡潔な記述の
一つ一つに、激しい時代の波を重ねてどのように試行錯誤したか、というようなことは、
この本の時点では全くわからない。

今井著が書かれた数年前、マルクス主義者の間では日本資本主義論争というのが
あった。日本で革命が起きるとすると、それは歴史的に見てどのようなものかという、
講座派と労農派の争いだった。

学問的な世界では、世界的な共産主義運動の流れに負けず劣らずの早さで、日本も
反応していたとは言えるようだ。つまり極めて実践的?な関心があったのだが、次第
に日本は神国であるとする皇国史観が次第に勢いを強めてくる。今井著が出た昭和
10年というのは、ごく基本的な学問的手続きそのものが、風前のともしびという時代
に入る頃だった。この本は唯物史観にも触れてはいるが、ごく軽く、経済重視の考え
方の一つとして扱われているのみだ。

戦後、世界的な社会主義と資本主義の二極対立の中で、歴史学も激しいイデオロ
ギー対立の嵐に見舞われた。マルクス主義が唯物論に基づく科学的な歴史を標榜し、
歴史全体を階級対立の歴史として捉える。そして歴史には自然科学的な法則が貫いて
いると言うのだ。これを「唯物史観」と言ったり、「法則史観」と言ったり、「決定
論的歴史観」と言ったりした。それは、1917年のロシア革命の成功以来、知識人
・思想家の間で無数の論争対立を呼んだものだったが、戦前の国家主義が消えたら、
今度はこの思想対立が、世界政治の前面に躍り出てくることになった。日本も歴史学
も例外ではなかった。

マルクス主義が歴史観から出発していたために、歴史学の中でも激しい対立が起き
た。それを直接証明するものは何か。それを示すのが困難なほど、二分裂の平行状態
で論争が対立していたように思う。私がここに挙げている本は、要するに反マルクス
主義の系統と言えるだろう。実のところマルクス主義の歴史学の方法論として、どの
本がとりあげるに相応しいか、今もよくわからないのでご容赦願いたい。マルクス主
義は私とは立場が違いすぎて、方法論の話をしているように見えないのだ。

戦後の本は、歴史認識をからめつつの、戦前よりはるかに大衆化した過度の政治論
争を横目に書かれたものが多い。その意味で今井著『歴史学研究法』は、歴史認識の
主観性や現代性に一言ずつ触れてはいるものの、唯物史観の思考様式にさほど危機感
がなく、「事実は客観的に存在する」とするその表現からして、まだなお素朴客観論
の範囲にあると考えていいと思う。

 素朴客観論を脱した新しい歴史学の思考法として、
「社会性を持った主観性」(『史学概論』)、
「歴史の現在的視座」(事実がそのままあるのではなく、事実の意味付けが歴史
            であるから、歴史が書き換えられる・斉藤著『歴史と歴史学』)、
「社会的有用性」(弓削著『歴史学入門』)
というような主張がなされると、歴史は現在の視点から、その社会的有用性のために
書き換え可能である、と、読めなくもない。

 現在の自分に必要なものが読みたいというのは当然の心理だと思う。しかし「事実
とは何か」という問いを忘れた歴史は、虚偽に近いと思う。
 歴史がこういうものであれば良かったのに、という思いで書かれた歴史では、
教訓も反省も導きだせない。

  私はこうした問題に対して、違う視点を導入したらどうなるか、という提案をして
いるわけだ。それは「人間に認識される以前に、物質存在的に確実な物や事がある」
というところから出発する。

それは、以前から述べているように、外観的には「空中写真で捉えたような世界の
姿」、内容的には「極小粒子とエネルギーで構成された物質存在の世界」であり、意
味的には「無意味な物質存在だけの世界」を指している。


13・事実の3レベル  2003・8・25

                                top  前へ  次へ
 この章では、「私たちが日常生活で何を事実だと思うか」ということを中心に、
「事実」についてよく考えてみたい。

 私達が普段事実だと思っていることが、やがては過去のものとなり、歴史に
なってゆくので、結局は歴史とは何かを考えることにもつながると思う。

私は、「事実」に3段階を設定してみた。
(1)人間の認識に関係なく、それ自体の性質によって存在するもの。
第2・第3章でいろいろな言い方をしている。人間が意味を感じようとしたり、言
葉で認識したりしようとするのを、意図的にやめてしまった世界。物質の性質だけで
成り立っている絶対的な世界。

(2)「物質存在的に確実なもの」を人間が認識して言葉で表現したもの。
例えば目の前にパソコンがあり「目の前にパソコンがある」と表現する。それは
「事実」。しかし目の前にパソコンがないのに「目の前にパソコンがある」と表現し
た場合、それは事実ではない。
  大きな分類で行くと、サイエンスもここに入れられるだろうか。
  
(3)情報システムに支えられた人間の主観的社会的約束事。
「ある事柄についての共有認識の発生の事実」を前提として、社会的強制力を背景
に、発生した共有認識の相互実現を図るという意味合いにおいて、実態との対応がな
くても、『事実』として通用しているもの。

例えば、遠隔地の所有権を登記簿で確認できても、その人がその地に全く足を踏み
入れたこともない。そういう状況でも、その人がその土地を所有していることは疑い
ない、というような場合。

この場合、実際には他人がその土地を利用していても、『事実』は法的証拠のある
方だということになる。

これは、「法律」による社会的強制力の共有認識を背景に、「発生」した所有の共
有認識を、相互に実現しようと人が意思するために、不使用という実態には関係なく、
『事実』として通用するものと考えられる。

あるいは、例えば、会社設立の場合、ペーパーカンパニーで会社全体に実態がな
かった場合でも、法律に則して『事実』は成立するだろう。

また、社長とか、首相とか、社会的立場の成立も、行為の実態とは関係なく、ある
時を契機にして法的に発生しているとみなす種類のものだろう。

ここで言う情報システムとは、もちろんIT関連ではなく、人間の脳の認識にたた
き込まれた、社会情報の意味構造に対して、人が共有認識でもって支持している状況
を言う。

これで経済の概念を、「事実」として把握する方法ができたような気がするわけで
ある。為替や株の値動きのように、物質存在的なものがない数字だけの動きでも『事
実』とすることができる。


このように、自他の脳と、外側の情報(法律によって権利保証のある登記所の記録
や、銀行・証券会社の記録)との間で、相互に情報処理が行われて初めて、『事実』
が人間相互の間で確定する、らしい。

こういうことを考えると、社会や経済における事実というのは、随分と情報処理に
関わる部分が大きいようだ。

主食の米、エネルギーや化学製品を確保するための石油、また多くの製品の材料に
なる鉄、建築物、冷蔵庫やテレビやパソコンなどの電気製品、自動車や鉄道など、
物量的に空間を占めてしまう「物」はたくさんあるし、その他無数の物や品々がある。
それらと経済に関する情報処理は、どう関係しているのだろう。

それにしても、「目の前に机がある」という『事実』と、「このパンは100円で
ある」という『事実』の間には、かなりの距離があると思うのだ。

「机」は、人間の共有基準に適合する物体を、その共有基準に適合すると認知した
結果、発生した認識である。

しかし「100円」は、物体そのものとは無関係に、人間相互に通用する価値体系
の中の100という水準に妥当と認められたものである。物体はお菓子でも雑貨でも
良い。先に鈴木氏の「机」の文章で考察したような、人間の側の用途という視点も
ない。

これを(1)のレベルの『事実』にもどって考えてみると、「100円」って、な
んて恣意的なんだろうと思うのだ。

 あるいはまた、特定の個人には関係なく想定されている社会的地位の概念も、
実在の人より観念の方が先にある。

ここで、人間の認識が先か、物質が先か、という話に戻ってみよう。

 お金や本や机は、人間の認識によって作られたものである。
しかしながら、「人間の認識がそれらを存在させている」わけではない。

 それらがそのような形を維持しているのは、
「それらを構成している物質自体の性質による」のである。

**
  『事実』とは何か。歴史でも社会でも自然科学でも、『事実』は重要な概念だ。間
違いや空想や嘘は困る。そこで私は、普通に生きている人が感じている『事実』とい
うものの範疇を考えてみた。しかし最後の(3)は、一体何なんだろうか。そして、人に
はそれが、極めて大切なものみたいだ。

15・終わりに     2003年8月27日
                                  top    前へ 

私は、本当のこととは何かを追ってきて、最後に、物質世界が証明する、人間精神
の虚構性にぶつかったような気がしている。

それにしても、この人間精神の生み出す虚構の、スケールの壮大なこと。私達は、
毎日の日常から一歩引いて、それを虚構として考察してみる必要があるのではないだ
ろうか。

 本書の冒頭で述べた、「消えてしまった『国』」の意味も、説明しないとわかりにくい
問題になってしまった。それほど「国」の意味が戦前と戦後では変わってしまった。
しかし今の私にそれを説明するだけの力があるとも思えない。またの機会にしよう。

みんなで実現させようと思えば、それは『事実』になる。しかしそんなみんなそ
ろっての思いは、実際にはほとんどない。利害対立や考えの違いで成立しない。それ
を、法律が調整して強制力でもって実現させる。その点、日本の社会的合意を
成立させる仕組みについては、現在のところ、かなり信頼度が高いようだ。暴力を
使わずに合法的な手段で、というのは常識になっているのだから。

しかしこの不況の中で、貧富の差が拡大していると聞くのは、いただけない。
それで良いと支持すれば、ますます貧する者は窮する。それでいいのだろうか。
社会の仕組みは公正だろうか。

  また、冷戦が終わったら、今度は世界各地で頻発するテロが問題になってきた。
よく言われることと同じだが、暴力には脅しの効果はあっても、根本的な解決にはな
らない。だって問題は、社会を成立させている情報構造にあるのであって、部分的な
人間の問題ではないからだ。だから、一部の人間を殺傷してみても、根本的な解決
にはならない、ということになるだろう。

私の考えてきたことは、ほんの入り口である。私の知識というのは
大したことはないので、是非みなさんのお知恵をお借りして、社会とは何か、歴史と
は何か、さらに考えを進めていただきたいものだと思っている。


宇宙時間表     
                          前へ   次へ   topへ

「人間社会は物質世界のものである」ということを、宇宙時間表の考え方で
再確認しておきたい。

宇宙時間表とは、宇宙ができてから現在までを、1年にたとえて表したものである。

それによれば、1月1日に宇宙誕生、5月1日に銀河誕生、9月9日に太陽系誕生、
9月14日に地球誕生である。

12月1日やっと大気中の酸素が豊富になり、12月17日カンブリア紀(三葉虫の時代)、
12月25日から12月29日が恐竜の時代、12月31日午後11時53分人類誕生、
シュメールやエジプトの最初の王朝が11時59分50秒。

それから現代まで、わずか10秒である。
要するに人間の歴史というのは、このわずか10秒の間に詰まっているのだ。

 宇宙の時間を人間の歴史と比喩的に対比した場合、この対比は、正確さはともあれ、
人間の努力や認識には関係なく、絶対的なものである。

長大な時間をはらむ宇宙という物質世界からすると、命は余りにも短い。

 その短い自分の命を起点として、人間は、自分と自分が生きている世界を知ろうとし、
より良い世界へと、様々な努力を重ねてきた。

にもかかわらず現代社会は多くの問題を抱えている。より良い世界へという努力は、
これからどこへ向かうべきなのだろうか。
*上記の話の出所はカール・セーガン(昔『コスモス』などの本で有名になった)らしいの
だが、私の記憶では小学校くらいの時に似たような話を聞いた気がする。