海部(かいふ)    別サイト:歴史と社会の研究所tikyuudaigaku.web.fc2.com

           徳島県海部(かいふ)郡海陽町について・歴史論集                      2009年10月27日開始
           (海南・海部(かいふ)宍喰(ししくい)。三町合併で誕生した海陽町。)
                                    筆:無限翆翔    (このホームページの内容を、商業利用しないでください。)
           * 『海部町史』の私の実家の記事を否定する
                      (コソコソとこんなことをする人間はゲスの極み。) 邪悪教師・6年担任寺島弘隆

  地名:海部(日本各地の「海部」地名)     海陽町立博物館(大里古墳・四国最多中国古銭・海部刀展示)

    湯治(とうじ)」?島弥九郎事件 
      
          1571年、那佐(なさ)湾で海部(かいふ)氏が、湯治に向かう長宗我部氏の弟を殺害した、とされる事件。
          この時期「湯治」に向かうのは、誰が考えても危険である。
          那佐(なさ)は、当時は海部(かいふ)氏の軍港か?他に大船を置く場所なし。
          1813年には、大阪廻船29(そう)の船だまり。


    島弥九郎と『土佐物語』

          1708年に書かれた、長宗我部時代についての『土佐物語』。100年前の敗者の史実を、どれくらい書けただろうか。
          敗者の資料は捨てられる。その動機から、後世の者が、敗者を適切に書けない理由を考える

          江戸期成立の戦記物がいかに信用できないかがわかる実例(史料批判の実例・塩尻峠の合戦)
               現代文・全・今井登志喜『歴史学研究法』東大出版      史料の判断について

    吉川弘文館・山川出版社へ、消される「海部(かいふ)」について訴える

          *吉川弘文館へ訴え
             児玉幸多編『日本交通史』p109中世の主要港地図から、
             全体で10位、四国で1位の海部(かいふ)の地名が、執筆者の判断で削除されて(編集部の弁)
            
います。訂正広告を出してください。(阿波・土佐の主要港) 消された海部・図版比較

          *山川出版社へ訴え。『徳島県の歴史』について。
           1、 阿波の禅宗は海部の城満寺が初。細川氏関連ではありません。
           2、 1352年、国宝東寺百合文書に登場。京都の戦闘の、重要な局面に、重要な場所で参加。
           3、中世阿波で、唯一の日本刀(海部刀(かいふとう))産地であることが書かれていない。
           4、1594から1651まで80人の阿波藩正規鉄砲隊が駐留。(史料)
             1651年には半減令が出ただけで、途中の詳細は不明だが、幕末には80人として、また登場。           
             国境警備のため、という駐留理由が、非常におかしい。土佐側には何もない。
                        江戸期の気になる史料

    1352年2月25日付け、国宝東寺百合文書(活字・大日本史料6篇16巻)解説    海部氏登場・大日本史料・原文
           この日付は、「観応(かんのう)擾乱(じょうらん)」の、一方の当事者が死亡、
           南朝の後村上天皇が京都へ進軍し始めた日、の前日に当たる。
           その後、南朝軍は京都に攻め入り、足利義詮を追い払い、北朝方の三上皇と親王を、南朝の根拠地へと拉致
           要するに、大事件の最中に、阿波南部の海部(かいふ)から行って、足利幕府に加勢している。

       海部氏の中央政界との結びつき(史料紹介)     土佐日記の疑問   海部刀の発祥について


                   ☆海陽町のこれまでの歴史記述の問題点☆
                                                         海部氏・歴史文献年表

    ☆ スペイン太平洋航路(マニラ・ガレオン)250年の疑問 ☆
          1565年から1815年まで、毎年、太平洋を回り続けたスペイン船。(フィリピン・メキシコ間)
          鎖国日本の海部(かいふ)へ、寄航し続けたのではないか。(「海運の海部(かいふ)」が消される理由としての仮説
          海外交易を主導した、中世東アジア世界での「日本刀」。日本側では日本刀は公貿易の中心。(遣明船公貿易の日本刀)
          フィリピンでの日本・スペイン遭遇。(日本刀持ち込み者)
          40年の空白の後に成功した、太平洋東周りの帰路開拓。6月1日から10月8日まで、無寄航というのは本当か?

                                 小説:スペイン太平洋航路
          

    シンポジウム質問
          「大航海時代と日本・スペイン関係」というシンポジウムで、質問した内容。

          日本で支配者交代が相次いだ1600年をはさんでの30年くらいの間に、
          毎年フィリピンとメキシコの間を往復していたスペイン船が、6隻も漂着?していることを、どう考えるか。














   祖母の奇妙な話
          「東大寺」でつながる、祖母の奇妙な話。
          東大寺正倉院の「鳥毛立女屏風」に貼られた鳥の羽は、外国産の「おうむ」系の鳥の羽で、原色、色とりどり。