徳島県
(海南・
筆:無限翆翔 (このホームページの内容を、商業利用しないでください。)
* 『海部町史』の私の実家の記事を否定する
(コソコソとこんなことをする人間はゲスの極み。) 邪悪教師・6年担任寺島弘隆
地名:海部(日本各地の「海部」地名) 海陽町立博物館(大里古墳・四国最多中国古銭・海部刀展示)
「
1571年、
この時期「湯治」に向かうのは、誰が考えても危険である。
1813年には、大阪廻船29
島弥九郎と『土佐物語』
1708年に書かれた、長宗我部時代についての『土佐物語』。100年前の敗者の史実を、どれくらい書けただろうか。
敗者の資料は捨てられる。その動機から、後世の者が、敗者を適切に書けない理由を考える。
江戸期成立の戦記物がいかに信用できないかがわかる実例(史料批判の実例・塩尻峠の合戦)
現代文・全・今井登志喜『歴史学研究法』東大出版 史料の判断について
吉川弘文館・山川出版社へ、消される「
*吉川弘文館へ訴え。
児玉幸多編『日本交通史』p109中世の主要港地図から、
全体で10位、四国で1位の
います。訂正広告を出してください。(阿波・土佐の主要港) 消された海部・図版比較
*山川出版社へ訴え。『徳島県の歴史』について。
1、 阿波の禅宗は海部の城満寺が初。細川氏関連ではありません。
2、 1352年、国宝東寺百合文書に登場。京都の戦闘の、重要な局面に、重要な場所で参加。
3、中世阿波で、唯一の日本刀(
4、1594年から1651年まで、80人の阿波藩正規鉄砲隊が駐留。(史料)
1651年には半減令が出ただけで、途中の詳細は不明だが、幕末には80人として、また登場。
国境警備のため、という駐留理由が、非常におかしい。土佐側には何もない。
江戸期の気になる史料
1352年2月25日付け、国宝東寺百合文書(活字・大日本史料6篇16巻)解説 海部氏登場・大日本史料・原文
この日付は、「
南朝の後村上天皇が京都へ進軍し始めた日、の前日に当たる。
その後、南朝軍は京都に攻め入り、足利義詮を追い払い、北朝方の三上皇と親王を、南朝の根拠地へと拉致。
要するに、大事件の最中に、阿波南部の
海部氏の中央政界との結びつき(史料紹介) 土佐日記の疑問 海部刀の発祥について
☆海陽町のこれまでの歴史記述の問題点☆
海部氏・歴史文献年表
☆ スペイン太平洋航路(マニラ・ガレオン)250年の疑問 ☆
1565年から1815年まで、毎年、太平洋を回り続けたスペイン船。(フィリピン・メキシコ間)
鎖国日本の
海外交易を主導した、中世東アジア世界での「日本刀」。日本側では日本刀は公貿易の中心。(遣明船公貿易の日本刀)
フィリピンでの日本・スペイン遭遇。(日本刀持ち込み者)
40年の空白の後に成功した、太平洋東周りの帰路開拓。6月1日から10月8日まで、無寄航というのは本当か?
小説:スペイン太平洋航路
シンポジウム質問
「大航海時代と日本・スペイン関係」というシンポジウムで、質問した内容。
日本で支配者交代が相次いだ1600年をはさんでの30年くらいの間に、
毎年フィリピンとメキシコの間を往復していたスペイン船が、6隻も漂着?していることを、どう考えるか。
祖母の奇妙な話
「東大寺」でつながる、祖母の奇妙な話。
東大寺正倉院の「鳥毛立女屏風」に貼られた鳥の羽は、外国産の「おうむ」系の鳥の羽で、原色、色とりどり。