著名人と「かな遣い」
戻る
昭和12年(1937年)の井家又一日記には、「現代ひらがな」ではない「変体仮名(へんたいがな)」が使われています。
日本では古来、1音に対して、複数の漢字を元にした、形も様々な文字が使われていました。
それを、明治33年(1900年)の小学校令で、原則的に、1音に対して1文字と、固定化することにしました。
それが「現代かな」です。その実施は、明治34年(1901年)です。
したがって、明治33年以前に小学校に入学した人は、変体仮名を使う可能性があり、
明治34年以降に入学した人は、現代ひらがなを使う可能性が高いと言えるでしょう。
書籍に関して言えば、明治6年の現代かな使用の本があり、現代かな使用例自体は、明治早期からありました。
子ども雑誌に関して言えば、明治33年の数年前から、現代かなの使用が始まっていました。(津久井郷土資料室)
明治34年(1901年)は、現代かなの固定化が、一段と進むことになった年です。
そこで、変体仮名を使う人と、使わない人と、の、およその目安として、明治34年(1901年)という年で区分してみました。
変体仮名を普段の日常文で使う可能性がある人。
現代かな移行の小学校令実施1901年以前に小学校に入学した人。
昭和12年(1937年)に43歳以上。
明治27年(1894年)以前に生れた人。
夏目漱石(1867年生)・与謝野晶子(1878年生)
・吉野作造(1878年生)・犬養毅(1855年生)
・吉田茂(1878年生)・石橋湛山(1884年生)
・石原莞爾(1889年生)・山本五十六(1884年生)
・谷崎潤一郎(1886年生)・野上弥生子(1885年生)
変体仮名を普段の日常文で使わない可能性のある人物
昭和天皇(1901年生)
池田隼人(1899年生)・ 福田赳夫(1905年生)
岸信介(1896年生)・佐藤栄作(1901年生)
実際にはかなり幅があると思うので、調べてみないとわかりませんが、
昭和12年(1937年)に、戦場での自分用の日記に変体仮名を多用する人というのは、
どれくらいいたのでしょう。 参考:昭和10年平凡社『手紙講座』実例採録人名リストなど