人つぶし教師・寺島弘隆
・・・・人つぶしの世界@
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人つぶし教師・人つぶしの世界A
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外部からもたらされたさまざまな論理が、
私の頭の中でいかに論理拘束をもたらし、考え方を束縛したか、
それを気にしている。
この度、楽天の無料ホームページが閉鎖されることになったという通知を受け、
そちらに開設していたホームページの内容を、こちらに移動することにした。
私が自認するところでは、自分の本業は社会認識である。
以下の個人的な経験は、特異な事例であって、社会的に意味のあるような問題ではない、
というような見方もあるかもしれない。
しかし、本当の社会とは特異な事例の集合体であって、
「一般」とは、言説化した情報の中で、流通力があると本人が信じているもの、を指すのに過ぎないのではないか。
実は、人間というのは、行動や反応の可能性は、「一般」を超えて、はるかに特異事例の集合ではないのか。
そういう気がする。
そして、なおも自分の経験を、いわゆる「一般」の人としてあるべき?教育、
つまり当時でも、場所が違えば、登場人物が同じでも、「一般」とされるような、別の論理があったはずで、
そちらを聞いていれば、私は大矛盾に陥ることはなかっただろう、と考え続けている話なのである。。
今は、私の方が「一般」に近く、この話に登場する6年担任の話は特異事例であり、
そしてこの6年担任は、どうして先生になれて、どうして先生をつづけていられたのかと、
首をかしげている。
そして、先生は個人でこういう「教育」を作り上げることができる、ということを前提に、
教えられる側は、自分を防衛しなければならない、と思うのだ。
公教育自体に、公の場で意見の一致がないのだ。
その食い違う意見を、「両方とも自分で実現する」ように努力することなど、
最初からできないのである。
その上さらに先生の個人的な価値観で行われる教育というものがあるとするならば、
それら相互に対立のある要素を、生徒が自分で全部実現することなど、できるわけがない。
先生の教育方針というのは、あるイメージであって、他にも違うイメージがあるはずなのである。
自分の行動指針となるものも、世の中には一連の論理としてあるものだ。
だから、両方を大矛盾として抱え込むのではなく、
それらは共存するものではないと認識する機会が必要である。
そして、自分の指針の「選択」の機会であると考えるべきである。
先生にはそれとなく距離を置き、さりげなく接し、
自分の指針は自分の指針として堅持するように、
自分の立場に近い人の言葉を集めてきて、自分をゆるがせないことが大事である。
たとえば、
「玉みがかざれば光なし。人学ばざれば知恵出でず。
学びてますます足らざることを知り、磨きていよいよ明らかにせんことを願うべし。」
(これはしかし、「みがく」の意味の取りようでは、先生の目に出っ張るように見える、
子供の性格を叩き潰すことが、「みがく」の意味になりかねない。)
「人を見る目を養う。」
人を見る目を養う、なんて、実際はどうするのかさっぱりわからないが、
古くから言葉としては通用している。
これらの言葉と、私が6年担任から大量に受け取ったメッセージは、
まさに対極にあるものだった。
「どんな人間(男)とも慣れ親しもう。それができない人間は心が狭い。」
しかし、時と場所を違えれば、
「誰とでも親しくするなんてことは、してはいけない。人を選べ。」になる。
これは両立しない。
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1、教室で私を襲う男子
1966年。四国南部の僻地である。一学年一クラス40数人だった。
小学校から中学校まで9年間この人数構成という、小さな町の話である。
私は小学校5年だった。
学級委員になったばかりの私は、人のほとんどいなくなった休み時間に、教室で本を読んでいた。
そこへ同級男子のAが近づいてきて「おい、話をしよう」と声をかけてきた。
無視していると「おい、こっち向け」
それでも無視していると「おい、こっち向け」と言いながら腕に手をかける。
振り払うと「こいつ」と言って私をたたく。
それがきっかけで猛烈な叩き合いになった。しかし腕力は向こうが上である。
危険を感じた私が泣き出し、女の先生が飛んできた。
Aとの最初の叩き合いは、向こうが先に手を出したのでこちらに分があった。
少なくともはそういう認識だった。
ところが、このようなことがまた起きた。人がほとんどいなくなった教室で、
またAが「おい、話をしよう」と、声をかけてきたのだ。
展開はほとんど同じである。しかし二度目の叩き合いは、
しつこさに我慢しかねた私の方が先に叩いたのだ。
担任の男の先生が飛んできたが、泣く私を前に、Aはこう言うのである。
「僕は何もしていないのに、向こうが叩いた。僕は何もしていない。」
ここで私も困った。何かをしたと言おうにも、Aが私の肩に手をかけ揺すった、というのが、
「何かした」という範囲に入るのかどうか迷ったわけである。
頭の中で「したのが女子ならどうってことない範囲だ」という考えがチラリと浮かび、
何と言ったらいいかわからなかった。 何でこんなことになるんだ、と頭の中は怒りで一杯だった。
私は、Aが「僕は何もしていない」と主張すると、「何かした」とは、
例えばAが暴力を振るった とか、暴言を吐いたとか、
明確な攻撃でなければ「何かした」ことにならない、と感じたのである。
自分の頭の中で、「何かした」ことの意味が暴力的なことへとスライドして しまって、
Aがこちらの拒絶もかまわずしつこく接近しようとすることを、 「何かした」こととして表現できなかった。
また、みんな平等でみんな仲良くしなければならないのなら、
近寄って来る人を拒否するのは、差別であるとか、
悪い行為であるとか、そういう風にとられることになる。
この小学校教育の道徳観念に、男女の関係を考える機会はない。
学校を支配する表の理屈だけで考えると、そういうことしか、出てこない。
小学校5年では、男女関係を律する概念はなく、
普通はそれでも大きな問題は起きない、とされているみたいだ。
今の小学校では、当然、人の顔形を言ってはいけない、
門地のことを言ってはいけない、貧富を言ってはいけない、と言う。
変だと思ってもむやみと出してはいけないと言う。
仲良くしようと言っているのに、それを拒否するのは、いじめである、とも言う。
私は、Aが男なのに、自分が男で、私が女である、と言うことに対する、
周囲への配慮が全くないのに、何と考えたらいいのか戸惑った。
私の考えでは、男と女を意識したら、距離をとって様子を探っているような状態が普通であるように思う。
嫌な顔をされたら、それ以上接近しないで気にしているだけ、というのが普通だと思う。
しかしAは、私が嫌な顔をしたら、無理やりにでも、とにかく自分の相手をさせようとする。
相手が必死で抵抗したら、死に物狂いでたたきのめす。
これが男と女の関係だろうか?
ある意味では、男は女を暴力的に組み伏せるものだ、という意思の表れかもしれないが、
私が思う男女関係の観念とはかけ離れている。
心と感情と思考のない子供が暴力を振るっている感じ、と言えばいいのだろうか?
男と意識しているようなら、男がしつこく寄ってくると言えるのだが、
私を女だと思っている感じがないというのは、どう拒否したらいいのだろう。
おまけにその頃の体格は、私の方が大きく、Aは脆弱そうに見えた。しかし腕力はAの方が上だった。
こういうわけで、男だか女だかはっきりしない小学5年では、
Aがしたことを何と言ったらいいのか、いよいよわからなかった。
3度目は教室に全員がいる中でのことだった。
Aはまたしても「話をしよう」と言って寄ってきた。
経過は同じことの繰り返しだった。激しい叩きあいの末に、私がわーんと泣き出した。
先生にはやっぱり「僕は何もしていない」と言っていた。
5年担任の男性教諭は、私には何も言わなかった。多分注意したのはAの方なのだろう。
私が学級委員だから私を信用したとかいうことではなくて、
近づいたのはどちらかと聞けば、Aなのだ。
だから、私が原因を作ったとは思えなかった、ということなんだろうと思う。
4度目も、同級生多数がいる教室内のことだった。
例によって叩き合いに発展した所、今度は他の男子が止めに入り、
数人の男子が後ろからAをかかえて連れ去った。
ほっとしたのはいいが、後ろから、
「あんた、何したん(何をしたの)?」
と、強い口調で問う女子がいたので、不審な感じがした。
今思うと、寺島弘隆氏の近所で、学校の先生の子どもだった。
後ろにいたなら知っているだろう。
Aが「おい、話をしよう」と言ったので、私が嫌な顔をした、それだけだ。
するとAはとたんに、ドシッと、私の背中を強打したのだった。
今思うに、この時すでに、私の方が、Aにたたかれる原因を作っている、
と、見なされていたように思う。
ともかく、かくして4度目は、先生には未達だったと思う。
何を考えているのかわからない弱小と見えた存在が、実質は自分より腕力が上で、
その思いがけない腕力で、全力で自分に向かって来るのだ。
それ以後もしつこく寄ってくる。何とか話をしようと話しかけてくるわけだ。
気持ちが悪いと言いたかったが、人のことを「気持ちが悪い」と言うのは、私の受けた教育ではご法度だった。
私にとってはとんでもなくお呼びでない男だった。
勉強大好き、本大好き、高等なことが好き、正義が好き、という優等生タイプの私にとっては、
私の気持ちも察することなく手を出し、反撃という反応を呼び起こさせて、優等生から引き摺り下ろそうとする、
邪魔な人間に見えた。
顔かたちを言ってはいけない、門地を言ってはいけない、
貧富を言ってはいけない、気持ちが悪いと言ってもいけないなら、
知識や勉強の差はどうか。知識や勉強の差なら、努力でどうにかなる部分もある。
私はこれなら言っても大丈夫だろうと判断した。
とにかく徹底的に知識や勉強の差を言い立てた。
それでもAは一向にやめない。
ある時は友達に引っ張られながら、「僕はあの子と話をしなければならないんだ」と言っていた。
攻撃しても攻撃しても、まるで棒を飲んだようにふらふら寄ってくる。
こうした状況が1年近く続き、私も半狂乱に近くなってきた。どうしてこんな男と仲良くしなければならないのだ。
私は大人の関係を考えた。大人の男女関係で、女が嫌な男を振ってはいけないなんて、聞いたことがない。
徹底的に振るべきだと考えた。しかし、全く効果がないのだ。
悪さをする子だという印象のある男子は他にいたのだが、
そういう男子だって、私にしつこく話しかけてはイライラさせるようなことはない。
彼ただ一人が、私の認識の中でくっきり際立っていた。
ある時Aは、つかつかと寄ってきて、真面目な冷静な顔つきで、さとすように言った。
「人は仲良くしなければならないんだよ」
相手が真面目な顔をしてそう言うと、私は身震いするくらいにぞっとする。
首を横に振る私を見て、Aは
「そうか、あんたはそう思うのか」
と、私を見下げたようなそぶりで立ち去った。
後ろで数人の男子が失笑しているのが見えた。
後で思えば、これも回りの大人の入れ知恵に違いない。
しかし大人は子供同士の他愛ない関係についてのアドバイスをしたつもり。
それをAが私に言うと、男と女の関係の強要のような具合になるのには、全く気がつかなかったのだ、と思う。
そしてまたAも、大人たちが考えたような、子供同士の関係を気取って?、
私に、自分と仲良くするのが正しい行動だと、迫るのだ。
女の子と「仲良くしよう」と男が言うことに、何も悪いことはないと、相手は思っているわけである。
そもそも、そこが理解できない。他の男子はそんなこと言わない。
私は、小学校5年生ながら、いろいろ計算する。
自分に近づけて飾りになるものがあるか、自分が得することがあるか、などなど。
結論は、こんな男、近づけては具合が悪い、だった。
話しかけただけで私が猛反撃という凄まじさが度をこすくらいに繰り返され、
私は、激しく情緒不安定になった。
5年も最後の頃だと思う。そのとき私が何を言ったのか全く覚えていないが、
Aが「おまえがそんなことを言うなら、僕はもう死ぬ、僕はもう死ぬ」
と言った。
私はそれを聞いてさすがにひるんだ。
しかし、その言葉に何だか卑怯な感じを覚えた。
相手に死ぬと言われて、じゃあ仲良くしましょう、というのが大人の男女の関係だろうか?
私は次の瞬間、意を決して「死ね。あんたなんか死んでしまえ」と叫んだ。
Aはよろよろっとして、側にいた友達にもたれかかった。
こういうのは「売り言葉に買い言葉」の類だと思うのだ。
相手が「死ぬ」という表現を口にしなければ、こちらから「死ね」なんて言葉は、思いつかない。
(児童の自殺のニュースが耳に入る。これでもしAが自殺を図ったら、私が悪いことになるのだろうか?)
2、家庭訪問での6年担任の話
事件の顛末の第1章はこうだが、話はまだ続く。
6年になって担任になったのはAの隣家の寺島弘隆教諭だった。
寺島弘隆氏は、家庭訪問にやってきて、私の母にこう言った。
「性格が悪いですね。性格の悪い者は世の中生きていけない。
明るくて素直で円満で可愛らしくて、誰にでも優しい子がいい。」
「お母さん、僕はあなたのような人が好きです。愛嬌があって可愛らしくて。」
「お気の毒ですが娘さんは誰にも好かれていません。これは大変なことです。
人に好かれる人間になる。これは大事なことです。 」
「人間が社会で生きるのに大事なのは性格です。
性格の悪い人間は、社会では生きていけない。
大事なことは勉強より性格です。
自己中心的でわがままに育っている。勉強のことばかり言ってるでしょう。
女は勉強なんかしても、何の役にもたちません。
偉そうにする女のどこがいいんですか?
女は大きくなったら男の言うことを聞かなければならないのです。
勉強よりも、家の中のことに気を配るようにさせ、
厳しくして、わがままを増長させないようにしてください。
出る杭は打たれると言うが本当です。
鉄は熱い内に打てという。
私は勉強よりも性格を重視します。」
南国の古い田舎屋は、空間が閉じているということがない。
おかげで、話が全部聞こえた。あるいは、聞かせようという意図があったかもしれない。
6年担任は、私の性格が悪いと家庭訪問で断言したことについて、その理由を全く説明しなかった。
また、学校教育の一環として行われる家庭訪問で、
男女平等に違反する内容のことを告げたことは、確信的な法律違反だと思う。
その他の内容も、何てとんでもないことを言うのだろう。これは公には、「反教育」と言って間違いない。
しかし、その話の、どこに問題があるのか、母も私もわからなかったし、
私が、ここがおかしいようだ、と思うようになるのに、何十年もかかった。
そして、私がこの話を決して忘れないようになるまで、
この寺島氏の家庭訪問の時の話は、私と両親の間の確執の種として、
繰り返し登場するのである。
だから、寺島弘隆氏は、私だけではなく、家族の命運も、決した人物なのである。
家庭訪問での6年担任の話の背景
1 上記Aとの5年の時のからみ。
2 担任はAの隣に住んでいた。
3 「朋輩会」という、大人の男ばかりの集まりで、近所同志の仲良しぶりを強調していた。
(これによって、私は大人の男たちに脅迫されたような感じを持った。
寺島氏も、暗にその効果をねらったのではないかと思う)
4 繰り返された6年担任の「心理調査」
等々を関連づけて、
私はイジメの張本人だと いわれていたのだな
と、理解したのは30代も後半のことだ。
しかしAは後に、私に結婚を申し込んでくるのである。
体が大きくて、学級委員で、知識をやたらと仕込んで成績がいい私が、
細くて小さく、体も気も弱そうなAを、死に物狂いで口頭攻撃していたのだから、
学級運営としてはさっぱりだろう。
私が感じた私の方の「死に物狂い」という感じは、
弱者に対する思いやりのないイジメである、と、
取り違えられる可能性が、あるのだろうか。
私自身としては、想像もできない勘違いで、それゆえに、理解に時間がかかった。
それに、後々のことを考え合わせると、寺島氏としては、
頭がいいのに、この大騒ぎが自分ではわからないのだから、
説明するだけの好意も持てない、人間として心の欠けた子供だ、と、
人ではない、という感じでもあったのかもしれない。
しかし、問答無用で、機械のように無表情で暴力をふるう男というのは、小さくても、
私には、将来的に恐ろしい存在だった。
家庭訪問での発言の背景として考えた、
大人の男の寄り合いと、Aの隣家であったということと、心理調査との関連は、
私としては、はっきりした事実を知っているわけではない。
しかし、このあたりの6年担任の周囲の大人集団との関連性については、
他にもいろいろ思い当たることがある。
そんな集まりで、私が性格が悪くて、影でこそこそいじめをしていたなんて、
言い伝えられたら、現在に至るまでの、ひどい人権侵害である。
(子どもに人権など必要ない、
教師は常に、子どもたち全員のために、良かれと事を図っているのである、
というようなことを、教育で問題が起きる度に良く聞くので、
私は自分の事例を書きとめる必要があると思うのだ。)
3、寺島弘隆氏が実施した心理調査
寺島弘隆氏によって、私の性格認定に使われた心理調査について述べなければなるまい。
6年担任は学年の始めに、生徒達に対して調査をした。その内容について述べる。
1最近の出来事で自己反省するべきことがあったら書け。
2尊敬する人物は誰か。
3 好きな人、嫌いな人を書け。
上記の質問に対する私の答え(左)と、 担任の解釈らしく感じられたこと(右)と私の反論
(私の答え) 対 (私が暗黙にあれこれ言われたと感じていること)
1自己反省するべきこと「なし」----- 人の心の痛みのわからない人間
自己反省力のない人間
思いやりのない人間
( 腕力を振るってでも仲良く?したいと接近してくる男子を、
女子が排除しようとするのは、
相手の気持を考えないということだ、と言うのだ。そんなことってあるのだろうか。
近寄ってくる暴力的な男子に思いやりを持て、なんて、恐ろしいことである。))
( 自分で自分を全く省みることができないというのは、結局何をするかわからない
危険人物とみなしたということらしい。)
表はいい子、裏は悪事を働く、裏表のある人間
影で何をしているかわからない、危険な子供
(これでは、何をしても表面の問題で、悪はとらえられないから、
普段の表面の行動など
見ても意味ない、とみなしていたことになる。)
2尊敬する人物「なし」---- 自分が世界で一番すばらしいと思っている傲慢な人間
優れた人物を知らない、視野が狭い人間。
将来的に、何になろうというのかわからない、
目標を持たない、考えのない、不気味な人間。
(私は世界戦争を止められる人間がいなかった点について
強く感じ、尊敬できる人間がいないと答えたのだった。
(このあたりは拙著『ものの見方の始めについて』で書いている。
「昭和40年」を記念した、新聞社の企画出版物を見て考えていたこと)
20年以上たってから、テレビでこの調査方法
「尊敬する人物」
について話されているのを聞いたことがある。
「尊敬する人物」という問いを考えた先生がいるそうだ。
その先生は、
人間は誰しも、この人がいいなあとか、あの人がいいなあ、とか、
自分の理想を既知の人物の中に探そうとするから、
尊敬する人物を聞けば、その人がどういう人間になろうとしているのか、
どういう傾向を持つ人物なのか、判断する材料になる、と考えたそうだ。
しかしながら、
「尊敬する人物がいない」いう答えをする人が何を考えているのか、長い間わからなかった。
しかしそういう人は、
他人が考えたこともないような全く新しいテーマについて、
まだ応えた人がいないと考えている、
ということだとわかった、と言っていた。
(この解説、遅すぎた。)
3好きな人、嫌いな人--- 矢印でクラスの人間関係を印すと、誰にも好かれない人間がいる。
それを孤立児と言う。
(誰にも好かれていないって、私のことらしい。
Aが、好きな人、とこっちを向いて
いるようだったが、「好きな人って男を言うんだ」と「友人に言われて」、
やめたようだった。
この年代でこういう質問をされて、男女の好き嫌いを書く子はいないみたい。
これもテストの盲点だと思う。)
思い出せば、これで私が性格問題児であることの、立派な証拠がそろったらしかった。
「誰にも好かれていない」という証拠は今思えば、この調査らしく思われる。
こういうとんでもない断定って、立派な人権侵害である。
しかし人間というのは、こういう人の見方という枠の中にはまり込むと、その姿勢を決して変えない。
そういう人が現実にかなりいて、どちらかというと、それが普通なのかと思うほど多い。
私は、そういう現実に対処する、信念と気力と論理を持ち合わせたいと思う。
4、被害者と加害者の取り違え
寺島弘隆氏が、弱いAを助け、強い私をくじく、という方針で、
私の家にも告げ、学校でもそうした1年が過ぎようとした時だった。
Aが力ずくで私を体育館に引きずって行った。
そして男子ばかりが大勢囲んでいる中へ突き飛ばした。
この一件を知った寺島氏が、事態を逆の意味に取ったらしい。
つまり、
私がまたAに何か悪いことをした?
それに腹を立てたAが、
私に対して暴力的に腹いせをやった、
Aの正当防衛だ、
と受け取ったみたいだと、思う。
私は、もちろん何も知らない。Aが、突然、私を引きずっていって、突き倒したのだ。
ここで寺島氏は、Aの背中に手を回して、私をジッと見やりながら、
Aに、意味深長な風に、言い聞かせた。
「いいかA、K子の言うことなんか気にするな、頑張れよ」
ここで、寺島氏が事態を逆の意味に取ったらしい、というのは、
私が大人になってからの判断である。
子供の私には、
なぜか知らないけれども、Aの言うことを聞かないと、
隣家の担任が私をはり倒しにやってくるのだな、という
印象にしかならなかった。
Aにとっては、堂々と私に張りつけ、と寺島氏が言ったようなものだったと思う。
中学校に入ると、50センチという近距離でくっつかれていた。
手をなでさすられても、何も言えなくなった。
他の女子は激しく払いのけても、
私は手を取られてさすられっぱなしで、声も出せなくなった。
Aは他の女子にやってみて払いのけられ、次に私にためしてみたのだ。
「あの二人、どうなってるの?」「あんたはAが好きなんやろ」
いろいろ言う声が聞こえたが、朋輩会の大人たちによって、
すでに5年時から、複数の男性から強圧感を感じたのだから、
Aに反撃すれば、また恐怖を感じそうだったので、どうにも動けなかった。
高校は別だったが、後にAは結婚を申し込んできた。
口上がまた何とも言えない。「あんたなら真面目だし、しっかりよく働くだろう。」
どうして私が、Aのためにしっかり働かなきゃいけないのだ。
この結婚申込みの時の口上にも表れているように、
Aは男である自分が上だ、お前は下だ、女は男の言うことを聞くもんだ、
というスタンスで一貫していたのだ。
女子は男子を拒否する権利がないのか。
異性選択の自由と行動ルールについて、共通の合意がなく、言及もない。
誰とでも仲良く。
交友範囲・人間関係が狭い子どもは、教室の中では危険因子である。
こんな話ばかりが優先する。
これは、公教育の欠点ではないのか?
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上記、いろいろな場面での言葉が出てきます。似たような言葉を聞かされた人もいれば、違う言葉を聞いて育った人もいるでしょう。似た場面で、他にどんな言葉がありうるだろうか、私はあれから何をバネにしてやってきたのだろうか、そういうことをこのホームページでは考えて行きたいと思っています。
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子供たちの教室での大混乱というのがあちこちあるらしいのですが、それを表現したら子供たちは何と書くのでしょう。
Aがこの同じ場面を表現したら、何と書くか、考えてみました。
K子が教室で、ポツネンとひとり本を広げて読んでいた。全然人と話をしないやつだ。数人の女の子がいるけれど、そんな子たちには僕は興味がない。僕はあの子と話をしなくてはならないのだ。(女の子がいたのは二度目で、最初の時は教室に誰もいなかったような気がする。それなのに先生が来て、呼んだらしい他の子も来たので、ほっとしたような気がする。))
k子の側に近づいて、「おい、話をしよう」と言った。k子は知らん顔をしている。「おい」と言ったけれど顔をそむけて相変わらず本に目を落としている。「こっち向けよ」と言ったけれど知らん顔している。「おい」と肩に手をかけて揺すった。本にしがみついてる。「こいつ」頭に来たので肩をどついた。
k子が「何するのよ」と言った。「話をしよう」と僕は言った。k子は「ふん」とそっぽを向いた。僕はカッとなってK子の背中をたたいた。するとk子は何とたたき返してきた。たたき返してくるやつに負けるものかと、僕はたたきかえした。すると向こうも力いっぱいたたき返して来る。僕はさらに手加減しないでたたきつけた。向こうも案外負けじと反撃する。僕は全力を挙げて力任せに手をK子の背中にたたきつけた。
突然k子がワッと泣き出した。離れていた子たちが先生を呼んだらしい。女の先生が走ってきた。僕は何もしていないぞ。僕は仲良くしようとしただけだ。K子に自分と話をさせるにはどうしたらいいんだ。どうしてk子は人と話をしないんだ。人と話をしない。それはk子が悪いんじゃないのか。k子は人と話をするべきだ。誰とでも話をするべきだ。僕はk子と話がしたいんだ。
*****
実際は、子供は、こんな風に書いたりしないものです。Aがこう思っていたかどうかも、定かではありません。
しかしこのはた迷惑なAに、どうやってそれがはた迷惑だと説明したらいいかと考えると、それなりに考えなくてはならないと思うわけです。
***中学での接近
中学で近づいてきた時、Aはこう言っていた。
「お前を理解したい。
人は違いがあっても、話し合い、お互いに理解しあい、仲良くするものだ。
お前と仲良くしたい。」
「男とか女とかそういうことではなくて、お前と仲良くしたいのだ」
「友達になろう」
これが、普通に言う、道徳の文句に似ているのだ。
文科省が配布している「心のノート」も、異性選択をどうするかと言う問題に全く触れずに、
思いやり、話し合い、理解を深め、違いを乗り越えて仲良くしよう、と言っている点で、内容は当時と変わらない。
全くはた迷惑な男だった。私はもっと素敵な男と仲良くしたかった。
この男を近づけては、誰も私のことを見向きもしてくれない。
私にはこんな男しか当たらないのかと、非常に不安だった。
自分がみじめで情けなかった。しかし攻撃することも振ることも、できない。
Aが、私の感覚には甚だしく違和感のある、正当で反撃しがたい、妙な理屈を、もっともらしく口にする。
そこが嫌で、相手の判断力や認知力など、いろいろ勘案して我慢ならないのに、
絶対に離れないという調子なのだ。
6年担任に散々いじくりまわされたあとでは、抵抗する気力も沸いてこなかった。
*****************************
徳山高専の女子殺害事件など、結婚前の女子殺害事件を見聞きするたびに、
戦前ならあり得ない、と、妙な感慨を抱く。
私は、戦前は戦前で、ろくな時代ではなかったと思っているので、
戦前に戻るべしなどとは、全く思わない。
しかし、男女が非常に近接して行動しているのに、異性選択について、公共のルール観念も何もない。
現代は、
人はみな平等で誰とでも結婚できる、というルール観念が支配する世界と、
人にはそれぞれ分(あるいは適不適・相違)というものがあり、
結婚も分(適不適・相違)というルールの中で発生するべきだ、という観念が支配する世界と、
二種類の世界があるように思う。
前者の世界、つまり公教育で生きている女性には、
接近してくる異性に対して、何の保護も防衛策も与えられていないような気がする。
A、親しみなど見せずに慎み深く、などというイメージ。
B、男も女も、朗らかに解放的に付き合わないと、心が狭いことになる。
AとB、これらも一人の中では両立しない事項だろう。
そして、Bの世界では、異性を選択することについては、好きか嫌いかという個人選択に任されているのに、
嫌いだと言うのは、道徳的には抑制しなければならない世界なのである。
後者(適・不適)の世界は、上層階層のある種の私学校では、今も常識みたいだ。
公教育では、支配する道徳ゆえに、
狙われたら不運とあきらめるしかない状況に陥ることがある、
と、いうことさえ、ろくに知られていないのが心配である。
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人はみな平等で誰とでも結婚できるというのは、
身分社会の不合理を否定する理由から生まれたルールである。
結婚は分の範囲で、というルールは、身分意識の名残があると言えるかもしれない。
適・不適とは何でしょう?相違とは何でしょう。
以上は自分がざっと思いついたことだが、実際の問題となると、合理的な説明が難しい。
平等教育と選別を、どうやって両立させるのか。
入試や入社の選別を差別という人はいないくらいに、
今はこれらの制度では合意が成立している。
しかし異性の選択はどうだろうか。
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寺島弘隆氏の性格が、陰険、陰湿、卑劣、視野狭窄であることについての例証はいろいろあるが、
ここでは一般的な問題、差別差異の概念と、社会でのその取り扱われ方が、
6年担任の教育の中ではどのように見えたのかを、問題する。
なぜこれを問題にするかと言うと、私がAを遠ざけるのに使った成績の差異が、
寺島氏には、いじめと差別の元凶と映ったらしく思われること、
それが現在の学業評価のやりかたになっている、絶対評価というものと、
関係があるような気がして仕方がないからだ。
はるかに後年になってから、私は、Aが
「僕はあいつと仲良くしたいんだ。
でもあいつは、僕だけを成績で差別し、攻撃する。
あいつは僕に死ねとまで言った。」
そういう風に寺島氏に訴えたとしたら、うまくつじつまが合うことが多い、と思った。
担任の隣の家のAの父親には、虚弱?な息子を痛めつける、
強い女をやっつけろということにもなるだろうし、
弱いものいじめをする、道義の観念の欠けた女子、ということにもなっただろう。
こういうのはもちろん推測だ。
このような軟弱な根拠、推測でものを考えるのは邪道には違いない。
しかし絶対評価にまつわる議論、
競争や成績序列・学歴偏重による人心荒廃、生きる力の養成という議論が高まった頃から、
私は漠然とこれを気にし続けていたのだ。
寺島氏は、立派そうな理想をいろいろ聞かせてくれたけれど、絶対評価教育の理想とよく似ているなあ、と。
それは私の個人的経験からすれば、間違い情報をもとに理想を描いたようなものだった。
そして高校にまで私の悪行性悪を宣伝しにきたらしい寺島氏なら、
私の性格矯正に成功した?自分の業績を、
教育界に吹聴するいい機会のようだとも思った。
私の言動が、人間を差異化する相対評価の欠陥事例のように喧伝されたら、
それは、相対評価という評価方法を、絶対評価へと、大きく変える原動力になるかも知れない。
しかし、それならそれは、とんでもない勘違い、色眼鏡の結果ということになる。
***
ともあれ寺島氏は、
人はみな平等だ、天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、
みんな仲良く、明るく楽しく、男も女も仲良く、
人は誰もがすばらしいものを持っていて、
誰一人その人格を否定されるようなことがあってはならない。
一人ひとりの個性を大事にし、お互いを思いやり、尊重し合おう。
みな平等だから結婚で門地や貧富による差別があってはならない(どういうわけか結婚差別の話だった)。
勉強なんか、社会に出たら何の役にも立たない、
成績でみんなを差別するのは心が痛む、生きる力は成績ではない。
何よりも親しい友人は世の中を生きていく上でとても大事なもの、
朋輩会という自分の友人たちの集まりは実に素晴らしい。
友人がいないのは社会性がないようなもの、人と仲良く楽しく交流しないのはおかしい、
そんなことを言って、私が懸命に自己防衛のために築いた、Aに対する防御策を崩したのだった。
寺島氏のもとでは、成績など、歯牙にもかけられぬものだった。
それは、競争や成績序列が人をつぶすかのように言う、絶対評価採用議論に似ていたのだ。
ある時には、わざわざAと隣り合わせの座席を指定した。
Aはうれしそうに隣に座る。
(この時のことを考えると、Aが私と仲良くしたがっているということを知っていて、
わざわざ、Aを私と並べて座らせ、自分は教壇から観察していたのだと思う。)
***図書委員の放送が、目立ちたがりに
私は図書委員で、先輩の時代から、本の貸し出しをします、と放送することになっていたが、
どうしたわけか、本を借り出すのは私ばかりになっていた。
それでも放送するのは私の責任だと思って放送していたら、
同じ図書委員が私に真剣な顔で忠告する。
放送してはいけないと言うのだ。
先輩もやっていて、誰か来るかもしれないのに、
放送するべきだと考えた私が、放送後に放送室から出てきたら、
6年担任が間近に接近してきて、不快そうに、おおいかぶさるように、
「目立ちたいのか。いいね。もう放送してはいけない。」
と私に命令する。
この先生、狂ってるんじゃないかと思うほどだが、そんなことはない。
普通なのである。
教育では、人が人を見て、「判定」「評価」するのだそうだ。
私は自分の経験を振り返って、ご冗談でしょ、と思うことが多い。
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勉強なんか、世の中に出たら何の役にも立たないって、何なんですか。
これが教育の場で語られる言葉ですか。
批判があったように、無意味なくらいに煩瑣で、差別化のためだけの勉強というのも、
含まれていることは確かだと思う。
しかし、ゆとり教育が始まる前のように、
勉強は無意味であり、差別化の道具としての面ばかりがとりあげられ、
勉強に対する批判宣伝が大々的になされたことは、
歴史上、かつてなかったのではなかろうか。
昔は切磋琢磨して勉強しましょう、だったはずなのである。
知識・理解力・判断力、どれをとっても仕事の基礎として、生活に直結してきます。
問題を解決するためには、基礎力が高い集団の方がいいのではないでしょうか。
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周りが、おとなしい可愛らしい、円満で優しい、男の言うことを聞く、家事をやる子がいいのだ、
と、圧倒的な人間関係の距離と力で迫れば、
そうでなければ生きていく道がないような気がするのが問題だ。
努力すれば、違う世界へ移動することもできる、という具体的な例というのも、女性には必要だ。
しかし、古いだろうな、こんな話は。
それでも、内容は違っても、閉塞状況に関しては、どこでも発生する可能性はあり、
自分を保全し、自分を生かす道が、他のところには開けているはずだから、
それに向かって努力するべきだ、
ということは言えると思うのである。
*******通知表のデタラメ
具体的な通知表の評価面での問題の表れというと、こういうのがある。
国語で、一人ひとりがみんなの前で数分間短い話をする、というテーマが与えられた。
内容は何でもいい。お話でも、新聞の内容でも、なんでもいい。
私は、新聞記事にあった「スワジランドの独立」という記事を暗記してそのまま話した。
アフリカの小国の独立記事である。みんなポカーンとしてしまった。
(スワジランドは今、名前もそのままで、独裁体制に近く、あまり評判のいい国ではないらしい。)
先生は、おそらく手を回して、私が何の話を準備しているのか、情報を入手していたのだろう。
1960年代の、ヨーロッパからのアフリカ諸国の独立について、世界情勢の話をしてくれた。
ここまでは偉かったと思うのだが、そのあとが滅茶苦茶である。
先生は、実に嫌あな顔をして、私を問い詰めた。
「こんな話が、この田舎の君らに、一体何の関係があるというのだ。
ええっ?ここだよ。こんな遠い国の、こんな小さな話を見つけて話をするなんて。
君は一体、何のつもりで、みんなにこんな話をしたんだ。
どういうつもりなのか、説明しろ、さあ。」
「ふん。言えないんだな。」
1学期の通知表を見ると、国語の各項目の欄の「話し方」が「×」である。
この時のスピーチでは、全く一言も言葉を発することのできなかった人たちも、結構いた。
私は、ともあれ堂々と一通りは話はしていたので、意味がわからなかった。
親たちも何だろうと思ったらしい。
そして、聞いてきた結果がわかって、何とも言えない気持ちになった。
「スピーチの内容が、周りの子供たちのことを全く考えていないものだった。
自分のことしか考えていない、自己中心的なものである」
祖母は、「いいことではないのか」と言った。
母親は、「こういうことを自己中心的というのだ」と、学んだようだった。
父親も、「自己中心的」と先生に言われる内容を肝に銘じて、徹底的に「自己中心」を探し出し、
即座に叩き潰す必要を感じたようだった。
私は先生に問い詰められた時に答えられなかった。
私は、国の独立というのは、非常に大きな問題であると感じたのだ、ということを。
国の名前が変るかもしれない、と書いてもあったので、
国の名前が変るなんて、そこに住む人たちにとっては、すごいことだろうな、と思ったのだ。
この自分の感銘を、みんなにも共有してもらいたい。
しかし、先生は、「自己中心的」という判断を下して、しかも「話し方」という項目で「×」にしたのである。
先生は、では、一言も発せなかった人たちに「×」をつけたのかといえば、
そんなことはないだろう、と言う気がする。
これを、詳細を知らない中学の先生などが見たら、私の話し方は、
クラスのレベルで特段の下位にある、と見えるだろう。
実に不公正な判定がなされるのが、通知表なのだ、と、私は思っている。
寺島弘隆。私は忘れない。
私は、あなたがひとりでこの世から消せるくらいの存在だと見込んで教育し、生き延びた人間なのだ。
2011.3.7
明るくて素直で円満で、誰にでも優しい、そういう子以外は、ーーー性格が悪い。
生きていけない性格を持っているから、生きていてはいけない。
そういう理屈になるのだ。寺島氏の話は。
このような了見の狭い理屈を、情報の少ない田舎で、
視野の狭い、無学な親に、「だから女は」勉強など役にたたない、などと耳元で吹き込むように話せば、
それを修正する手立てがなかった。
私が大学へ行ったのは、仕事に就くためではなかった。生きる意味を探しに行ったのだ。
自分の生存理由を探しに行ったのであって、将来の仕事など、考える余裕はなかった。
生死がかかっていたので、何が何でも行こうということになったから、やっと勉強に拍車がかかったのである。
誰ということでもないが、こういう場合、生存を脅かす悪い連中が一杯いて、
性格が悪いから勉強しない、性格の悪い奴は伸びない、性格の悪い奴は育てる甲斐がない、
能力が有りながら勉強しないなんて、全く宝の持ち腐れ、人間のくず、なんて言う。
2011.4.16
『海部町史』を確認する機会のある方に申し上げる。私の実家について、
下着を意味する俗語を使って、目立つ表示をしていたという記事がある。
しかし、母もそのような事実は知らなかったし、近所の人も、聞いたこともないと言っていた。
私の実家は、炭・練炭を始め、文具、箸や皿、鍋・釜・しゃもじ・お玉などの台所用具、
縄やロープ、釘、針金、のこぎり・かんな、かなづち、山や材木用の定規、
肌着、作業着、帽子、笠、傘、調味料、食用油、種子、裁縫道具、糸、生地、ゴム、
弁当箱に水筒、クワや鎌、おけ、バケツ、石鹸、チリ紙、
ほうき、ちり取り、洗濯板、
こういう、あらゆる品物を扱う商店だったのであり、
下着を俗語?で特大表示することに、商売の意味はない。
したがって、私は、これは、寺島弘隆氏などを経由した、中傷であろうと想像している。
2011.6.8.
田舎で聞いた女性観に、「女は家事育児、老人と病人の世話」というのがある。
寺島氏の女性観もこれなんだろう。
それに私は、寺島氏が、女性には乱暴を振るえ、というメッセージを発していたことも覚えている。
「戦後、強くなったのは女と靴下、という言葉がよく言われる。女性の参政権獲得と、ナイロン靴下の普及のことである。
しかし、縄文時代には、女なんか、髪をつかんで引きずり倒して、モノにしたものなのだ。
江戸時代の女性向け教育には、女三従の教えなどというものもあった。
子どもの頃には親に従い、嫁いでからは夫に従い、老いたら子に従う、という教えだ。
女性は戦前は非常に地位が低かった。
江戸時代の偉い先生は、女がギャーギャー言う姿は醜いものだ、というようなことも言ってる。
そういう醜いことではよくない。しつけとは身を美しくと書く。」
***最初の出会い・保育園の学芸会
そもそもAとの出会いは保育園だった。
保育園の学芸会で、催し物のメンバーの発表があった。
その中で、私とAが、二人で8の字を描く踊りのプログラムで、一緒にされたのだった。
私は、いつもいい子だとほめられていたので、
Aと二人きりで組になって踊る、などというのは、
屈辱的で嫌だと思った。
しかし先生は言うのだ。
先生も、みんなを学芸会で喜ばせるのは、とても大変です。
先生が一生懸命考えたプログラムですから、
やり直すとういうのは、もうとてもできそうにないくらいに大変なんです。
だから、ちょっとどうかなあ、いやだなあ、と、思うようなことがあっても、
先生のことを考えて、みんなでやっていくことを、考えてほしいの。
そう言われて、私は嫌です、とは、言えない。
学芸会の組み合わせがわかって、祖母や伯母は、大丈夫?と、心配した。
私は「ウン」と、言うしかなかった。
それで、長い学芸会の練習中、全員の前で、
私とAは、二人で踊り続けたのだ。
そういうことが、二人の関係の、始まりと言えば始まりである。
先生達にご注意申し上げる。
真面目な子なら、仲間はずれになりがちな子の相手をさせて、責任を持たせても大丈夫だ、
などとは考えてはならない。
あなたの判断が、その子の一生の問題になるかも知れないのだから、と。
*****
私のしたことで、これからの世の中に役に立つことがあったとしたら、思い出して欲しい。
私は、私のような性格では世の中を生きていけない、と、
田舎ではさんざん言い続けられた人間だった、といういうことを。
言ったのは親であり、その元は、寺島弘隆氏が、
私の母親の耳元で吹き込んだ価値観だと、私は思うのだ。