偽作・誤認の話(ベルンハイム著『歴史とは何ぞや』より)

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     1920年ベルリン新改訂版、ベルンハイム著『歴史とは何ぞや』
      岩波文庫・大正11年(1922年)、
     改訳版昭和10年5月
      に出てくる

偽作・誤認の話

「モアブ古物事件」 p179

1868年にパレスチナのモアブ地方で紀元前9世紀の金石文が発見された。
珍奇な史料として学者の注意が集まっていたところ、

1872年の内には古土器類が二千点も出てきた。
ベルリン博物館ではたくさん買い入れさえした。

しかし結局、発見の事情や文字そのものから、
これらは現代の偽作であると判定された。

芸術品・工芸品などは偽作がはなはだしく、騙される例が頻繁に起き、
1898年、ついには古物偽作に関する定期刊行物の発行が始まった。(p178


「シュリーマンの誤認」 p180

誤認の例としては、シュリーマンが自分の発掘物を、
即トロイの遺物と考えた例。


p181

中世における肉体的遺物が偽作されたり誤認されたりした例。

教会史の方面で、宗教会議決議録の変造の例。

金石文はことに収集家や学者の虚栄心から、非常に偽作されやすい。

絵画の画家署名の偽作の例。

中世には、修道院や監督領の首長や部下大衆らが、

その財産の権利や所有権主張を確固たるものにせんとし、
また詐取せんとする努力、

またあるいは院や領の名前のため、
できるだけ古い伝来を誇示しようとする努力が、

特に偽作の動機になっている。

かくて多数の国王特許状が捏造・偽作された。

有名な例は、コンスタンチン大帝の寄進状、偽イシドールス教会法令集、
Feluda修道院の特権状、オーストリア自由大特許状


伝承の方面では、どこででも、誠にさまざまな偽作にも、また多くの誤認にも出会う。

伝説は意識的に全体、捏造、誤伝、変化している。等々。