『歴史と証明』理論編
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『歴史と証明』 理論編
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物語や小説は証明される必要はないが、歴史的事実は証明される必要がある。
物語や小説は頭の中で創作したものであってもかまわないが、
歴史的事実とされたものは、創作であってはならない。
事実でなければならないのだ。
では歴史的な事実は、どうやって事実であることを証明するのだろうか?
〔史実の証明という考え方の、社会的必要性〕
私は、史料批判の全員による理解・習得でもって、特定勢力による情報操作を、極力減らしたい。
史実の証明という考え方の必要性
〔歴史研究の基本について〕
(以下の文章は、その多くを今井登志喜『歴史学研究法』東大出版に依存している)
歴史学の基本は、「過去に実際にあったことだ」ということを証明することである。
それを証明するためには、証拠が必要である。その「証拠」となるものを、
歴史学では「史料」と言う。
「史料」とは、「過去の人間の著しい事実に証明を与えうるものすべて」である。
文献・口碑伝説のみならず、碑銘、遺物遺跡、風俗習慣、地理、自然など、
証明を与えうるものすべてを含む。
ただし、その性質から考えて、史料には2種類あると言える。
(1)史料が物質存在として、ある歴史的事件・歴史的対象と、物質的に関係しているもの。
(2)史料が歴史的対象に対して、
人間の認識を経由して、人間の論理で整理され、言語で表現されている
という関係にあるもの。
たとえば、
(1)は、モノ的に関係する世界、やわらかい地面を歩けば足跡が残る、
というような世界での、「足跡」(痕跡)。あるいは作成物、地理、自然など。
(物質世界に残(遺)された物。「遺物」と呼んでおこう)
(2)は、人が歩いているのを見て、誰それが歩いていた、
と証言する世界での、「証言」である。
*人間の認識を経由して描かれた、という意味では、絵画・図などはこれに準じる。
(1)を考察の範囲に入れないものは、歴史とは言えない。
歴史は、物語や文学ではないのだ。
*ここでの「物質的」「物質世界」という言葉は私独自の用法である。説明は、リンクページを参照のこと。
〔史料批判の必要性〕
経験的に言って、史料として提供されるものには、しばしば
「全部もしくは一部が本物ではない(偽作)」とか、
あるいは
「それまで承認されていたようなものではない(錯誤)」、
というようなことが発生する。
過去に出現した偽作について
歴史学では、経験上、「証拠物件として示された史料が、偽作である」ことが珍しくない。
従って、「史料が本物かどうかを吟味する」ことが、最初の手続きであり、基本なのである。
また、錯誤の例としては、
その史料が、違う時代や人物に当てられ、間違った説明が加えられて、踏襲されたりするような例がある。
そしてこのような偽造や錯誤が、全部でなく、一部であることもある。
このように、史料をめぐる偽作や説明の間違い、構成の混乱などは、よくあることなので、
史料の正当性・妥当性は、常に注意深く吟味されなければならない。
また、史料が証言する内容について、
どの程度信頼できるか、どの程度証拠力があるかを、評価する必要もある。
この場合、証言者は、
論理的な意味で事実を述べることができたのか(錯誤)、
倫理的な意味で事実を述べる意志があったのか(虚偽)、
という二点で検討されなければならない。
*「錯誤」という言葉が、
1、残された「物」についての説明で間違った場合と、
2、証言者が証言内容を残す時に、その「内容」で間違った場合と、
二つの場面で使われているが、別のものなので、注意してほしい。
このように、証拠物件としての「史料」は、そのままでは、事実の「証拠」として扱うことはできない。
必ず、その「真贋」と「内容の信頼性」という面を検討しなければならないのである。
その上で、収集された多くの史料が、証拠物件として役立つかどうか、
またもし役立つとしたら果たしていかなる程度に役立つか、
を考察する。
以上のような作業を「史料批判」と呼ぶ。 (「史料批判」という訳語について)
史料批判は一般に、
史料の外的な条件を検討する「外的批判」と、
史料に記された内容を評価する「内的批判」
とに分けられる。
〔史料批判(T)外的批判〕
史料の「外的な条件」を把握することが必要である。これらは史料の証拠価値の判定基準となる。
「外的な条件」とは何か。具体的には、以下のような観点で検討されることである。
(1)偽作でないかどうか(真贋の検討)
(2)史料が作られた時・場所・作者とその人間関係はどうか(発生の検討)
(3)オリジナルの史料かどうか(本源性の検討)
(1)偽作でないかどうか(真贋の検討)
1. その史料の形式が、他の正しい史料の形式と一致するか。
古文書の場合、紙・墨色・書風・筆意・文章形式・言葉・印章などを吟味する。
2. その史料の内容が、他の正しい史料と矛盾しないか。
3. その史料の形式や内容が、それに関係する事に、発展的に連絡し、その性質に適合し、蓋然性を持つか。
4. その史料自体に、作為の痕跡が何もないか。その作為の痕跡の吟味として、以下のようなことが挙げられる。
(1) 満足できる説明がないまま遅れて世に出た、というように、
その史料の発見等に、奇妙で不審な点はないか (来歴の検討)
(2) その作者が見るはずのない、またはその当時存在しなかった、
他の史料の模倣や利用が証明されるようなことがないか。
(3) 古めかしく見せる細工からきた、その時代の様式に合わない、時代錯誤はないか。
(4) その史料そのものの性質や目的にはない種類の、偽作の動機から来たと見られる傾向はないか。
その他、種本にした史料との比較によって、明らかに偽作とわかったりすることもある。
「史料に付された説明」に錯誤がある場合についても、
偽作を検討する作業の中に、適用できるものが含まれる。
「混入」や「変形」がある場合の吟味の基礎は、詳細な比較研究である。
(2)史料が作られた時・場所・作者とその人間関係はどうか(作成状況の検討)
日時・場所を明らかにすることは、事の経過や状況を知るための基本である。
古い時代の文学作品等には、作者や著作日時が不明のことが多い。
また公私の記録文書、ことに原本がなく写しのみの場合、
例えば人々の書簡集のようなものには、これらが欠け、または不十分なことが多い。
だから、史料作成の日時を考察する。外的・内的の両方の吟味を行う。
外的吟味
1、ある日時の明らかな史料のことが、その史料の中に出てくる。
2、ある日時の明らかな史料の中にその史料の事が出てくる。
3、共存する他の時間的関係の知られている史料から判断する。
4、時として技術的関係からの判断による。たとえば手紙に日付がなくても、
その到着した時がわかっている場合。
5、それが時間の知られている史料の断片であることの考証による。など
内的吟味
1、比較研究。すでに日時の明らかにされている他の史料と、
外形的特徴、たとえば様式・材料・技術等を比較する。
2、文献的史料では、特に言葉、スタイルなどがおおいに標準となる。
文語体でも時々何か時代をあらわす要素が含まれている。
3、記録等の場合、その記事の内容に手がかりを求め、それによって判断する。
ある時より、前か後かを明らかにできるだけでも、その史料の利用に役立つ。
その他、「場所」の吟味、「人物」の吟味など。
言語で表現された史料の場合、その史料の「作者」の地位・性格・職業・系統等が明らかにされれば、
それがその史料の信頼性等を判断する根拠となって、その史料を用いる際に都合が良くなる。
(3)オリジナルの史料かどうか(本源性の検討)
史料の利用について特に注意するべきことは、「オリジナル史料」と「借用史料」の区別である。
各史料の要素を細かく分解し、親近関係が疑われる史料と比較し、
これによってそれらのオリジナル性や従属性を確かめる。
その理論的根拠は
1、一つの出来事について、各人の観察把握の範囲および内容は、
すべての個々のことについて、特に偶然的なことについて、
みな一致するということはない。
2、各人が同じ一つの事を述べるとき、その表現の形は同一ではない。
3、すでに他人によって言語的に発表された表現内容に一致する証言は、
少なくともその付随事項の一致により、
またしばしば誤解があることによって、
その従属性が明らかになる。
4、二個以上の報告が、同じ内容を同じ形式で述べる時、それらの史料には親近関係がある。
これらの史料にどういう系統関係があるかを判断する。
この作業がなぜ重要かというと、親近関係にある史料の中で、証拠価値があるのは、
ただオリジナルな史料だけ、だからである。
その他は、原典の借用であるために、いかに多数であっても、決して証拠力を持たない。
ただ、そのオリジナルな史料が既に失われて存在しない時に、
それを借用した比較的原形に近いものが、
現物を反映するものとして、重んじられるのである。
〔史料批判(U)内的批判〕
史料をどの程度信じるべきか、どの程度の証拠力があるかを検討する。
同一事実に対して直接証人の「証言」が矛盾していることは少なくない。
「証言」を提出した人物は、
論理的な意味で真実を述べることができたのか、
倫理的な意味で真実を述べる意志があったのか、
この二点においての評価が必要である。
史料が証言する内容について、その信頼性が損ねられる例は多々ある。
その原因には、大きく分けて「錯誤」と「虚偽」がある。
[錯誤の例]
1.感覚的な錯誤
2.総合判断の際の先入観や感情による錯誤
3.記憶を再現する際に感情的要素が働いて誇大美化が起きるような例
4.言語表現が不適切で、証言がそのまま他人に理解されない例
直接の観察者でも、錯誤が入ることはよくある。
ましてや証言者がその「事件を伝聞した人」である場合、
誤解・補足・独自の解釈等によって、さらに錯誤が入る機会は多い。
ことに噂話のように非常に多数の人を経由する証言は、
その間にさらに群集心理が働いて、感情的になり、錯誤はますます増える。
[虚偽の例]
1、自分あるいは自分の団体の利害に基づく虚偽
2、憎悪心・嫉妬心・虚栄心・好奇心から出る虚偽
3、公然あるいは暗黙の強制に屈服したための虚偽
4、倫理的・美的感情から、事実を教訓的にまたは芸術的に述べる虚偽
5、病的変態的な虚偽
6、沈黙が一種の虚偽であることもある
このように、言語史料である証言には、錯誤・虚偽が入る機会が多い。
事件の当事者の報告は、その事件を最もよく把握している人の証言だ、
という意味では最も価値がある。
これらは史料が本物と判断される場合、
通常は「一次史料」「第一級史料」と呼ばれて、
珍重される種類のものである。
しかし一方、当事者はそのことに最も大きな関心を持っているために、
時として利害関係・虚栄心などから、真実を隠す傾向がある。
この点においては、第三者の証言の方が、信頼性が高くなる。
錯誤はなくても虚偽が入るのだ。(当事者報告の虚偽の可能性)
すべての証言において、その作者の人物を考慮することは、
その史料の信頼性を考える上で、重要な標準となる。
言語史料を「音声」と「文字」に大別して考える。
「音声」史料の場合、時間的人間的に、間接の度が増して、
広がるほど遠くなるほど、信頼性が落ちる。
伝説はその典型である。
一般に、長く伝わる間に、1誇大・美化・理想化、2集中、3混合、
などが起きる傾向がある。
現在文献化している音声史料でも、かつて相当の期間口伝的だったものは、
こういう性質を持つ。
「文字」史料の場合、
公私の往復文書、宣言書、演説、新聞雑誌の記事、日記、覚書、回想録、系図、歴史書、年代記、伝記その他、
種々の種類に分類して、大体その性質を考察した上で、
さらにその史料の一つ一つを吟味する。
特に、利害関係を持つ内容、宣伝的性質を持つ内容、道徳的・芸術的効果
を目的とする内容等については、事実の歪曲を予想するべきである。
最後に、歴史認識に達するための総合作業がある。 (「総合」に関しても、後に説明することにする)
〔史料の発生経過による考察 〕
手にした史料がどういうものか、見当をつけるには発生モデルを考えておくと、便利である。
時間の経過そのものが、史料内容の変化を特徴付ける、という面も、大きい。
特に、後世の記録や編纂物、それから物語・小説となってきた場合、
その変化には、顕著な意図的傾向が見られる。
物語・小説は流通しやすく、世の中に誤解を広げかねないので、それだけ注意が必要だと考える。
さて、事件の発生は、どのようにして知ることができるだろうか。
痕跡を知ることによるのだろうか。それとも他者の報告だろうか。
ともあれ、事件が事実だった場合、当事者以外の者がそれを知るのは、
痕跡によって判断するか(遺物)、他者の報告によって判断するか(証言)、
この2種類による。
ある事件が発生した場合について、経過をたどって考えてみる。
1、 @ 事件・事実の当時、その場で当事者が、各自、自ら作り、あるいは残した史料。
(例えば、「遺物」としては、足跡・血痕・指紋、作業の痕跡。
あるいは「証言」史料としては、連絡・指示のための手紙、事務的な記録、備忘のためのメモ・日記等。
社会や組織を運営し、機能させるために作成された史料。
*(「証言」史料には、遺物という側面もある。したがってこれらは、紙質、筆跡、文章形式、言葉などで、
当時の当事者のものであると確認できなければならない。)
A第三者が同時代に作った証言史料。
*(証言史料の遺物としての側面からは、紙質、筆跡、文章形式、言葉などで、@と同様の確認ができるもの)
この場合、事件から時間的・空間的に離れるに従って、信頼性は落ちる、
と考えるのが自然だと思われる。
2、 時間や場所が隔たっているが、当事者が自ら作った史料。普通の覚書や記録の類。
3、 1と2を根拠として、それらを関連付けてまとめたもの。各々の当事者系譜の家譜・伝記・覚書など。
4、 それらを参考にしつつ書かれたもの。
A、道徳的感化や芸術的効果、教訓や娯楽を目的に書かれた物語。
B、意図的な宣伝目的を持つ文献。
C、編纂された歴史書
など。
大抵は、史実には、立場によって利害関係が発生する。
それゆえに、史料の背後にある人間関係が重要になってくる。
個人や集団の利害に関係する文書は、
当事者の作成とされていても、あるいは逆に、当事者が作成したとされるがゆえに、
むしろ信用できなくなることも多い。
史実のかく乱情報は、史実が発生した当初から存在しうる。
利害を左右するとなると、これら当事者による情報は、
本人あるいは他者によって、偽作・捏造・虚偽の対象になりやすい。
証拠となる痕跡や遺物、文献、証言、絵画・写真等が
「実物かどうか」「内容がどの程度本当か」
を判断するのに必要なのは、
その史料を構成する要素についての、同時代の正しい史料である。
つまり、地理・地形・地質・気象、痕跡、遺物、紙質・筆跡・文章形式・言葉、
あるいは物品の製作技術、その傾向や材料など、
時間や場所や状況を特定するのに役立つもの。
あるいは、情報として役立つものとしては、
全体の歴史、全体の人間関係、
当時の人々が残した、生活・慣習・制度・思考・行動様式の、記録・情報のうち、
その事件について、時間や場所や内容の蓋然性を証明するもの、
などが参考になる。
しかし証明に関する限り、
検証対象の「遺物」や「証言」と、明らかに正しいとわかっている「遺物」群の間で、
整合性があることが、何より重要である。