3、史料学

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 前述のように、多くの歴史学研究法の書物は、もちろん枝葉の点において相違しているが、
その根本的な構造において、大体の一致がある。
そしてそれらにおいて方法論の最も主要な部分をなすものは
(1)史料学
()、(2)史料批判()、(3)総合()の三つである。
その他、なお多くは表現()の項が立てられているが、
これは方法論的には、前者のように重要なものではない。

 注意すべきは、研究の作業に対する上のような分類は、ただ論理的・純理論的なものである事である。
方法論とは、歴史の証拠物件たる史料に立脚して、正しい歴史認識に到達する方法の全体である。
それは実際には一つの有機体のように全部が相関連し、
一つの作業が終わって次の作業が始まるというような、機械的関係のものではなく、
ただ説明の便宜から論理的に分析し順序立てたにすぎないのである。
いま、順を追ってそれらの概要を述べる。

 歴史学は経験科学であり、経験的な証拠物件を基礎として実証的に成立する学問である
歴史研究の立脚する証拠物件たるものが、すなわち史料()である。
史料学は、史料すなわちいやしくも歴史の証拠物件として役立つべきものを考察し、
それを十分に収集する道を講じ、研究に便利なようにそれを分類し、整理する職能である。

 歴史学はその対象が複雑な人間の社会であるため、その証拠として採用される史料もまた非常に広範である。
ことに近代歴史学が進歩し、垂直的に深まり、また水平的に広まったために、史料の範囲もまた、ますます広範を加えた。

 すなわち、歴史の研究が深まって、その証拠として採用されるものが非常に多くなり、
また歴史の研究の範囲が広まって、
かつてもっぱら政治的変遷、支配的階級の運命等のみを対象としたのが、
文化的社会的事項、一般大衆の運命にも着眼するにようになったために、
自然に史料たるものの範囲が拡大したのである。
今日においては、史料の範囲は全く無限であると言えるのである。

 史料は、それに基づいて、歴史の対象たる「人間社会の過去の状態」ならびに「その変遷」を考察する、根拠となるものである。
従ってそれは過去から継続して存在するものである。
しかし時というものは、多くのものを亡ぼし、失わせて行く性質を持つ。
それゆえに、史料は、何かの理由で時の亡滅作用から免れ得たものであり、いわばむしろ偶然的存在である。

(人間の意思によって操作された、意図的操作の面を語らないままでは、片手落ちの感じが残る。全体を考えると、この点、検閲回避を疑う。)

 史料の範囲は無限であるが、その存在は決して完全ではない。
一つの事項の考察に際して、必要にして十分な史料が存在することは、むしろ稀である。
歴史学はその不完全な材料によって研究を進めなければならない。
これは歴史的性質を帯びる他の科学においても同様である。
例えば古生物学などは、化石の一つ、骨の断片等の乏しい材料から古い時代の生物の姿を復元するのである。
こういう性質の学問においては、できるだけ豊富に証拠物件を探すことが、研究を進める基礎である。

 新しい一資料の発見によって、旧学説がくつがえるような実例は、しばしば見るところである。
この種類の学問は、いかに不完全でも、すでに発見できた資料に基づいて、
それによって立証される限りの真理を認識するほかないのである。
資料を探すことが、学問を進める大きな条件である。

 歴史学の史料はその種類がはなはだ多く、多方面に秩序なく存在している。
何が史料であるべきかを考え、その所在を探し、それを収集し整理するのでなければ、
研究の進歩は決して得られない。
史料学の意義はここにあるのである。
近代の歴史学の進歩は、第一には史料学の発達に負う、と言うことができるであろう。

 史料の概念の中に含まれる総体の資料は非常に多く、また内容的に極めて複雑である。
すべて文献口碑伝説のみならず、碑銘、遺物遺跡、風俗習慣等、
一般に過去の人間の著しい事実に証明を与え得るものは、皆史料の中に入るのである。
このように史料が複雑であるために、それらを整理し、またその性質を吟味し、
その利用を好都合にするために、史料の分類が試みられる。

 史料の分類はいろいろな基準でおこなわれうる。
例えば、時間に基づく分類、場所に基づく分類、
史料の内容の性質による分類(政治史料、経済史料、宗教史料、芸術史料等)、
史料の外的性質に分類(文献的史料、遺物遺跡等の物的史料、口碑伝説制度風俗習慣等の無形の史料等)である。
これらの分類も、時に実際上の必要があり、
ことに史料を収集し整理保存する等の場合において、実用的価値が認められる。
しかし方法論的には、この種の常識的分類でなく、
さらに内的に鋭利な分類が、研究の作業の必要に基づいて立てられるのである。

 ドロイゼンは、歴史の材料を遺物()、史料()、記念物()、の三つに分類した()。
この分類の原理は後の人々に採用され、ベルンハイムは史料を二つに大別して、
伝承または報告()と遺物()とし、遺物をさらに狭義の遺物たる残留物()と記念物に分類している()。
これはドロイゼンが史料と名付けたのを、伝承の名で明確にし、記念物を広義の遺物の中に加えたのである。

 バウアーは遺物()と証明()に二分し、遺物の意味を狭くベルンハイムの残留物の意味に用い、
ベルンハイムの記念物と呼ぶ類のものは、証明の中に加え、証明をさらに統制証明()と不統制証明()に分けた()。

 フェーダーは物的(沈黙)史料()と証言史料()に分けているが()、これは大体バウアーの遺物と証明の区別に一致する。

 その他、大体この原則による分類が多く採用されている。
ただし、ラングロアおよびセーニョボスは物的史料()と文字的史料()に二分している()。
この分け方では史料の全部を包含せず、不完全であるが、なお上の分類の原理に通うものがある。

 そしてこの分類の原理を、フェーダーは、
史料の認識価値に、または史料と歴史的対象との間の結合関係に、基づく分類と見なし、
物的史料は、史料と歴史的対象とが、ただ本体的整頓()において結合し、
陳述史料は史料と歴史的対象とが論理的整頓()において結合するものであると説明している()。

 これはすこぶる難解な表現であるが、要するに前者は史料自体が実質的に歴史的対象を表現しており、
後者は史料が歴史的対象を直接に発言していることを意味するのである。

 この分類の問題は、史料の価値の問題、またその扱い方の問題に関係をもつゆえに、
さらにその性質を明瞭にする必要がある。そのため便宜上、まずベルンハイムの分類を吟味してみることとする。

(p24)ベルンハイムはある事柄の直接の結果として自然に残留しているものを「遺物」と呼び、
ある事柄を人間の認識が一度把握し、人に伝えるためになんらかの形で表現しているものを「伝承または報告」と呼んでいる。 
(下線、私)

 そして、「遺物」の第一種たる「残留物」は、全く単純な狭義の遺物である。
古い骸骨、先史時代の発掘物、言語、風俗習慣、宗教的儀式、法律制度、
人間の精神的肉体的熟練の産物たる技術・学問・芸術・家具・武器・貨幣・建物等の一切、
法廷・議会・官庁等の公文書、書簡・新聞・統計等の事務的性質の文書等がそれである。

 第二種たる「記念物」は、その事柄に関心を持つ人の記憶のために、それを保存する意志がその根底によこたわるものとし、
ある種の公文書、墓碑等の碑文、記念建物等がそれであるとする。

 また伝承には(1)歴史書地図等の形像的伝承、
(2)物語、伝説、逸話、歴史的歌謡等の口頭的伝承、
(3)歴史的碑文、年表、系図、年代記、覚書、伝記、各種の歴史記述等の文献的伝承があるとする。

 そしてベルンハイムはこの類別をもって決して厳格に絶対的でなく、ある程度まで流動的であるとし、
例えばある事柄を記述する歴史書はそれとしては伝承であるが、それを文学的作品として見れば遺物であり、
また絵画は芸術的作品として見れば遺物であるが、内容が歴史画であれば伝承の範囲に入ってくる、と説明している。

 この分類はベルンハイム自身、すでに絶対的でなく相対的である事を認めている通り、
実際において曖昧であり不明である。
それでウォルフは、この習慣的分類は便宜上のものであって、
たとえ初学者には非常に有益であったとしても、個々の史料がいずれに属するかについて、
当然の疑いを起こしやすい、という事を指摘している()。

 バウアーもまた、遺物と伝承の類別は個々の場合、各史料の批判的評価に際して意義があるが、
史料の一般的分類および整理には用いられない。
書簡のようなもの、公文書のようなものは、一般的には遺物に属するが、
常に単純に遺物であるとは限らないのである。
要するにこの分類は、一史料の研究法的評価の尺度を提供するが、史料の一般的分類の標準にはならない、と主張している()。

p26

 史料を、「遺物」と「伝承ないし報告」、「遺物」と「証明」、「物的史料」と「証言史料」等にわける分け方は、
それらの言葉の意味する範囲が必ずしも一致せず、またその分け方に若干、明瞭さの程度に相違がある。
しかし要するに、同じ分類の原理に基づいて、ある種類の史料を徹底的にその一方に決定する、
ということができない、という点が共通である。

 これはなぜか。その分類の原理が不合理であるためなのか。ここでさらにその分類の原理を吟味してみる。

 フェーダーの表現を用いれば、史料を、それと歴史的対象とが、本体的整頓において結合する場合と、
それと歴史的対象とが、論理的整頓において結合する場合とに分類するのである。

 この言葉は難解であっても、その意味するところは明瞭であり、分類の原理として合理的である。

(私注:私の解釈だけれども、

 本体的整頓とは、史料が物質存在として、ある歴史的事件・歴史的対象と、物質的に関係している、ということだろうと思う。

 論理的整頓とは、歴史的対象に対して、人間の認識を経由して、人間の論理で整理され表現されているという関係にある、
ということだろうと思う。

 例えば、
 本体的整頓とは、モノ的に関係する世界、やわらかい地面を歩けば足跡が残る、というような世界、
 論理的整頓とは、人が歩いているのを見て、誰それが歩いていた、と証言する世界。)


これがなぜ史料の実際の分類にあたって困難を生ずるのか、他なし(私注:?)、
それは史料の史料として使用される性質と、その物の全体的実際的性質とを混同するからである。

 個々の研究において、一つの材料が史料として使用されるのは、その物の全体的性質の中の一部である。
ここで書物を例にとってみる。
書物はある紙にある内容をある言語および文字で筆記され、または印刷され、ある形式に製本されたものである。
それが書物の全体的性質である。

 そして一つの歴史的研究において、その書物の内容が史料として使用されるとする。
その時史料であるものはただその内容だけであり、決して実際的存在としての書物そのものではない。
すなわち、紙、言語、文字、印刷術、製本の技術等は、史料ではない。

 にもかかわらず、他の種類の歴史的研究においては、それらの方面が、始めから史料として使用される。

 すなわち、一つの実際的存在である書物は、ある場合にはその内容が史料であり、
他の場合には、その書物の属性の、他のある物が、史料である。

 内容が史料となる時、それは研究の対象と論理的整頓において結合するゆえに、「報告証明」ないし「証言的史料」である。

 しかしながら、紙、言葉、文字、製本技術等が史料とされる時は、
それらは研究の対象とただ本体的整頓において結合するものであるがゆえに、「遺物」ないし「物的史料」である。

 これはきわめてわかりやすい例を挙げたのだが、この関係が、史料の分類の場合において、注意されなければならない。
実際、史料として使用されるものの史料的性質は、必ずしも単一ではない。
ある時は証言的に、ある時は遺物的に用いられる。
それゆえに、書簡、公文書、碑銘というような外形的な性質によって区別されている事物に、
史料として使用される要素の方法的分類を、簡単にあてはめる事に、無理があるのである。

「遺物」と「証言」というような分類は、史料の実物を分ける原理ではなく、
適切には、史料のもつ性質、それに基づく、(私注:研究者の側の)その取り扱いの態度を分ける原理である。

 言うまでもなく、ある史料は、ただ単に「遺物」たるのみという性質のものがある。
多くの考古学的遺物、言語、風俗、習慣、法律、制度等のようなものがそれである。
しかし「証言的史料」とされるものは、それと兼ねて、いずれも遺物としての性質をもつと言えるのである。

 古く史学雑誌に「『太平記』は史学に益なし」という論文が出たことがある。
これはこの問題に関係がある。『太平記』が史学に益なしというのは、
その記述している事実に誤謬が多く、到底信用し難いというのである。
しかしそれは、その記事を事実の報告として見た、すなわち、ただ「証言的史料」として見た場合について、言っているのみである。

 もしこの書の文章をこの時代の文学的遺物として見、またその中に出てくる、
物質的・精神的・社会的等の、生活の素材的事項に着眼するならば、
その中から無限に史料的要素を探し出すことができるであろう。
すなわち、『太平記』は十分に遺物的史料として使用できるのである。
その点、『源氏物語』を、史料として平安朝の研究に利用するのと同様である。

 すなわち、『太平記』なる歴史的記録を、ただ単に証言的史料として見る、ということが不合理なのである。
所詮、個々の史料を実物そのままで遺物または伝承等と分類できないのである。
それは具体的に史料の実物を分類するものではなく、方法的に史料の性質を分類するものなのである。
そしてこのように見る時、この分類に伴う困難は解消するのである。

 一つの史料は遺物的に用いられる限りにおいて「遺物」であり、
証言的に用いられる限りにおいて「証言」である。
「遺物」であったり、「証言」であったりするのは、
決してそのものの固有の性質ではない。

 「遺物」は沈黙しているものであり、歴史的対象に対して、何等の報告証言をなさない。
研究者は、悟性によって、その中に含まれている歴史的対象をつかみ出さなければならない。
しかし史料としては、絶対的完全性を持っている。
ただこれが、正しく解釈され、使用されることが要求される。

(私注:たとえば、後の5総合に出てくる「へこみ石」を例にするなら、
一般の人の目の前にあっても、ただの石とどのように違うのか、さっぱりわからない。
昔の人が火起こしに使ったんだと説明されて、初めて普通の石でないことがわかる。

 石の存在は、残存という点では「絶対的」である。
しかし、水力などによる自然変化なのか、人力によるものなのか、人間の生活にどう関係したのか、
という点では、多くの用例と痕跡が確認されるまでは、ただの石にしか見えない。
そして歴史的に意味があるのは、火起こしという、人間の活動の方である。)

 これに反して、「証言」は人の悟性によって把握構成され、言語文字等に表現されたものであり、
主観的要素を持ち、誤謬または虚構による変形の存在が予想され、その証拠力は不完全的相対的である。

 ラングロアおよびセーニョボスは、史料の提供するものを「概念」「証言」とに区別した。
前者は、ある事実を史料そのものが明示しているところのものであり、
後者は史料の証言しているところのものであり、
そして後者は、事実を十分完全に立証するものではないとしている。
この区分は、「遺物」と「報告ないし証言」とが提供するものの、差であると言えるのである。(下線、私)

(p30)
 ベルンハイムは史学入門()の方では、「伝承ないし報告」と「遺物」との他に、さらに「直接の観察および思い出」()の種類を設けている。
これに対しフェーダーは「直接の知覚」は本格的な史料ではない。
そのわけは、史料は万人が認識し得るものであるのに、
直接の知覚は事件に対し、ただ極めて少数の人のみの認識方法となるのみであり、
またそれが表現によって他人に伝えられて、初めて本式の史料を構成するに至るからであるとしている()。
 
 「直接の観察ないし思い出」は、いわゆる一般の史料と性質を異にし、厳密な意味では史料とは言えないであろう。
しかし歴史の研究者がたまたまその研究の対象である事項に参加し、もしくはそれにある関係を持っている時、
その体験をもって史料を補い、その事項を記述する事がある。
その時、その研究者の体験そのものは、いわゆる史料と同じ働きをするのである。
すなわち、歴史認識の基礎的素材として役立っているのである。
従って、極めて特殊のものながら、これを一種の史料としても、差し支えないであろう。

 それでは、これはまったく別個の性質のものと、するべきだろうか。

 まず「直接の観察および思い出」という表現について考えてみる。
これはこの場合決して当を得た表現ではない。
なぜなら、「直接の観察」そのものは、決して史料とならず、ただ「思い出」だけが史料となるのである。
直接の観察は、それが感覚から消えうせる瞬間に、永久になくなるのである。
たとえ事件の直後にあっても、その事の認識はすでに記憶によって再構成されたものである。
すなわち、ただ「思い出」に他ならないのである。ただ「思い出」に時間の遅速の差があるのみである。

 そして「思い出」なるものは、かつて自分の悟性を通して認識した事柄を、再構成したものである。
そして「思い出」なるものの、史料的形式とその対象とは、論理的整頓において結合している。
それゆえにこれは、本質的には一般の証言的史料と同じ性質のものであり、
その特殊な変形と見るべきものであり、それが言語ないし文字に表現されれば、
直ちに一般の証言的、報告的史料となるのである。

 従って「思い出」は、史料的性質において見る時、一般証言史料の持つ、主観性不完全性をもつのである。
これを遺物および報告と並立せしめる分類は、史料の方法的性質による分類の原理に、
その外形的性質による分類を交えたことになり、決して当を得たものとは言えないであろう。

 方法的性質によって史料を分類することは、実際において、個々の史料の性質を吟味し、
それを鋭く利用することに意義がある。
しかし具象的な史料の実物を、一般的に分類する上で困難があることは、上述の通りである。

 だがその分類の原理を、ある程度まで実物の分類に加味することは、不可能ではない。
諸家の試みている分類はすなわちそれであり、それは史料を具体的に収集し、整理する上で、
実際的に役立つのである。

 もとより、史料の収集・整理・保存は、多くの物理的約束の制限を受けるために、
大いに史料の外形的性質に支配されざるを得ないが、
その際にも、なお方法的分類が応用される余地はあるべきである。
図書館、博物館、美術館、古文書館等は、歴史学の立場からいえば、史料の整理・保存の場所であるが、
それらの中に、方法的分類の精神を取り入れる範囲があるであろう。

 近代の歴史学の発達は、史料の新分野を開拓して、それを組織的に収集することが、その基礎であった。
独仏英三国を例に取れば、
特に史料として最も重要である古文書古記録だけについて見ても、
有名なドイツ歴史記念()が1826年に出始め、ドイツの国史研究に大なる貢献をなした。
フランスの史料集()が1835年以来、イギリスの史料集()すなわちいわゆる()が1858年以来出たほか、
種々の種類の、史料の大規模な収集整理出版があった。

 その他の諸国でも、それぞれ自国の史料の収集出版に努力している。
古代歴史は()等ギリシャ、ローマの史料として、新しく開拓された金石文収集の事業が起こされ、
古代史研究の大なる基礎なった。
わが国でも大日本史料編纂の着手が、国史の研究に新生面を開いた事は、顕著な事実である。
そして現在、わが国において、歴史学のためにすこぶる望ましい事は、
古文書館および充実した歴史博物館の設立である。(p34)