現代文・今井登志喜『歴史学研究法』全文(著作権切れ・絶版本・東大出版連絡済)

                   無限翆翔 (高校生以上の一般向け企画として、出版社に持ち込みたい意図を持つものです。)
                               
        ○遅塚 忠躬著『史学概論』東大出版の疑問         ○林・遅塚『史学概論』と自然科学

                                  ○事実誤認・曲解・風説流布によって甚大な被害を被った者としても、
                                      「史料批判」を、すべての人の常識にしたいと願っている。(「人つぶし教師」


      
(細かい点についてはまだ見直していく予定ですが、一応全体ができあがっています。商業利用しないでください)
作業中(岩波文庫『歴史とは何ぞや』ベルンハイム著を見ていたら、これはまだ言葉に注意する必要ありと認め)

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今井登志喜『歴史学研究法』東大出版・全文

目次

 (このページ)
1、序説 (このページ)
2、歴史学を補助する学科 (このページ)
3、史料学
4、史料批判

   (1)外的批判(真純性の批判・来歴批判・本原性の批判)
   (2)内的批判(可信性の批判・史料の価値の区別)
  
5、総合
6、方法的作業の一例(天文年間塩尻峠の合戦)(その1) 
                              (その2)           
                               (その3)
                               (その4)

                 
         旧字体を新字体に直し、文語調を口語調に直し、長い文を分け、易しい語句に直し、改行を増やした。
        理解の便宜を図るために、「」・太字化なども施してある。
        ()は、原書にドイツ語がある部分。
        (現在「陳述」を「証言」に訂正してあるが、「発言」に訂正しようかと思案中)



 私は、昭和10年に、岩波講座日本歴史に、歴史学研究法という一編を加えておいた。
それはもとより小編ということもあって、
ドイツのゲッシェンの叢書の、
ベルンハイムの歴史の研究法などに、若干通うところがあるようなものを、
と、想定したものだった。
そしてこれをもとにして、他日、修正する時があることを期待していた。

 しかし今、私の健康は、その仕事に堪えなくなった。
東京大学出版会はそれを遺憾とし、せめて講座の時の形のまま、出版させて欲しいと希望してきた。
私は前から、講座の時のものに若干の正誤補正を加える必要を感じていたので、
これを機として、岩波書店の了解を得て、是非加えたい正誤と補正を施すことにした。
そして、東京大学出版会の要求に、従うことにした。本書が世に出るに至ったのは、右の次第である。

 本書に、研究法上の述語などに、講座の時からドイツ語を並記しておいたのは、
研究法なるものが、ドロイゼンを始めとして、ドイツ人の工夫したところの多いものであり、
その原語を添えておく方が、いっそう理解に便利であろうと、考えたからである。

 岩波講座から本書となるについては、
岩波書店の布川角左衛門さん、堀江鈴子さんの好意による所が大きかったことを付記して、
ここに謝意を表しておきたいと思う。

昭和24年4月
                        今井登志喜

1、 序説
 19世紀以来、歴史学は著しい発達を遂げて、まったく一つの科学となった。
それにともなって、歴史の方法論()、すなわち歴史学研究法なるものが、精密に考慮されるようになった。 

もとより歴史の研究は古代からあり、すでにその時代から歴史の表現に関する書物が出ている。
さらに文芸復興期以後、歴史学がようやく進歩するにいたって、歴史の方法論に関する著述も、次第にあらわれた。
しかしそれが十分に組み立てられるにいたったのは、19世紀の後半以後である。

 そして、歴史学研究法が成立してから歴史学が発達したのではなく、
かえって優れた業績を残したニーブール()、ランケ()以下、多くの史家が実際におこなった研究の方法を、
統一的・組織的に考察して組み立てられたのが、いわゆる歴史学研究法である。

 つまり、歴史学研究法の成立は、歴史学の発達の原因ではなく、むしろその結果であると言えるのである。

 歴史学は、その論理的性質において他の科学と異なっている。
しかし、ひとしく経験科学の一つであり、その真理認識の論理的方法は、本質において全く他の経験科学と同様である。
したがって歴史研究法は、本質において、一般科学の研究法以外のものではない。

 しかしこれが特に考察され、叙述される所以は、
歴史の研究が実際において複雑であり、多岐であり、
したがって、研究の方法に対する基礎的知識を全体的に把握してかかるのが、
初学者にとって、すこぶる便利であるからである。

 多くの先人の取った実際的方法は、非常に多くの述作の中に含まれていて、
簡単にそれを把握し、吟味することはできない。
研究法として組み立てられたものは、それらを統一整理したものであるが故に、
研究者の基礎的知識となって、実際の研究を指導する性質を持つのである。

 しかしそれは、いわば実際の研究の抽象化であり、したがってそれを十分に会得するのには、
やはり多くの研究者の実際の仕事について学び、また自己の経験鍛錬によらなければならない。

 19世紀以来、歴史学の方法論に関する書物が多く世に現われ、その中には

()1837
()ドロイゼン、1867
()フリードマン、1886
のような著名な歴史家の著述があり、ことにドロイゼンの書は、極めて短いながら、すこぶる注意すべきものである。
しかしそれらは大体、部分的、断片的なものであった。それらを集成統一した全体的、組織的な大著は

()ベルンハイム、1889
であり、歴史学研究法の書物として、画期的なものとなった。
ベルンハイムは新版においてさらにそれを増補し、またそれを要約して、
()1905(邦訳、歴史とは何ぞや、岩波書店)を出した。ベルンハイムの書についでフランスで

()セグノーボス1893
が出たが、これは平易で実際的な点を特色とし、ベルンハイムの書と並び称される。
英国のベリーはこの書の実際的な特色を推賞して、()の名で英訳している。
これらの後、研究法に関する書物の中で世に出たものが少なくないが、その中で、

()フェーダー、1921
()バウアー、1921
などは、研究法全体を概説した便利な書である。(いずれも新版がある)

 邦文の書物では、坪井九馬三博士の「史学研究法」は大体ベルンハイムに基づいたことが認められるが、
まったくそれを消化し切って、引例を多く国史に求め、なんら翻訳的色彩をとどめない好著である。
また黒板勝美博士の「国史の研究」の総論は、最も適切な国史の研究法といえる。
その他、大類伸博士の「国史研究法」「史学概論」、野々村戒三氏の「史学概論」等、
いずれもこの方面の、便利な述作である。

 歴史学の研究法は、本質的には一般科学の研究であり、従ってその推理の形式も同様であり、
ただ歴史学という特殊な形式の科学への応用に他ならない。

 しかし歴史学は、その認識の対象において、またその研究の基礎となる材料の広範さにおいて、その特殊性が甚だ著しい。
そのために、その研究法は、事実において、すこぶる独特の形を持っている。
そしてその部分的な点については、各人の工夫ないし見解が、決して同一でないのであるが、
しかしその大体の構造については、著しい共通点が認められる。
それは大体ドロイゼンが提起し、ベルンハイムが拡張した輪郭に基づくといえるのである。

 本書においては、極めて限られた紙数をもって、歴史の研究法の一通りの叙述が要求されているために、
多くの方法論の書物に扱われている、最も主要な題目と認められるものについて、
極めて概括的に、その大体の要領を記述することとする。詳細は前述のような文献を参照し、
また多くの歴史学上の述作について、咀嚼玩味することを希望する。


2歴史学を補助する学科
 学問は一つの有機体のようなものであって、全体が内的な関連を持っていると言えるのである。
古代ギリシャにおいて、哲学の語は一切の学問的知識を包含した。これが学問の本来の理想であるべきである。
しかし人間の能力には限りがあるから、文化が進むに従って、学問の分業が起こった。
すなわち、研究の対象の相違により、また、認識の形式の方法的相違によって、諸種の科学が成立した。
しかし、諸科学の分かれは、決して絶対的ではなく、むしろ便宜的なものであり、
常に相互に補助し、提携して進歩するものであることは言うまでもない。

 歴史学は、人間の過去の社会的生活の変遷を研究する学問である。
しかし人間の社会的生活は極めて複雑なものであり、従ってその研究の基礎となる材料が無限に広く、
またその考察する事項がすこぶる多方面であるために、歴史学は他の諸種の科学と非常に多くの関係を持つのである。

 いま歴史学と他の科学との関係を考えてみる。
まず他の科学を主体として考えれば、諸科学の中には、歴史学の援助なくしては到底十分その職能を尽くし得ないものがある。
自然科学の中にさえ、時に歴史学の援助を受けるものが認められるのであるが、
ことにいわゆる精神科学、人文科学または社会科学等と命名される学問の方面にあっては、
歴史学の援助にまつ所甚大なものが多い。
社会学、経済学、政治学、法律学、人文地理学、民族学等は、
歴史学を離れては、まったく不完全なものとならざるを得ないであろう。

 次に歴史学を主体として考えれば、歴史の取り扱う項目の中には、
その研究が各科学の予備知識の上に立脚しているものが少なくない。
例えば経済史は経済学を、法制史は法律学を、各自然科学史は各自然科学を、各種の技術史は各技術学を、
基礎知識として要求するのである。

 一見歴史学と縁遠いように見える科学であっても、それ自身の学問史の場合のほかに、
時としてすこぶる重要な援助を、歴史学に提供することがあり得る。
たとえば医学のように、ある時の疫病がいかなる種類の伝染病であったか、
また、歴史上重要なある人物の死が自然でなく、従ってその間、なんらかの注意に価する関係が伏在しなかったか、
等の疑問を解決するに当たって、非常に重要なものとなるのである。

 要するに歴史学のような広範な範囲に関係する性質の学問にあっては、
一切の科学から何らかの寄与を期待しうる可能性を持つと言えるのである。
かのフリーマンが歴史家は理想としては哲学、法律、財政、民族学、地理学、人類学、自然科学等の、
すべてを知っているべきであると言っているのは、
歴史学に対する他の学問の関係を言い表したものと見る時に、すこぶる意義がある。

 多くの研究法に関する書物では、特に歴史学を補助する学科として、歴史学の補助学科なるものを論じている。
例えばベルンハイムは補助学科として、
言語学()、古書学()、古文書学()、印章学()、古泉学()、系譜学()、年代学()、地理学()等を説明している。
なおこの類のものとして多くの書物に挙げられるものは、金石文学()、紋章学()、考古学、歴史地理学等である。
ベルンハイムは、補助学科とは特に史料研究に役立つものとし、
いわば研究の日常に必要であり、そのために特に欠くべからざるものである()と、説明している。

 しかし上の説明はすこぶる不十分である。それはラングロアの指摘するように、いわゆる補助学科が、
常に一般的に歴史の研究に役立つのではない。
研究する項目によって特にある種の補助学科は必要であるが、
他の補助学科はまったく不必要であるのは、常に見るところである。
もとより古文書学のように、すこぶる多くの場合に必要な知識もあるが、
紋章学、古泉学のようなものは、その必要はむしろ稀な場合である。
そしてある場合について必要であるという点においては、上に挙げた種類の学科のみに限らず、
他の多くの学科がまた同様である。従って日常の必要いかんは補助学科と他の学科とを区別する基準にはならない。

 フェーダーは補助学科を実質的補助学科()と機械的補助学科()に分け、
前者に哲学、人類学、社会学、統計学、法律学、言語学、地理学等をかぞえ、
さきに列挙した多くの種類を後者にかぞえている。
すなわち第一の種類はそれぞれ独立的な科学であり、
第二の種類はおもに史料の取り扱いに必要な技術的知識である。

 歴史学の補助学科といえば、いやしくも歴史の研究に役立つ一切の知識が、その役立つ時において補助学科であり、
各研究項目には各自異なった補助学科が予想され、
研究者は各自の研究題目に従って、それぞれの補助学科的知識を必要とする。

 そして言語の知識、古文書学、古書学、印章学、紋章学、古泉学、金石文学、系譜学、年代学、考古学等の種類が、
慣習的に第一に補助学科としてかぞえられるのであるが、これらが皆必ずしも、もっとも多く補助学科となるのではない。

 ただこれらの知識は歴史学に対して、特殊な共通の性質をもっている。
それはこれらがまったく歴史研究に従属的な存在であるか、
または歴史認識的要素を持ち、いずれも技術的性質を多量にもち、そして直接歴史そのものの研究よりも、
その材料たる史料と関係が深く、その対象の選択が多くは任意的便宜的である点である。

 すなわちこれらは大多数独立的でなく、歴史学に従属的であるか、
もしくは歴史学に交渉してはじめて十分な意義を発揮するものであり、
歴史学に対して派生的断片的で、その作業は歴史学的である。
これらは本質的に歴史学の補助学的性質をもって存在するものであるために、
その意味においてもっとも厳密な補助学科というべく、
また一方いずれも史料の取り扱いに関して、重要な補助的知識を提供するものである点から、
適当には史料学の補助学科と呼ぶべきである。

 本質的な狭義の補助学科すなわち史料学の補助学科に対して、
多くの科学は歴史学の広義の補助学科と見なしうるであろう。
近代の歴史学の発達が、直接間接に他の科学の進歩に負うところが大きいことは言をまたない。

 顕微鏡によって遺物の真偽を鑑定し、またその性質を吟味するような場合、
青銅のような合金の要素を分析して、文化の系統を論証するような場合、
天文学によって古代の事件の日時を断定するような場合、
地質学によって土地の源泉を推断するような場合など、
昔の歴史学は、夢想も及ばなかったことである。

 多くの科学は間接にはその方法学によって歴史学に影響し、
直接にはそれぞれの分野における学的成果において、歴史学の発達に資し来り、またますます資しつつあるのである。

 ことにその点は、歴史学の補助学科たりうる場合の多い学科において顕著である。
たとえば考古学の発達はエジプト学()、アッシリア学()等の特殊な研究対象を成立させ、
それによって世界の古代史の面目を一新させた。
わが国の古代史のようなものも、近時考古学的研究の進歩から、決定的な影響を受けたことは否定できないであろう。

 歴史学の研究者は、それぞれの研究項目において、史料の利用に関し、またその研究そのものに関し、
基礎的知識として必要な補助学科に通暁すればするだけ、その研究に対する有力な武器をもつことになるのである。
これに反し、ある題目にとって、特に必要な補助学科の用意を欠く研究は、
究極、ついにディレッタンティズム(好事・道楽)の範囲を脱し得ないであろう。