現代文・今井登志喜『歴史学研究法』 4の1 (外的批判)
4、史料批判
目次・序1・2へ 3へ 次・4の2内的批判へ トップへ戻る
「史料学」は、与えられたテーマに対し、史料をできる限り十分に収集する方法を示す。
これに対し、「史料批判」は、その収集された多くの史料が、
「はたして証拠物件として役立つかどうか、また、もし役立つとしても、はたしていかなる程度に役立つか」、
を考察することである。
これは大体、前から用いられてきた「考証」という言葉に当たるが、
Kritikという鋭い原語を生かして、この訳語を用いることにする。
ベルンハイムも、ラングロアおよびセーニョボスと共に、方法的根拠から批判を分けて、
内的批判および外的批判とする。それはその以後の著者にも踏襲されている。
もっとも、それらの作業の包含する範囲は、必ずしも一致しない。
例えばベルンハイムは史料の解釈()を批判の後に置くが、
ラングロア、セーニョボスは解釈を内的批判の最初に置き、
フェーダーは、新版において、これを両批判の中間に独立させている。
言うまでもなく、史料の解釈は、実際的にはその収集の時から行われ、
批判の作業はこれなしでは不可能であり、さらに総合において、その十分の解釈が要求される。
これをどこに置くかは、必ずしも、こだわる必要はないであろう。
[一]外的批判
外的批判は、史料の外的性質ないし価値を吟味する作業であって、その主要なものは次の吟味である。
(1)真偽の検討(批判)()
(原文では「真純性の批判」であるが、これではどうしてもパッとひらめかない。
苦慮の挙句の選択である。)
史料として提供されるものは、しばしば、全部もしくは一部が真実のものでなく、
あるいはまた、従来承認されていたものでないことがある。
すなわち研究法で、@「偽作」()およびA「錯誤」()または「誤認」()と呼ばれるものが多い事を注意しなければならない。
「偽作」(贋造)のできる動機はいろいろかぞえられる。
すなわち好古癖、好奇心、愛郷心、虚栄心等に基づく動機、宗教的動機等が挙げられるが、
とりわけ利益、殊に商業的利益の目的を動機としたものが、最も多いのである。
そしてこれらの動機に基づく偽作は、ほとんどすべての種類の史料に行き渡っている。
いま、その特に著しいものを挙げれば、
遺跡 各地の旧蹟と称するものの中に、後世の偽作がすこぶる多い。
特に著しいのは、宗教に関係ある霊蹟である。
パレスチナ地方の聖地()といわれるものが、
近代の研究家によって、その根拠のない事が示されているようなのは、その一例である。
芸術品・工芸品 これらは、好古癖および芸術的愛玩の目的物となるために、
商業的利益をねらって、最も多く、偽作の行われる種類である。
古文書 これもまた偽作がすこぶる多いものである。
すなわち西洋の方では、領地等の権利を安定堅固にするため、中世時代に多く偽文書が作られた。
そのほか自己の家格をよくするための虚栄心から来る偽文書がある。
わが国でも戦の感状などの種類が偽造されている。
なお西洋の方では、教会に偽文書が多くある。
ローマ法王に関する著名な偽イシドールス法令集というようなものは、偽文書としてよく挙げられるものである。
系図 東西とも、古くから贋系図が多数ある。
これはそれによって家格を誇ろうとする心理から来るのであるが、
また古い頃の諸侯武士等は、自家に由緒をつける政治上の必要もあった。
英国中世の記録として名高いアングロサクソン年代記()を見れば、
英国のいわゆる七王国()の諸王家は、ことごとくウォーダン()の神の後裔になっており、
はなはだしいのは、ウォーダンからさらにアダム、イヴまでさかのぼっているのがある。
わが国の系図は、多数いわゆる源平藤橘であり、偽作が過半であることは言うまでもない。
逸話・噂話 これらは本来、無責任な捏造が甚だ多い性質のものである。
個人の逸話と言われるようなものは、真実を伝えている場合は、むしろ少ない。
これらと同じような口伝的性質を持っている伝説は、さらに芸術的要素が多く、小説であって、容易に信用し難い。
その他金石文のにせものがあり、偽書、偽記録があり、偽作の種類はすこぶる夥しいのである。
つぎに、「錯誤または誤認」は、偽作のように故意に捏造されたのではなく、
何かの理由から誤謬が起こり、その史料が異なった時代または人物に付会され、あるいはそれに誤った説明が加えられ、
それが踏襲されて史料の事実性()が損なわれているものである。
このようなことが起こる経緯には、次のような種類が挙げられる。
すなわち軽信によって起こったもの、不注意から来たもの、独断によって誤られたもの、批判的誤りから生じたもの等である。
遺物的史料はそれ自身が沈黙しているために、その性質が誤って説明されやすく、
「誤認」に陥る機会が甚だ多い。
また神話ないし伝説()の性質をもつ物語が歴史事実と誤られて「誤認」が起こっている事は、
諸国の古代史において多く見るところである。
「偽作」あるいは「錯誤」が、全部でなく部分的である時が、いわゆる「混入」()である。
すなわち、全体としては本物であるが、一部分に不純物が混入している場合である。
多くの史料、殊に文書記録等において、偽作の意志から混入が行われている場合が、少なくない。
それらはやはり、全体的な偽作と同じような動機から来るのである。
しかし「混入」は、最も多くは誤謬から起こるのである。
建物・彫刻等の遺物において、後世改築されて、ある部分だけ新しくなっているものが、
他の、もとからの部分と同時代のもの、と誤られているような場合である。
殊に書物は、原本の残ることはほとんど少なく、普通に幾度か転写を経たものである。
その転写の歳に「混入」が起こる。
それは始め、誰かが付加を加えたり、注釈として書き入れたものが、転写によって混入したり、
原文の難解な部分を平易に書き改めたりする、等によって生ずるのである。
「真偽の検討」は、この「偽作」あるいは「錯誤」の有無を吟味することである。
「偽作」に対して、ベルンハイムは次の吟味の箇条を挙げているが、これは適当なものとされるであろう。
〈1〉その史料の形式が、他の正しい史料の形式と一致するか。
古文書において、紙・墨色・書風・筆意・文章形式・言葉・印章等を吟味するようなのが、これである。
遺物の偽作のようなものは、多くは専らこの吟味によるのである。
〈2〉その史料の内容が、他の正しい史料と一致して、矛盾しないか。
内藤清成の家臣某の著と言われる天正日記の記事が、家忠日記に符号しないことをもって、
それが偽書であることの一つの理由とされるようなのが、これである。(田中義成『豊臣時代史』参照)
〈3〉その史料の形式や内容が、それに関係する事に、発展的に連絡し、その性質に適合し、蓋然性()を持つか。
〈4〉その史料自体に、何も作為の痕跡が認められないか。しかし、その作為の痕跡の吟味として、次のことが挙げられている。
@ 満足な説明がないまま遅れて世に出た、というように、その史料の発見等に、珍妙(私注:原文のママ)で不審な点はないか。
先の天正日記が近代になって出てきたようなのは、この条項に関係する。
A その作者が見るはずのない、またはその当時存在しなかった、他の史料の模倣や利用が証明されないか。
B 古めかしく見せる細工からきた、その時代の様式に合わない、時代錯誤はないか。
C その史料そのものの性質や目的にはない種類の、偽作の動機から来たと見られる傾向はないか()。
このほか、偽作がその内容の種本にした史料との比較によって、明らかに偽作とわかったりするように
(例、田中義成『北条氏康の武蔵野紀行の真偽に就いて』歴史地理第一巻第四号)、
偽作の発見の手がかりとなる、種々の場合があるであろう。
「錯誤」についても、上の原則のあるものが適用できるであろう。
「混入」の吟味の基礎は精細な比較研究である。
特に記録における混入の疑いがある場合について、ベルンハイムは、吟味の方法として、次の数項を挙げている。
〈1〉手筆の原本が存在する時は、そのなかに、他の部分の文字と比較して、
後に他人が前の字を消してその上に、または他の方法で、加筆の行われた事が認められるかを見る。
〈2〉 写本のみの時は、そのうちなお、まだ混入の行われていない古い良い写本を求めてみる。
〈3〉 上の事の不可能な時、混入の疑いのある部分の言葉や文体が、
他の部分のそれと比較して異なっていないか、他の部分との連絡に無理がないか、
他の部分の自然な意味や構造を妨げ、不自然に見えないかを調べる。
〈4〉 内容を比較して、その箇所が他の部分と調和して矛盾しないか、
それと異質的な傾向が見えないか、「混入」の誘因が見出されないかを調べる。
「混入」に近似したものに「変形」()がある。
混入もこの一種と言えるのであるが、史料が時間を経過する間にその原形を損ね、
種々の変化を来たしていることを指すのである。
フェーダーはこの吟味をさして、「原形の批判」()と呼んでいる。
建造物・美術品等の有形の遺物は、必然的に時の破壊作用によって変形を来たす。
口碑伝説のようなものも、長い間には変形する。
殊に書物は、何回かの転写の際の誤写、脱漏、省略、修正、種々の混入により、
また錯簡(順序間違い)の起こる事等によって、変形が多く起こるのである。
「原形の批判」は、できる限り変形を除去して、その原形を復元することである。
書物等の原形を復元するために取る最も普通の手段は、比較研究である。
すなわち異本を多く求め、それによって変形を正すのである。
『更科日記』の古い写本が近時発見され、それによって、従来の流布本に錯簡があったことが明瞭になった、
というようなことは、この適例である。
(2)発生の検討(批判)()
**(私注:原書では「来歴批判」である。これも悩ましい言葉である。
原書付記()のドイツ語を辞書で引けば「起源・発生」である。
日本語で「来歴」と言えば、「最初に誰が持っていたのを、誰の手を経て、どのようにして、現在の所在に来たか」、
という考証だと思ってしまう)
実際(1)の「真偽の検討」において、この日本語で言う「来歴(由来)」考証が必要となることも多い。
どの段階でニセモノが入ってきたのかを考える時に、必要になるのだ。
したがって、来歴批判とは、現在の所在に至る、経歴由来の考証だと考える人が多い。
では「来歴批判」の意味は、この経歴由来を考えること、でいいのかと言うと、そうはいかない。
以下に説明するような、起源・発生についての検討の意味で使っている場面を見たこともあるのだ。
今井氏は、昭和10年と言う厳しい状況の中で、かすかに意味が汲めないこともない、
という、微妙でまぎらわしい用語をたくさん選択したと思われる。これらを伏字のようなものと思って読むと、納得がいく。
しかしこの本は、日本の実証史学では、数少ない簡便で教科書的な本だった。
「来歴批判」という言葉で史料の「起源・発生」を論じた方もおられるようである。
そして、「経歴由来」用法の立場の人で、それを読んで、
「経歴由来」ではなく「起源・発生」を論じているということに、気づかない人も多い。
この「起源・発生」の場面での「来歴」という言葉が、いつ、どこから発生したかについては、
私にはまだわからないが、とりあえず「発生」にしておくことにする。)**
「発生」とは、その史料の作られた時、場所および人間の関係を指し、これを吟味することが「発生の検討」である。
近時の史料には、書物・文書はもとより、建築物、器物等さえそれらが明言されていて、多くはこの批判の必要がない。
古いものにも、公私の古文書にはこれらが記されていることも少なくない。
しかしその一方で、発生が不明である史料は非常に多いのである。
古い時代には文学的作品等にその作者および著作の日時を記してないことが多い。
わが国の物語類等はこの類である。
また公私の記録文書、殊に原本がなく写しのみの場合、
例えば人々の書簡集のような類のものには、これらが欠け、または不十分なことが多くある。
考古学的遺物のようなものは、大多数その起源が不明である。
日時を明らかにすることは次の意味において重要である。
すなわち、第一に、史料を事件の推移の順序に配列して、初めてその事の経過を知ることができるのである。
文化史的研究においても、史料の時間的関係が基礎となって、文化の各方面の発展がたどれるのである。
第二に、史料の証拠価値は、それと歴史的対象との間の時間的距離に関係があり、
その関係が不明であっては、その価値を判定するのに、十分な標準を欠くことになる。
史料の場所的関係についても、これとほぼ同様のことが言えるのである。
また証言的史料について、その作者の地位、性格、職業、系統等が明らかにされれば、
それが、その史料の信頼性等を判断する根拠となって、その証言を適切に利用するのに都合がよくなる。
名が不明でも、せめていかなる人々であるかを知ることが重要である。
史料の日時を考察するには、外的および内的の、両種の吟味を行う。
外的な吟味とは
〈1〉 ある日時の明らかな史料の事が、その史料の中に出て来ることによる。
〈2〉 ある日時の明らかな史料の中に、その史料の事が出て来ることによる。
〈3〉 共在する他の時間的関係の知られている史料から判断する。考古学的遺物等において、この方法の適用の範囲はすこぶる広い。
〈4〉 時として、技術的関係からの判断による。たとえば手紙に日付がなくとも、その到着した時がわかっている場合などはそれである。
〈5〉 それが時間の知られている史料の断片であることの考証による。
などを指すのである。
内的な吟味とは
〈1〉 比較研究を行う。すでに日時の明らかにされている他の史料と外形的特徴、たとえば様式・材料・技術等を比較するのである。
考古学的遺物の「時」の決定は、多くの場合これが適用される。
〈2〉 文献的な史料等では、特に言葉、スタイル等がおおいに標準となる。
文語体でも、時々何か時代を暴露する要素が含まれている。
〈3〉 記録等の場合、その記事の内容に手がかりを求め、それによって判断を加える。
もとより多くの場合、非常に精密な時間的関係を決定することは不可能である。
しかし大体の前後の限度を立てる。
すなわち何時より以後()および何時より以前()を明らかにすることができるだけでも、その史料の利用におおいに役立つのである。
史料の製作された場所の吟味は、次のような条項が着眼される。
〈1〉 発見の場所。古く交通不便、運搬の困難だった時代のものは、発見の場所がただちに製作の場所を示していることが多い。
これに反し、また、その物が移動している場合も少なくない。
芸術品等はすこぶる移動する性質を持っている。
ギリシャの芸術品などは、早くからすでに多数が他の地方に移されていた。
しかしとにかく発見の場所はその吟味の一標準である。
〈2〉 外的形式。すなわちその様式、材料、技術等の比較研究がその決定に役立つことは日時の吟味の場合と同様である。
〈3〉 言葉およびスタイル。これも日時の場合と同様である。ただし文語体の時は、方言の差が出ないことが多いので困難である。
〈4〉 内容。文献的史料では、記事の内容が往々にして、その製作の場所を示している。
たとえば特にある地方の記事が詳細であったために、その書かれた所が知られるようなのは、その適例である。
作者の吟味の方法としては、次のような条項が挙げられる。
〈1〉 外的な吟味
@同じ作者の他の史料の中に、明らかにその史料を記してあることがある。
A同時代の他の史料または後世の史料の中に、その史料の作者が出ていることがある。
B作者の符丁、頭文字、または奉呈の人名等によってその作者が知られることがある、等である。
〈2〉 内的な吟味
@現物があれば、書風を見れば、往々その作者が推定される。ただこの適用の範囲は甚だ狭い。
A言葉およびスタイルによって作者を推定する。
Bその記事の内容に手がかりを求める。
その叙述の中から、作者の人物、地位、系統、利害関係、年齢その他の生活関係を知り得る事があり、
少なくともこれらの一部分が断定できることが少なくない。
例えば貴族か僧侶か商人か等が知られるのである。
またそのものが多くの人の合作である時、その形式・内容が同一でない事等が根拠となって、
発見の手がかりを提供した例は多く挙げられる。
(以上、「起源についての批判」の項は、大体フェーダーの記事を採用した())
(3) 本源性の検討(批判)
史料の利用について特に注意するべきことは本原()史料と借用()史料の区別である。
これは古くは甚だなおざりにされていた事項であるが、
近時に至って、史料の本源性およびそれに関連する従属性()の批判が、史料批判の主題目となった。
二つ以上の史料の間に、時として親近()な関係が存在し、実は一つの種類であることがある。
史料が本原的・独創的なものであるか、または借用的・模倣的なものであるかの吟味が、
「本源性・従属性についての批判」である。
この批判の方法が、いわゆる史料解剖()である。
史料解剖とは、各史料の要素を細かく分解し、一見して親近の疑いがある史料と比較し、
これによってそれらの本源性・従属性を確かめることである。
そして史料解剖の立脚する理論的根拠としてフェーダーの挙げているのは次の条項である。
〈1〉 一つの出来事について、各人の観察把握の範囲および内容は、
すべての個々の事について、特に偶然的な事について、皆一致するということはない。
〈2〉 各人が同じ一つの事象を証言するとき、その表現の形は同一ではない。
〈3〉 すでに他人によって言語的に発表された表象内容に一致する証言は、
少なくともその付帯事項の一致により、また、しばしば誤解のある点により、その従属性を暴露する。
〈4〉 二個以上の報告が、同じ内容を同じ形式で述べる時、それらの史料には親近関係が存在する。
二つの史料が、その形式も内容も著しく一致している時、それらに親近関係があることは、もとより疑いない。
形式が異なっても、内容がよく一致しているので親近感系を証明することがある。
形式は一致しているが、内容の一致が疑わしい時、偶然の重要でない個々の事項が一致し、親近関係が示されることがある。
もし甲と乙の二史料に親近関係が存在し、一方が他方の元であるべき時は、
甲が乙から出たか、乙が甲から出たか、の二つの可能性があるのみである。
その際、いずれを本原的であるとするべきか、それについては
@両者の時間の前後関係がわかるかを吟味する。それがわかれば簡単である。
A一方にだけ適合する性質を、他方がただ盲目的に踏襲した形跡がないかを見る。
Bどちらかに誤解不都合が起こっていることが認められないかを吟味する。
Cどちらかに内容的な付加または削除の痕跡がないかを吟味する。
D一方が他方の表現形式を改め、または内容を整頓改正したなどの点がないかを注意する。
などによって判断するのである。これが本源性についての批判である。
この種の批判のいい例として、例えば平家物語・源平盛衰記の関係の考証が挙げられるであろう。
(津田左右吉『平家物語と盛衰記との関係について』史学雑誌第26編第7号参照)
親近関係が実際はすこぶる複雑な形をもってあらわれ、
甲乙の史料に直接の親近性がなく、その関係が間接的であることがある。
その時は三つの史料の親近関係の場合となる。
史料甲乙丙について言えば、甲が元となる時、
@甲―乙―丙、A甲―丙―乙、B乙と丙とが共に甲から出ている、
という三つの場合が起こってくる。乙が元となり、また丙が元となる時についても同様である。
親近の史料の数が多くなる程、この関係は複雑になり、その吟味が困難を加えるのである。
時には現物が失われて、借用史料のみが残っていることがある。
その場合、現存の多くの史料に比較研究をくわえて、ある程度まで現物の形を復元することができるのである。
親近関係は多くの史料にわたって存在する。
西洋では特に中世時代に作者が他の材料を著しく借用したことが多く、
時としては一節をそのまま借用することもあった。
わが国でも、鎌倉から室町の時代にかけて、他人の書物の改作の風習があった。
多くの書物の異本ないし類本は、かくして生じたのである。
記録のみでなく、法律制度、風俗習慣、伝説口碑の如きも、一箇所から他方につたわり、親近関係をたどり得ることがある。
この例として、かのバビロニアのハムラビ王の法典ないし楔形文字で記されている神話と、
旧約聖書のモーゼの法律および創世記の伝説との間に、
ある程度の親近性が認められるようなのが挙げられる。
かくて史料の本源性についての批判は、そのまま文化史の研究にも応用の範囲を見出すのである。
親近関係にある史料において、価値があるのは、ただ本源性を持つ史料のみである。
その他は、ただその借用であるために、いかに多数であっても、それは決して証拠力を持つものではない。
ただその本源の史料が既に失われて存在しない時、それを借用した比較的原形に近いものが、
現物を反映するものとして、重んじられるのである。(下線、私)
先に掲げた英国のアングロサクソン年代記では、現存している中世時代の稿本が7種あり、
ABCDEFGと命名されているが、それらについて、
その混入等の批判、起源の批判等に加えて、その本源性の関係がすこぶる精密に考証され、この種の批判の一典型をなしている()。