『相国寺供養記』の海部氏について・『徳島県の歴史』の順序改ざん
小川著『足利』へ戻る 山川『徳島県の歴史』へ戻る 海部氏の中央政界との結びつきへ戻る
『群書類従・第24輯 釈家部』 昭和7年発行、昭和52年訂正3版第3刷、p343より
(p333〜p343の上段13行まで略)
前に相当数の人名が並んでいるのを省略。実は、細川氏に随従する海部氏が出てくるのは、後ろの方。
次管領右京太夫源頼元朝臣。(割注:薄香狩衣。薄色衣。奴袴如恒。馬月毛。) (=細川頼元)
朗等二十三騎召具之。(割注:皆直垂。騎馬)
小笠原備後守成明。(割注:栗毛) (=一宮成明?「小笠原」「一宮」が三好一族につながる名前らしい)
小笠原又太郎頼長。(割注:月毛)
海部三郎経清。(割注:月毛)
由木太郎之春。(割注:鹿毛
柿原下野三郎兼信。(割注:鹿毛)
川村小次郎之秀(割注:栗毛)
十河又四郎兼重(割注:月毛)
安富 物部 那伽 内藤 長
荘駿河 松田 飯尾 佐々木 栗野 三宅
途中から姓のみ。
平成7年版『海南町史』p188では、
管領細川頼元に随従した武士たちのなかに、月毛の馬に乗った海部三郎経清の名が見える。
とあるが、「細川」の名を探すと、このように、わからない。しかし、「源頼元」が細川頼元らしい。
2007年『徳島県の歴史』山川出版社 p95あたりの相国寺供養記による文章は、小笠原・柿原・海部と、
海部氏の順序を格下げしてあり、明らかに改ざんなのである。