「カイフト云者」   続群書類従 補遺 一  『満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)』より       p176


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8月

三日己亥

御所様御院参 還御渡御此坊 一夜御座 御沈酔以外 

翌日少一献在之 廣橋日野中納言等参 

御所様御物語云

去月十九日夜  細河讃州若黨カイフト云者家ニ於て

人ナラハ四五十人勢ニテ 馬屋ヨリコミ入間 若黨出合射之

射ラレテ退間 追懸處ニ 太刀ヲ抜歸合處お重又放箭間

當座ニ射留了

□燃火見之處  大ナル□(とび)ニ箭二筋立テ死云々

希代不思議也云々

此事兼觸聞處 不實由存處 此御物語ニ散不審了

此時同御物語 去月ノ末御所内ヘ鴟入云々
 
廣橋申云  童□□□□□□□云々



               (注)専門の方からの情報です。

                         御所様は足利義持である。
                         「公方様」と表記されることもあれば、「御所様」と表記されることもある。

                         称光天皇は『満済』では「内裏」などと表現される。

***
将軍義持が、満済のところにやってきて、お酒を飲んで一晩泊まり、
翌日また少しお酒が入ったところで、将軍から細川氏の若党「カイフ」の話が出た。

細川氏若党カイフの家で、馬屋から4・50人で押し寄せたかのような騒ぎが起き、若党が行って矢を射かけ、
追いかけて太刀を抜き、また矢を射掛けて、とりあえず仕留めた。

火をともして見たら、トビが矢を二本受けて死んでいた。滅多にない不思議なことだ、云々。

このこと以前から聞こえてきておりますが、実際にはそれほどではなかったと思いますと言ったところ、
この話は終わってしまった。

このとき同じ話。先月末、御所内へ、トビが入りました、云々。広橋が言った。−−−。

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この話のポイントは何か。トビの勢いの尋常でないことか。若党カイフの弓矢の腕前か。トビが家に入ったことか。
あるいは細川氏にカイフという若党がいることか。

いずれにしても、細川もカイフも固有名詞だから、将軍がカイフを知っていた可能性が高いのではないだろうか。