「カイフト云者」 続群書類従 補遺 一 『
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8月
三日己亥
御所様御院参 還御渡御此坊 一夜御座 御沈酔以外
翌日少一献在之 廣橋日野中納言等参
御所様御物語云
去月十九日夜 細河讃州若黨カイフト云者家ニ於て
人ナラハ四五十人勢ニテ 馬屋ヨリコミ入間 若黨出合射之
射ラレテ退間 追懸處ニ 太刀ヲ抜歸合處お重又放箭間
當座ニ射留了
□燃火見之處 大ナル□
希代不思議也云々
此事兼觸聞處 不實由存處 此御物語ニ散不審了
此時同御物語 去月ノ末御所内ヘ鴟入云々
廣橋申云 童□□□□□□□云々
(注)専門の方からの情報です。
御所様は足利義持である。
「公方様」と表記されることもあれば、「御所様」と表記されることもある。
称光天皇は『満済』では「内裏」などと表現される。
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将軍義持が、満済のところにやってきて、お酒を飲んで一晩泊まり、
翌日また少しお酒が入ったところで、将軍から細川氏の若党「カイフ」の話が出た。
細川氏若党カイフの家で、馬屋から4・50人で押し寄せたかのような騒ぎが起き、若党が行って矢を射かけ、
追いかけて太刀を抜き、また矢を射掛けて、とりあえず仕留めた。
火をともして見たら、トビが矢を二本受けて死んでいた。滅多にない不思議なことだ、云々。
このこと以前から聞こえてきておりますが、実際にはそれほどではなかったと思いますと言ったところ、
この話は終わってしまった。
このとき同じ話。先月末、御所内へ、トビが入りました、云々。広橋が言った。−−−。
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この話のポイントは何か。トビの勢いの尋常でないことか。若党カイフの弓矢の腕前か。トビが家に入ったことか。
あるいは細川氏にカイフという若党がいることか。
いずれにしても、細川もカイフも固有名詞だから、将軍がカイフを知っていた可能性が高いのではないだろうか。