南京事件・元兵士の日記はニセモノ

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○井家又一上等兵の日記

秦郁彦著『南京事件』中公新書p131に、
昭和12年の、井家又一上等兵の日記現物写真版で掲載されていますが、

中国製作のニセモノではないでしょうか。

これは南京入場式の前日、12月16日に難民区を掃蕩したという記事です。

〔文字の使用法について、変体仮名の用法を中心に〕

「12月16日」が「拾貳月拾六日」、「(〜して)しまった」が変体がな「志満っ多」。

こんな書き方は、当時、日本国内では、やっていなかったのではないかと思います。

昭和10年版の平凡社『手紙講座』全8巻が手元にあり、著名人?たちの手紙実例を見ることができます。
この講座は、国会図書館にもあります。「志満っ多」はありません。(『手紙講座』実例採録人名リストなど

近代の日記の現物に詳しいわけではありませんが、「かな」の使われ方、「現代ひらがな」の登場に関しては、自分で見てきた経緯があります。

室町・戦国時代や江戸時代などの筆跡実例も見てきました。
江戸時代の出版物である寺子屋教科書の集大成『往来物大系』100巻も、あちこち繰ってみた経験があります。
明治以降の「手紙手本」や「かな手本」(変体仮名です)も手元にあります。

(江戸時代のかな)

(江戸時代の「ふりがな」と現代「ひらがな」のルーツ)

  (上記サイトは、一般人である私が、本に不自由な中で、見た限りの範囲で考えたもので、あくまでも私見です)

そもそも「(〜して)しまった」というような口語文というのが明治以降のものですが、

ひらがなは、幕末に活字印刷で「現代ひらがな」の使用が始まり、
明治33年(1900年)の小学校令で、「現代ひらがな」使用が固定化した、

というのが通常の理解です。

私が知っている例では、近くの郷土資料館(津久井郷土資料室)に、
明治6年の「現代ひらがな」での本があり(明治初期は江戸時代の「いろは」字群のままの本もある)、
明治33年の数年前から、「現代ひらがな」の子供用雑誌が出ていたことが確認できます。

新聞は確認しておりませんが、幕末の試行錯誤の時期に「かな」新聞(かなの内容はわかりません)が発行されたことから考えると、
新聞も早くから「現代ひらがな」のものが出ていたのではないかと思っております。

つまり、昭和12年(1937年)に44歳以下の普通の兵隊さんは、
特別でない限り、日常は「現代ひらがな」
を使ったと思われます。

また口語文の「しまった」で、「志満っ多」という変体仮名は、歴史的に見て、日本人は、普通は使いません。
凝った文字を使う和歌などの書には使っていますが、口語・平叙文の筆跡実例ではかなりの違和感があります。
        (書道好きや、交際上必要を感じての個人的勉強、国風文化への回帰風潮なども、あることはあるが、一部である。)
        (『戦没農民兵士の手紙』岩波新書には、1例だけ、詩を書いた手紙に、一部変体仮名使用例あり)

それが、一般兵士の戦闘中の虐殺記事のある文中に出てくるのですから、違和感は極まれり、と言ったところです。

そして、ネット検索で出てくる井家又一日記の文章については、きちんと目を通すと、日本語ではない、という感想の方が多い。
                                                      井家又一日記の日本語

また、人の生活としては異常な日であるのに、
清書したような整然とした字面、画数の多い凝った文字は変です。

井家又一日記は、中国共産党か国民党の情報工作員が作成した、偽作だと、私は思います。


○斉藤次郎日記
http://www.youtube.com/watch?v=iA_gprpCT-U&p=89CBC9986CA22A8D&playnext=1&index=11

上記はユーチューブの動画で、NNNドキュメントの「南京大虐殺」です。
元兵士の日記がカラー映像で見られますが、斉藤次郎日記ペン書きの清書のようです。

小野賢二・藤原彰・本多勝一編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』大月書店を確認しました。

斉藤次郎日記も、日本語としてはおかしな表記が見られますし、鬼気迫る戦闘中とされているのに、
この本の現物写真では、長々と、わかりきった軍歌(「露営の歌」)を全文書写するなど、かなり変です。

この軍歌は、活字に直した本文では省略されていて、印象に残らないようになっています。


○宇和田弥一日記

〔ペン書きについて〕

ペン書きについては
宇和田弥一日記の記事を載せた朝日新聞に対して、
宇和田が所属していた都城連隊の抗議がネットにあります。
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_bungeishunju875.html

昭和59年。
連隊会「それはおかしいではないか。
戦争をしている兵隊が毎日毎日、日記がつけられると思いますか!
それに鉛筆書きならいざしらず、インクとは恐れいった。
当時は、ペン書きするにはインク瓶からスポイトでインクを補充せねばならない時代だが、
戦場へインク瓶を携行するなど考えられない。

秦郁彦氏『南京事件・増補版』と、笠原十九司氏の『南京事件論争史』
が出たのが、共に2007年ですが、

この都城連隊の抗議は、どうして考慮されないのか、
ものすごく不思議です。

上記3点の日記、現物を手にとって間近に見て、
どうしてこんな長文が書けるのかと、不思議に思わない人たちに、
全く首をかしげてしまいます。

秦著『南京事件』p289に宇和田弥一日記の現物らしき写真が載っていますが、
23歳にしては「な」の字が古い字体です。


なお一次史料の批判検討方法については、以下のページが参考になるかと思います。
『歴史学研究法』