1894年以降に生れた人の手書き文字                          2012.1.27. UP
                 井家又一日記の日本語へ戻る    論文


日本では、明治33年(1900年)に、小学校教育では、現代ひらがなに統一された。

活字本では、明治6年の現代ひらがなの本が現存する。

少年雑誌では、明治33年より数年前から、現代ひらがなに変わっている。(参)
    (ただし、ここで言う「現代ひらがな」とは、「ゐ」「ゑ」など、
      「現代の古典の教育」で使われている文字も、含まれている)

1894年以降に生れた人は、小学校教育で、「現代ひらがな」で勉強したと考えられる。

そこで、
秦郁彦著『南京事件』中公新書p131掲載の写真版手書き「井家又一日記」と比較するために、

昭和10年刊行『手紙講座』平凡社から、
1894年以降に生れた人の、手書き文字を掲載することにした。
   (書かれた年月は、わからないものがある)

1894年(明治27年)から1904年(明治37年)までに生まれた人・10名  (南京事件時33歳から43歳)

        *昭和10年刊平凡社『手紙講座』より、残り164名「年代別手書き手紙


(明27・1894年生)佐々木茂索、(明31・1898年生)井伏鱒二 (『手紙講座』第3巻) 
             参考までに、南京事件の昭和12(1937)年時、佐々木43歳、井伏39歳。

       (いぶせ ますじ、1898年(明治31年)2月15日 - 1993年(平成5年)7月10日)は、日本の小説家。
        昭和6年筆。口語文現代かな表記。ペン字。

       (ささき もさく、1894年(明治27年)11月11日 - 1966年12月1日)は小説家、編集者。
        昭和4年筆。口語文語文。簡略変体がな「か(可)」連綿での横棒のない「る」他は現代かな表記。普通漢数字。

(明29・1896年生)吉屋信子 (『手紙講座』第1巻)     昭和12年時、41歳。
       (よしや のぶこ、1896年(明治29年)1月12日 - 1973年(昭和48年)7月11日)は大正・昭和に活躍した日本の小説家。
        筆記年不明。口語文簡略変体がな「に」。現代では書道風と言える異体字「ま」。普通漢数字。ペン書き。
        柳原Y子(白蓮)(1885年生)あて。

(明29・1896年生)佐々木味津三 (『手紙講座』第7巻)   昭和12年時、41歳。
       (ささき みつぞう、1896年3月18日 - 1934年2月6日)は、日本の小説家。
        大正14年筆。草書現代かな連綿口語候文。異体字「さ(左)」。筆書き。普通漢数字。「な」は書き癖の範囲か。
        三上於菟吉(1891年生)あて。

(明31・1898年生)近衛秀麿 (『手紙講座』第5巻)    昭和12年時、39歳。
        (このえ ひでまろ、1898年11月18日 - 1973年6月2日)は、日本の指揮者・作曲家。 
         昭和9年筆。口語文現代かな表記。ペン字。
         伊庭孝(1887年生)あて。

(明31・1898年生)藤原義江  (『手紙講座』第3巻)   昭和12年時、39歳。
        (ふじわら よしえ、男性、1898年12月5日 - 1976年3月22日)は、日本のオペラ歌手、声楽家(テノール(テナー))。
         大正14年筆。口語文。現代かな。普通漢数字。ペン字。
         伊庭孝(1887年生)あて。

(明31・1898年生)横光利一  (『手紙講座』第2巻)   昭和12年時、39歳。
        (よこみつ りいち、1898年3月17日 - 1947年12月30日)は、日本の小説家・俳人。
         昭和9年筆。口語文現代かな。筆書き。
         久保田万太郎(1889年生)あて。

(明32・1899年生)宮本(中條)百合子
  (『手紙講座』第6巻)  昭和12年時、38歳。
        (みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)は昭和期の小説家、評論家。
         昭和9年筆。口語文。簡略変体がな「か(可)」。異体字「む」。現代かなの連綿。横棒のある「る」。巻き紙に筆書き。

(明36・1903年生)林扶美子
  (『手紙講座』第5巻)    昭和12年時、34歳。
        (はやし ふみこ、1903年12月31日 - 1951年6月28日)は、日本の小説家、詩人。南京事件直後に南京へ
         筆年不明。年賀状。現代かな。ペン字。普通漢数字。 (何の字のつもりで書いたのかわからない「た」有り)

(明37・1904年生)永井龍男 (『手紙講座』第5巻)     昭和12時、33歳。
        (ながい たつお、1904年(明治37年)5月20日 - 1990年(平成2年)10月12日)は、日本の小説家、随筆家、編集者 
         筆年不明。口語文。現代かな表記。ペン字。
         井伏鱒二(1898年生)あて。

    それぞれの人物について、また、
    平凡社『手紙講座』実例として掲載されている170人ほどの人物群については、
    昭和10年刊『手紙講座』全8巻からリンクしている、詳細説明部分を参照してください。

      *昭和10年刊平凡社『手紙講座』より、残り164名「年代別手書き手紙


草書漢字風の、くずしの少ない変体がな、画数の多い数字というのは、このように、ほとんど使われていません。

井家又一日記の文は、「本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時」、とか「眺めらされる」とか、
達筆流麗な文字と比べると、文章が文法的に違和感があるのも奇妙です。



南京事件では多数の元兵士の日記が発掘されています。

その内、A級戦犯として処刑された松井石根大将他、井家又一日記を含む18篇が、
偕行社(戦没者慰霊!を目的とする公益法人)の『南京戦史資料集』に掲載されています。

しかしこの井家又一日記の奇妙さが指摘されないのであれば、

偕行社『南京戦史資料集』に掲載された他の17篇の日記も、
奇妙さがあっても指摘されないことになるでしょう。

つまり、発見された元兵士の日記は、「全部疑う必要がある」のではないか、
と思うのです。

南京事件関連の現代史議論の担い手は、現物手書きに、
関心がない方が多いと思います。

私には、手書き・井家又一日記は、335名の捕虜を殺害した日に、
日本兵の手で書かれたものとは、思えません。