地名・海部について
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○徳島県 海部(かいふ)
            3世紀海部の海運(芝遺跡)
            1445年太平洋側ダントツ1位

○愛知県 海部(あま)郡


○大分県 海部(あまべ)郡                古代 海部氏  亀塚古墳・海部古墳資料館
        豊後国。中世には大友氏が支配。
               寧波の乱後、大陸との公的交通路が途絶えた後も、
               1537年以降、将軍義晴に、南方物資らしき品々を、繰り返し送ったことで知られる。
                                         的場節子『ジパングと日本』p140より
        1600年、ウィリアム・アダムズ漂着。
        1609年、スペイン船漂着。



○和歌山県 海部(あま)

○隠岐 海部(海士)




○その他、地名ではないが「海夫(かいふ)」と言われた人々もいる。
  肥後を含む西北九州で、古代末期から中世にかけて活動した「海夫」
                         網野善彦『海と列島の中世』1992年p282


「海部(あまべ)氏系図」というのも、ネット検索では良く出てくる。
丹後 海部(あまべ) (京都府舞鶴)
       この記事で注目したこと
        「壬申の乱で、天智の御子大友皇子とはりあった大海人皇子(おおあまのおうじ)は、
        尾張の海部の加勢を得て、戦いに勝ち即位した人」?大海人皇子と海部、ネットでたくさん出てくる。


    広瀬和雄『前方後円墳国家』2003年p157に、丹後巨大前方後円墳の項がある。

        丹後には、狭い土地に日本海3代古墳(198メートル・190メートル・145メートル)の他に、
        墳長100メートル級の大型前方後円墳が合計6基、3世紀末から4世紀末にかけて、
        1代一墳的に築造されてきた。

        これらの造営基盤は、南部朝鮮との鉄素材交易の一分野を、
        丹後首長層が掌握していたことによるものではないか。
        
        と、言う説。

参考文献について(国史大事典1は未調査)
・『国史大辞典 1』(吉川弘文館 1979年刊):p301に「海人部(あまべ)」として古代の海部氏についての説明があり、参考文献も記載。

・『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館 1990年刊):p37海部氏(あまべうじ)