大日本史料6篇16巻115〜116ページより
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1352年2月25日、細川
(「東寺百合文書」は現在、国宝指定文書である。)
Web東寺百合文書サイト
幕府、東寺八幡宮雑掌ノ訴ニヨリ、同宮領山城久世荘ノ濫妨ヲ停ム、
〔東寺百合文書〕 (割注:ホ三十六之五十五○山城)
東寺八幡宮雑掌申山城國久世庄事、申状(割注:副具書、)
*具書:中世、訴状・陳情に添えて原告・被告から提出した証拠書類)
如此、早廣田出羽亮五郎相共莅彼所、
退濫妨人、沙汰付下地於雑掌、可執進請取状、
使節緩急者、可有其咎之状、依仰執達如件、
正平七年二月廿五日 陸奥守(細川顕氏)(花押)
海部但馬守殿
史料現物の写真版
(Web版東寺百合文書「海部」検索による)
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東寺八幡宮雑掌申山城國久世庄事、申状(割注:副具書、)
如此、早海部但馬守相共莅彼所、
退濫妨人、沙汰付下地於雑掌、可執進請取状、
使節緩急者、可有其咎之状、依仰執達如件、
正平七年二月廿五日 陸奥守(細川顕氏)(花押)
廣田出羽亮五郎殿
史料現物の写真版
(Web版東寺百合文書「海部」検索による)
太平記には細川氏は四国勢の力を集めたと出てくるので、この海部氏は尾張の海部氏ではないと思う。
では丹後系の海部氏か?
しかし、細川氏の名前に関係してくるのは阿波海部氏だから、丹後系海部氏でもないと思う。
和歌山海部、豊後海部と考えても、やはり有力なのは阿波海部ではないだろうか。
*山城国で、このような命令を受けて、執行に当たった者を列挙した表があるので、参考のためにUP
表で見る限り、南朝京都進軍・北朝方天皇拉致という大事件の直前、京都で事実上の執行者であったのは、海部氏に見える。
それが小川信著『足利一門守護発展史の研究』では、人事の扱いが逆になっている。